桜の季節(2)

「どうしたの?」


 私が話そうとしていることが何なのか、ふっきーは分かっているのだろうか。何とも分かりかねない返事をしたふっきーに、私はお弁当のふたを開けつつ話を切り出した。


「私、あの時」

「ようやく話してくれたか〜」


 ふっきーの反応は早かった。こちらが軽く引くぐらいには早かった。


「もしかして話してくれないんじゃないかって、思ったんだよね。そんなこと言うなら私の方から言えばいいじゃん、って話なんだけど、こういうのは舞ちゃんの方から話した方がいいかなって思って、あえて私からは言わなかった」

「分かってたんだ」

「昔から舞ちゃんのことは、分かってたつもりだよ」


 やっぱりふっきーには敵わない。

 私はそういう、諦めにも似たため息を軽くついて、本題に入った。


「うんうん。……」


 ふっきーは終始、たくさんの相づちをうって話を聞いてくれた。


「実はね」


 一通り私が話し終えた後、ふっきーが窓越しに空の遠くの方を見つめて口を開いた。


「あの時、言おうと思ったんだよ。引っ越して香ヶ丘からいなくなるって話は、舞ちゃんにだけはしなきゃって思ってた。だけど言うべきタイミングがうまく見つけられなかった。だからああいう形で言うことになって、舞ちゃんを傷つけちゃった。もっと早く言ってればあの日公園に集まることはなかっただろうし、舞ちゃんがあのジャングルジムの下敷きになることもなかった」

「それは違う。あれは私にはどうしようもなかったことだから。もちろん、ふっきーにも」

「そう言ってもらえて嬉しいよ。何だか、やっとわだかまりが解けた、っていうか」


 ここまで来るのに十年もかかった。もし私とふっきーが出会っていなかったら、いったい何年かかったんだろうか。


「……でもあのことを考えれば、香ヶ丘から動かない方が、正解だったのかも」

「あのこと?」


 それが何か分からなかったのではなく、単なる反射で私は聞き返した。


「私のお父さんは研究者で、小さかった私って、お父さんの研究室で一日を過ごすことが多かったんだよね。だからおままごとなんかより、難しい本ばかり読んで、勉強してた。そしたら、今みたいに」

「勉強してたことが悪いの? 成績だって、今すごくいいのに」

「周りのみんなが知りもしないような、分かりもしないようなことを自慢げに話し続けちゃったから。小学生ってそんなものでしょ? 自慢が生きがい、みたいなところあるし」


 それが正しいかどうか、私には答えかねた。私は黙ったまま、ふっきーの話を引き続き聞くことにした。


「だからだんだん仲間外れにされて、それが自分の中ではっきり分かったとたんに、私はみんなに心を開くのをやめちゃった。開いてもどうせ分かってくれない、っていうひねた発想だけどね」

「……!」


 蒼ちゃんの言っていたことが思い出されて、ようやく私の中できっちり、パズルのピースがはまった。ふっきーが時々見せる影、というのはその時の名残だったわけだ。私はそんな話を冗談半分のように、にこにこしながら話すふっきーの顔を見つめた。


「もしあの時のことを忘れてたのが舞ちゃんじゃなくて私だったら、きっと私は今でも、根暗な子のままだった。……あ、もちろん今は完全に脱却したかっていうと、たぶんそうじゃないけどね。だから、ありがとう。私が舞ちゃんのことを忘れることはないし、舞ちゃんもきっと、そうでしょ?」

「……うん」


 その問いかけに、私は自信を持って答えることができた。そして、私が絶対にふっきーに言わなければならない、と思っていたことを伝えた。


「またいつか、会おうね。大人になって、仕事終わりなんかに、ふらっと立ち寄ったお店なんかでさ」


 またいつか、という言葉ほど、守られないものはないかもしれない。またいつか、と言いながら何十年も会えなかった、なんて話はよく聞く。だけど言わないよりは、会える可能性が高まる。そうに違いない。


「え? またいつかなの?」


 しかしうんうん、言うべきことを言った、と満足していた私に、ふっきーは素っ頓狂な声を浴びせた。私も思わず、は? と口から飛び出そうな顔でふっきーを見てしまった。そんな顔に物怖じすることなく、ふっきーは続けた。


「高校で会えるでしょ? 私はてっきり、そのつもりだったんだけど」



* * *



 一月最後の金曜日。

 その日の六時間目のロングホームルームを使って、うちのクラスで私のためにわざわざお別れ会みたいなのをやってもらえることになった。もちろん私たちのクラスだけの特別措置で、その間他のクラスは調べ学習か何かをやっていた。


「みんな嬉しそうだね」


 ふっきーがクラスの様子を見てそう言った。確かにその通りで、がやがやと騒がしかった。調べ学習、とやらは実はすごく面倒で、それがなくなったことを喜んでいるらしかった。私が香ヶ丘からいなくなるという事実より、目先の調べ学習がなくなったことの方が重大。薄情なようだが、そんなものなのかもしれない。感覚としては病気で先生が休んでしまい、授業がなくなった時にどういうわけか嬉しくなる、あれに似ている。


「仕方ないよ。みんながみんな、私と仲良かったわけじゃないし」


 心の底から、私はそう思っていた。クラスのみんなと仲がいい子なんていない。だからクラスの一員じゃなくなる時に、みんながみんな悲しんでくれるわけがないのだ。もちろん誰も悲しまないわけでもない。事実、蒼ちゃんはお別れ会が始まる前から泣いていた。


「まだ始まってもないけど……?」


 さすがの四宮くんも困惑しきった表情だった。


 お別れ会は滞りなく進んだ。私も今さら悲しみに沈んではいなかった。ふっきーや蒼ちゃんとは散々楽しかったことや忘れたくないことを話したし、生徒会のみんなにも、書道部のみんなにもあいさつした。そういうところだけやたらと用意周到、と言われても仕方ないくらいだ。

 最後にクラス全員分の寄せ書きをもらって、会はお開きになった。私からすれば、あっという間の話だった。


「舞ちゃん! これ!」


 帰り際、私はふっきーから、別の色紙をもらった。そこにはクラス単位での寄せ書きとは別に、私と特に仲良くしてくれた子たちのメッセージがいろいろ書かれていた。ふっきー、蒼ちゃん、四宮くんの三人を中心に、たぶん有志で集まって書いてくれたのだろう。クラスの寄せ書きとは比べものにならないくらい長いメッセージに、私は素直に驚いた。私がそんなにいいことをした自覚なんて、とてもじゃないがなかった。


「それは舞ちゃんの人柄が、そうさせたんだよ。私なんて書けば書くほど何書けばいいかうまくまとまらなくって、結局こんなに書いちゃったし」


 ふっきーからのメッセージは、色紙の半分くらいを占めていた。しかも行ごとの文字数もバラバラ、あちこちに飛んでいて読みにくいことこの上なかった。後でゆっくり読ませてもらおう、と思って、私は色紙をカバンの中にしまった。


「舞ちゃん、前に言ったこと、覚えてる?」


 それから念を押すように、ふっきーが私に言った。こういう時お互いの認識が違っていたら大惨事なので、私は覚えてない、と返した。


「高校で会えるでしょ、って話。私も蒼ちゃんも四宮くんも、梢葉しょうよう志望だから。舞ちゃんもきっと、来てくれるって信じてるから」

「その間、私のこと忘れないでよ?」

「忘れるわけないじゃん。……じゃあね」

「……うん」


 梢葉高校。

 私はその名前だけはちゃんと忘れないよう、覚えておこうと心に決めた。会えないのは、中学三年の一年間、たったそれだけなんだと信じて。


 すでに私の家では引越しの準備が終わりかけていて、週明けから新しい学校に通う手はずも整っていた。その昔芳しい香りを振りまくことで有名になり、香ヶ丘という地名にも名残がある、梅の木。少々満開になるには早いその花を特に何か考えるわけでもなく眺めながら、私は引越しの手伝いをするために少し早く家路についた。

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