ラスト・クリスマス(3)

 フェンスに近付いて、私は公園の中をじっと観察した。不思議と、何かお化けみたいなのが出てくるんじゃないか、という恐怖心はなかった。

 中は特に普通の公園と大差なかった。シーソーやブランコ、ジャングルジム。ウマやゾウが描かれたバネで跳ねる遊具。それから、砂場。一番手前に見えたのは、回転式のジャングルジムだった。しかしそれだけが妙に他と違った感じを出していると感じて、私は気が付けばフェンスを登っていた。


「お? 中入っちゃうの? 舞もなかなかやるね」


 それを見て、蒼ちゃんが私の腰を支えてくれた。私を引き止めるようなことを言いつつ、案外乗り気らしい。私がおそるおそる公園の中に降り立ったのを確認して、蒼ちゃんも軽やかにフェンスを登って中に入ってきた。


「……うわ、なんだか不気味」


 中から見る廃公園の様子は、いっそうおどろおどろしいものだった。このあと幽霊が出てきて……という話があっても不思議ではないくらいの雰囲気だった。たかだか閉鎖から九年ほどしか経っていないので、遊具がボロボロになっているとか、崩壊しているとか、そういう目立った欠陥はなかったが、忌まわしい過去を封印するかのようにがっちり張り巡らされたフェンスと、さらにそれを囲む背の高い木々のせいで、公園の中は外より一段と暗かった。


「舞、携帯は持ってる?」

「一応。お父さんから借りてきた」

「わたしも持ってる。万が一のことがあったら、すぐ連絡するようにしよう」

「分かってる。何か収穫があったら、すぐ帰るつもりだから」


 私たちはおそるおそる、公園の中の探索を始めた。といっても忘れ物があるわけでもないので、当時の事故のことを思い出せれば、という淡い期待を乗せて歩き回っていただけだった。抜き足差し足、と私たちは回転式ジャングルジムに慎重に近付いた。


「これだ。新聞で見たやつ。根元が折れて、丸ごと倒れてる。昔のまんまなんだ」


 蒼ちゃんがひそひそ、と私に話しかけた。確かにその回転式ジャングルジムの様子は、新聞で見たままだった。昔の私は、この大きな遊具の下敷きになったのか。

 私はひんやりするその遊具だったものに、静かに触れた。当時のこと、それからどうして思い出せないのか、そのジャングルジムに聞くぐらいのつもりで、握る手の力を強めた。しかしいつまで経っても、答えは返ってこない。ただ霜焼けになりそうな冷たさしか、返ってこなかった。


「どう?」


 蒼ちゃんが尋ねてきたが、私は首を振る。ま、そんなもんか、と蒼ちゃんは言って、また辺りを歩き回り始めた。


「失った記憶は、そう簡単に戻ってくるものじゃないからね……」


 蒼ちゃんは近くの草むらをゴソゴソ探りながら、ぽつりと言った。私は頼む、思い出してくれ、と自分の頭に暗示まがいのようなものをかけながら、ジャングルジムの取っ手を握っていた。


 それから十分ほど、経った頃だった。


「あ!」


 その間私も蒼ちゃんも黙り込んで、それぞれ思い思いのことをしていたのだが、急に蒼ちゃんが声を上げた。


「舞! こっち!」


 私を呼んでいるらしかった。私はいい加減ジャングルジムとリンクするのをやめ、蒼ちゃんの声がする方へ向かった。


「これ……」


 近付くなり、蒼ちゃんはあるものを手のひらに乗せて、懐中電灯で照らして見せてくれた。私は素直に驚く。それは、そこにないはずのものだったのだから。


「これは……ふっきーの、だよね?」

「たぶん……」


 雪うさぎの髪飾り。

 どこに売っているのかも分からない、すごく特徴的な髪飾りが、蒼ちゃんの手のひらの上にはあった。これをつける人がいるとするなら、ふっきーしかいない。私は特に何も考えず、その髪飾りを手に取った。


「……!!」


 その瞬間だった。


 あまりの衝撃に私は、その場に倒れ込んでいた。意識はあるのに、体が起き上がらない。何が起きているのか、自分でも分からなかった。


「違う……それは、私の・・髪飾り……」

「え?」


 ジャングルジムに触れても戻ってこなかった私の記憶が、布に水が染み込んでいくようにじんわりと、しかしはっきりとよみがえってきた。そして当時のことをすべて、私は思い出した。



* * *



 私は公園に向かって、楽しそうに歩いていた。手には大事そうに、小さな箱が握りしめられていた。今ならこの景色がどこのものなのか、はっきり分かる。それこそ、かつての香ヶ丘西公園そのものだった。公園の中の木々は葉っぱを生い茂らせ、そのほとんどが黄色く色づいていた。すでに地面に落ちた葉っぱをさく、さくと踏みしめつつ、私は公園の中に入る。そこには、幼馴染のみんなの姿があった。遥さん……ではない。ハル姉。実くん……それも違う。その頃はふざけて、男の子なのにみのりん、といかにも女の子みたいな名前で呼んでからかっていた。そして誰よりも目立つ白い髪をした、私と同い年の女の子もそこにいた。ふっきー……違う。さやっちだ。


「おまたせ! ごめんね、トイレいってたの」


 当時の私はそう言った。どうやらみんなで公園に集合する約束だったが、私だけ遅れていくことになったらしい。

 しかし私以外の三人は、みな少し暗い顔をしていた。私が来て一瞬だけぱっ、と明るい顔になったが、すぐに悲しげな顔にみんな戻った。


「まいちゃん……」


 いつもはとびきり明るいさやっちでさえ、そうつぶやいたきり黙り込んで、地面ばかり見ていた。私は不思議に思って、三人に尋ねた。


「どうしたの? みんな、かなしいことでもあったの?」

「あのな、舞」


 一番に口を開いたのはみのりんだった。さすがの私もただならぬ雰囲気を悟って、顔が凍りついた。みのりんは少し息を吸って、話を切り出した。


「彩が、引っ越すことになった。ここからずっと離れた、遠いところだ。僕たちが彩の住むところに会いに行くのは、たぶん難しい」

「……え」


 そりゃそういう反応にもなるだろう。いつも通りやってきたところにそんなことを知らされた私は、目を見開いて固まってしまった。


「ごめんね、まいちゃん……」


 さやっちも、そう言うしかなかった。今ならそのことが分かる。しかし幼いその時の私に、そんなことが分かるはずもなかった。


「どうして……!!」


 私はさやっちと一番仲が良かった。それは確かに事実だったのだ。だってその日私が嬉しそうに持ってきていた箱の中身は、さやっちとお揃いの、雪うさぎの髪飾りだったのだから。どうしてもさやっちとお揃いの髪飾りが欲しくて、お父さんとお母さんにも散々無理を言って、ようやく買ってもらったものだ。その髪飾りが入った箱を、私は後ろで組んだ手でぐっと握りしめた。


「どうして、私に真っ先に言ってくれなかったの!?」


 私の感情は怒りになって、その矛先はさやっちそのものに向いた。そんな怒り向けたって仕方ないのに、私は必死でさやっちを責めた。


「知らない……! さやっちなんて、どっか行け……!」


 呆然とする三人を置いて、私は公園から逃げ出そうとした。


 その時だったのだ。


「舞!! 後ろ……!!」


 公園の入り口に近い、回転式ジャングルジムの近くで、急にみのりんが私を引き止めた。そして言われた通り後ろを振り向いた頃には、すでにすぐそこまで倒れ込むジャングルジムが迫っていた。


「……!!」


 声を出す間もなく私はその下敷きになって、ごつん、と頭を打った。


「舞!! 大丈夫か……!?」

「お母さん呼んでくる!」

「任せた!」


 すぐにみのりんが駆け寄ってきて、ハル姉は大人を呼びに公園を出て行った。さやっちはみのりんの後ろで、目を潤ませわなわなと体を震わせていた。


「ん……っ」


 まだ辛うじて意識のあった私は、ふと、手に握っていた箱を見た。さやっちとお揃いの髪飾り。なんとか力を振り絞り、その髪飾りを箱から出した。


「(……こんなの、)」


 私にとってそれは、さやっちと一緒にいる時でなければつける意味がなかった。お揃いだからこそ特別さがあるだけで、さやっちにはもう会えないのに持っていても意味がない。

 その時の私はそう思って、髪飾りを近くの草むらの方に投げ込んだ。誰にも見えないように。見つかることがないように。



* * *



 私はその髪飾りについた土を軽く払い、そっと自分の前髪に挿した。


「似合ってるよ。ふっきー2号の、誕生だね」

「……言わなきゃ」

「……え?」


 きっとその時の私の顔つきは、それまでと全然違っていただろう。私は絞り出すように、蒼ちゃんに向かって言った。


「あれが、ふっきーが引っ越す前最後に言ったことだった。私は別れのあいさつ、さよならも言わずにあの場所から逃げようとした」


 昔のことを思い出した今、まだ逃げ続けるわけにはいかない。言うべきことを、言わなければいけない。


「……そっか」


 蒼ちゃんも私の決意を何となく悟ったらしく、特にあれこれは言わなかった。


「じゃあ、帰ろっか。次ふっきーに会うまでに、言うこと考えておかないとね」

「うん」


 一瞬だけ、誰か他にいるような気がして、私は背後を振り返った。少しだけ、昔の私がいたような気がした。

 ようやく私の心のもやもや、なくなるかもしれない。私はそう自分に言い聞かせて、廃公園を後にした。



* * *



 ふっきーに次に会うとするなら、初詣の時か。その前にクリスマスプレゼントを配る仕事は、順調だったのだろうか。無理を言って抜けさせてもらったが、その分とんでもなく大変にならなかっただろうか。

 私は家に帰り、ソファに座って一息つき、そう思った。


「(もう一週間で、一年が終わるんだ……)」


 私はぼんやりと、そんなことを考えていた。まだ寝る時間ではなかったので、私はテレビをつけようとダイニングテーブルの上のリモコンを探した。その時だった。


「これは……?」


 すでに開けられた形跡のある封筒が一つ、置かれていた。見慣れない色の封筒で、見覚えのない封筒だった。お父さん宛のものだった。

 普通家族のものでも、自分宛でないものは開封しない。そうした方が余計なトラブルも起こさなくて済む。だがその時の私はなぜか、その封筒の中に入っていた手紙を取り出した。理由は自分でも分からなかった。


「え……?」


 立ち上がったそのままの姿勢で、私は固まってしまった。

 そこには私でも分かるようなことが書かれていた。


「お父さんが、転勤……?」

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