桜の季節(1)
理想と現実は違う。
現実はあくまで現実でしかなくて、理想には程遠いこともある。それどころか、ほとんどそんなものなのかもしれない。
「ホントに? そんなことあるんだ……」
とりあえずクラスの子ぐらいには話しておこうと私が話せば、みな一様にそんな反応をした。
私の悪い予感、というやつは大当たりしてしまった。お父さんの転勤はすなわち、私たち家族も引越しをするということ。私が生まれて以来ずっと住んできた香ヶ丘を離れて、転校もすることになった。しかも、一月の終わりには引っ越すという話が、私の知らないところで進んでいた。
「どうして知らせてくれなかったの?」
私もまず、お母さんにそう尋ねた。引っ越すならそれで構わない。仕事の都合なら仕方ないとしても、知らせてくれてもよかったのではないか。それだけで、心の準備が少しはできたかもしれない。しかし返ってきた答えは、舞が悲しむと思ったから、という、通り一遍なものだった。
「(そうじゃない。知らせてくれた方が、絶対よかった)」
誰にこの感情を向ければいいのか、私は分からなくなっていた。そもそもこの感情が怒りなのか呆れなのか、それともまた別の何かなのかさえ分からなかった。そうして思い悩んでいるうちにお正月も過ぎ、三学期が始まってしまった。
「……そっか。引っ越しちゃうんだ」
ある日の昼休み、私はふっきーと蒼ちゃんの三人でお弁当を食べていた。引っ越すということは真っ先にその二人に言っていたので、悲しそうにしていても仕方ない、という雰囲気があった。
「どこだっけ」
「
「そうだね、ここからだと相当……」
ふっきーでさえそう言うしかなかった。
「ふっきー目線ではどうなの。言うなれば、転校のスペシャリストじゃん」
おどけたように蒼ちゃんが言った。
「転校のスペシャリストって……でもまあ、ある意味間違ってないかな。私、小学校六年間で四回ぐらいは転校したからね」
「四回……それは、お父さんの仕事の都合とか?」
ふっきーのお父さんは有名な大学教授だと聞いている。もしかすると他の大学に引き抜かれる、なんてことがあったのかもしれない。しかし、ふっきーは首を横に振った。
「ううん。前言った事情があって」
その言葉で、私も蒼ちゃんも察した。昔いじめられていた、という話だ。今のふっきーの様子からしてそんな姿は想像できないのだが、真面目な顔をしていることから考えると、やはり事実らしい。いじめが原因で転校を繰り返しているあたり、人間関係の難しさ、みたいなものがよく分かる。
「よかった、二人とも分かってくれたみたいだね。……分かったものとして話するね。私からすれば、転校ってそこまで悪いことじゃないと思う」
確かに転校すればそれまでの人間関係がリセットされるから、友達だった子と疎遠になる可能性はある。私の場合は生まれてこのかた香ヶ丘に住んでいるので、顔なじみを忘れてしまう、なんてことにはならないと思うが。
「むしろ、いいことだってあったりする。逆に言えばリセットされるから、それまで友達作るのに失敗してたんだとしたら、また一からやり直せる。周りの雰囲気ががらっと変われば、たぶん自分の気分も変わるし」
「でもふっきーは、何度も転校を繰り返したんだよね?」
「それは……それは、いろいろあって」
私が少しツッコむと、ふっきーはいかにも何かごまかしましたよ、みたいな顔をして言葉を濁した。
三人で一緒にお弁当を食べられるのもあと何回だろう、と気付けば私は頭の隅で考えてしまっていた。
* * *
それからさらに、数日経った。放課後になって、私は生徒会室に向かうべく教室を出ようとした。
「生徒会?」
「そうそう」
「仕事、もうないんでしょ?」
「ないけど、あともう少しだしね。行かないのもどうかな、って今になって思っちゃって。それに、生徒会に残る人にもあいさつしないといけないし」
「なるほど。じゃあ、先に帰ってるね」
「うん、ごめん」
ふっきーが昇降口へと向かうのを見送りながら、私は逆方向に廊下を歩き出した。こんなこと、今年は何度もあったな、と私はぼんやりと思っていた。
生徒会室の前には、二人、カギが開くのを待っていたらしい人がいた。近付かなくてもだいたい分かった。蒼ちゃんと、四宮くんだ。どうして生徒会室の前にいるのだろうか。
「舞。ちょっとついてきて」
「……」
かと思うと、私はほとんど強引に蒼ちゃんに制服の袖を引っ張られ、近くの階段を上らされた。着いたのは、校舎の屋上だった。
「……寺阪」
着くなり最初に口を開いたのは、四宮くんだった。
「なに?」
「神戸から話は聞いた。転校、するんだってな」
「うん。……あれ? 四宮くんには言わなかったっけ」
もうすでに、ホームルームでクラス全体に向けて話がされている。その時寝ていたのなら話は別だが、聞いていないはずはない。
「あと、蕗塔に話、つけてないらしいじゃんか」
「話をつける?」
私は真剣にそう答えた。四宮くんの言っていることが分かりかねた。
「寺阪の昔の話だよ。昔蕗塔が引っ越すことになって、それを知って、何も言わずにあれこれひどいことを言った。まるでケンカ別れみたいな感じになったって聞いてるけど、違うのか」
「どうしてそれを……」
知っているのか、ではない。どうして蒼ちゃんは、関係ないはずの四宮くんにその話をしたのか、ということである。私が言い終わらぬうちに、遮るようにして四宮くんが続けた。
「寺阪、まさか蕗塔にその話を一切しないまま、転校するつもりじゃないだろうな」
「……!!」
四宮くんの言う通りだった。私はふっきーがその話を振ってこない限り、言わないままにしておこうと思っていたのだ。そして言わないまま香ヶ丘での日々が終わるのであれば、それはそれでいい、とまで考えていた。私はゆっくり、うなずくしかなかった。
「どうしてそういうことするんだよ。神戸も言ってたぞ、たぶん寺阪がその話、してないだろうなって。思い出したんだろ? 自分が悪いとか、そうじゃなくてもせめて話はしないととか、思わないのかよ」
「……思うよ」
私はうつむいたまま言った。今四宮くんがどんな顔をして言っているのか、知りたくなかった。さらに責められる気がして、怖かった。
「私だって思うよ。せっかく思い出したのにふっきーにそのことを言わないなんて、思い出してないのと一緒。そう言いたいでしょ? 私だって逆の立場だったら、そう言うよ。ふっきーとすごく仲がよかったことだって思い出したし、またその時の話だってしたかった。でも、怖い。ふっきーが怖いんじゃない。そんなことさえ忘れて、何事もなかったように過ごしてた自分のことが、怖い」
あの時ジャングルジムの下敷きになって意識を失う直前まで、私はみんなのことを覚えていた。それなのに頭を打ったせいで、病院に運ばれて意識が戻った時には、忘れていた。お父さんやお母さんがふっきーの名前を出しても、一切反応を示さなかったという。忘れていたのより、薄情かもしれない。
「怖いし……それに、今更言ったって」
「違う」
私が言い終わらないうちに、四宮くんが断言した。
「寺阪が思い出したこと、蕗塔が覚えてないはずがない。きっとその時のことを、蕗塔も覚えてるはずなんだ。もしかすると蕗塔こそ、寺阪の方から話をするのを待ってるかもしれない。だったら話ができる今のうちに、過去の清算はしとくべきだ」
「……」
「もし蕗塔の方こそお前が言い出すのを待ってたとするなら、きっとこの学校で最後の日になってようやく、言ってくれなかったね、みたいな顔すると思う。あいつのそんな顔は、寺阪だって見たくないだろ?」
「それは……確かに」
「寺阪は自分が思ってる以上に、蕗塔に感化されてる。たったこの一年でな。……これは、神戸の受け売りだけど」
受け売るな! と蒼ちゃんがツッコんで四宮くんの背中を叩いたが、四宮くんの目は据わったまま私を見ていた。私はその目に応えるように、そっとうなずいた。そして、口を開いた。
「分かった。絶対、ふっきーに言う。約束する」
次の日の昼休み。たっぷりと話せる時間が取れるそのタイミングを選んで、私はふっきーに、屋上でお弁当を食べないか、と誘った。
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