香ヶ丘の秋祭り!(5)

「実くん……」


 私は後ろにいた男の子に向かって、そう名前を呼んでいた。するとその子は安堵したような表情を浮かべた。


「よかった、覚えててくれたか」

「どういうこと?」

「それは僕がここにいる理由? それとも覚えててくれたか、って言った方?」

「どっちも……」

「じゃあ、どっちも説明しようか」


 まあまあ、その辺のお店入ろう、と彼はすぐ近くでお茶やお菓子を出してくれるらしいクラスの教室に入った。私もその後について行って、席に着いた。


「いやあ、久しぶりに舞に会えてよかった。もしかしたら香ヶ丘じゃない、違うところに引っ越してたりしてたらどうしよう、って思って」

「調べたの?」

「行き当たりばったりみたいなもんだよ。まあ、一応こっちに来る前に調べたけどね」


 彼の名は、広川実ひろかわ・みのる。私より一歳年上の幼馴染で、今は東京に住んでいる。今回秋祭りに合わせて、わざわざこっちに来てくれたらしい。


「遥がうるさかったんだよ。舞に一回会ってみてくれ、って」

「遥……?」

「……ホントに覚えてないのか」


 実くんはやれやれ、と言わんばかりのポーズをとった。その行動の意味さえ、私には分かりかねた。


「彩が香ヶ丘に引っ越してきたんだろ? それで久しぶりの再会で二人がどうしてるかなって、様子を見に来るつもりで秋祭りに来たんだ。けど、まさかそんなに二人が他人行儀になってるなんて」

「どういうこと? 私、実くんの言ってること、全然分からない」

「……仕方ないか。あんなことが、あったんだもんな」


 私は混乱するばかりだった。何が、仕方ないことなのか。どんなことがあったのか。二人というのはたぶん、私と蕗塔さんのことなんだろうが、私たち二人が、どういう間柄だというのか。


「鈴蘭遥。この名前を聞いて、思い出せるか」


 実くんは運ばれてきたオレンジジュースをじゅーっ、とストローで思い切り吸い上げて飲んでから、そう言った。


「……ごめん。誰のこと?」

「鈴蘭遥……遥は、彩の従姉妹だ」


 蕗塔さんの従姉妹。つまり、この間までの夏休みに、蕗塔さんが東京に行って会っていた相手。蕗塔さんが秋祭りの実行委員になって、その仕事で帰るのが遅くなったこともあって最近あまり話ができていないが、相変わらずぱあっ、と明るい顔をしているのを見る限り、久しぶりに従姉妹に会えて楽しかったのだろう。


「それは、蕗塔さんが言ってた。東京に住んでて、中高一貫校に通ってるとかなんとか」

「その中高一貫校に、僕も通ってる。遥と僕、それから彩も舞も、みんな幼馴染なんだ」


 幼馴染。

 本来それは、昔から一緒にいる間柄に使う言葉だ。なのに私は今、実くんに幼馴染だったんだ・・・・・という事実を、教えてもらっている。それがどれだけおかしいことなのか、私にもよく分かっていた。


「幼馴染……」

「一番仲良くしてた彩は忘れてるのに、僕のことは覚えてる。不思議な話だよ」

「一番仲良くしてた……?」

「彩が真っ先に香ヶ丘から引っ越すってなった時に、一番泣いてたのは舞だったんだけどな。嫌だ、離れたくないって」

「何それ……?」


 とぼけているのではない。実くんの話を茶化しているわけでもない。本当に単純に、そんな記憶が私の頭になかったのだ。実くんと話をしながら懸命に思い出そうとしたのだが、どうしてもそのことに関連する記憶が、頭の中で探し当てられない。


「……覚えてないか」

「ごめんなさい」


 思い出す様子のない私を見て、少し悲しげな顔をしつつ実くんが言った。私もそんな大事なことを思い出せないなんて、と自分自身が少し嫌になった。


「いや、いいんだよ。大事なことだけど思い出せない、なんてことはよくある話だしさ。人から借りた大事なものでもどこにやったか忘れる、っていうのと同じだよ」


 それは違う気がする、と言うだけの気力が私にはなかった。やがてそろそろ他のところ行こうか、と提案してくれた実くんについて行く形で、その教室を出た。


「……」


 でも相変わらず私の気分が晴れることはなかった。久しぶりに会ったという事も手伝ってか、実くんにものすごく気を遣わせているんじゃないかと私は思っていた。


「しょんぼりすんなよ。思い出せなくても仕方ない、ってさっき言ったろ? それにせっかく一泊二日でこっちに来てるんだし、楽しまないとな。舞がいないとどこに何があるかも分からないし」


 そんな私を見て、実くんは笑い飛ばすようにして言った。私は確かにそうだ、と思った。ここに来てようやく、夏休みに海に行った時、蕗塔さんが言ってくれた言葉を思い出した。


『今は私のことを覚えてなくてもいい。これから思い出を作っていけばいいんだから』


 あれはどういう思いで発せられた言葉なのだろう。蕗塔さんとの過去の記憶らしきものが私に全くない、ということを蕗塔さんはどれくらい理解しているのだろうか。

 やっぱり私は考え事をして、周りが見えなくなっていた。たくさんの人で溢れた廊下でそんなことをするものだから、当然のように前から来た人とぶつかってしまった。


「あっ! すみません……」

「……舞じゃん」


 しかし私は、そのぶつかった人に気さくに話しかけられた。無視されるよりは戸惑わないが、ぼうっとしていた私はびっくりして、少し挙動不審気味になってその人の顔を見た。


「やっほ、舞。久しぶり……ってか、みのりんもいるじゃん」

「その呼び方やめろ」


 これには実くんの方がツッコミを入れた。


「舞……ああ、そっか。覚えてないんだ」


 ふーっ、と深呼吸をしたその人は、続けて言った。


「私は鈴蘭遥。蕗塔彩の、従姉妹。あんたの隣にいる広川実とは同級生」

「淡々としてるな」


 私はすっかり置いていかれて、完全に遥さんと実くん、二人の会話になっていた。


「仕方ないじゃんか、覚えてないんでしょ? 実質初対面なんだし」

「……あの」


 私はその実質初対面である遥さんに話しかけた。実くんが何か口を開いて言おうとするのをさえぎった形になった。


「なに。どうしたの、他人行儀な」

「昔の私って、どんなのでしたか」


 どれだけ訳の分からないことを言っているのか、私はよく理解していた。それでも目の前にいる遥さんに聞けば、何か分かるのかもしれないと思ったのだ。


「昔の舞、か……おとなしかったっていえば、それまでだけど」

「おとなしかった、ですか」

「今もそうみたいだけどね。でも彩と一番仲が良くて、それが彩にとっても、一番記憶に残ってるみたい」

「あんまり、蕗塔さんはそういうこと言ってくれないんですけど」


 夏休みの初めに私が覚えてないということを言った後、よく考えてみれば蕗塔さんはその手の話をするのを避けている気がした。もっと言えばそれより前も、あまり昔話をすることはなかった。


「きっと意図的に避けてる。その手の話を舞にするのは得策じゃない、って感じ取ったんだろうね。彩はさ、昔から何となく人の気持ちを感じ取るのが得意だったから」

「……」


 私は黙り込むしかなかった。そんなに気を遣われていたのか。記憶がないことを一瞬で悟って、ずっとその話題に触れないようにしていたのだとしたら、私はとんでもないことをしたのかもしれない。


「彩探しに行こっか。たぶん探せばそのうち見つかるでしょ」


 遥さんのその言葉で私は、ようやく救われたも同然だった。


「あんまり彩の前では言わない方がいいよ。さっきの話」


 遥さんが私に、念を押すように言った。私はその意図するところがよく分からなかったが、とりあえずうなずいた。すると遥さんは話を続けた。


「友達って関係は別に、家族じゃない。家族より他人の要素が入ってる関係だから、何から何まで情報を共有しておく必要はない、って思うんだよね。いくつかお互いに隠してる秘密があっても、それでとがめられる筋合いはない。もしとがめる子がいたとしたら、それは友達って関係に依存しすぎ。甘えてる」


 遥さんのその断言に、私はどこか懐かしさを感じた。その感覚はすぐに消えたが、言葉はしばらくの間、私の心の中に響いた。


「秘密……」

「そう、秘密。秘密って言えば若干言葉に軽さが出るよね。小学生でもこれは秘密ー、みたいなことよく言うし」


 彩もまあまあ秘密抱えてるだろうし、と遥さんは言った。そして言い終わるか言い終わらないかといううちに、あ、と遥さんは少し遠くを見て手を振った。私たちがその方向を見ると、蕗塔さんがいた。


「おーい!」


 蕗塔さんと同じ実行委員の四宮くんも、隣にいた。

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