香ヶ丘の秋祭り!(4)

 秋祭り当日、朝七時半。

 私は一人で仏頂面をして、中学校の校門前に立っていた。

 補足しておくが、私は別に生徒会メンバーによる立ち当番に当たっているわけでは決してない。確かに生徒会の仕事もあるにはあるが、集合時間は七時四十五分。それまでは来ても来なくても構わない。そしてこういう言われ方をした時、私は大抵ギリギリに到着する。


「……どういうこと?」


 私はため息混じりにそう言った。

 ではなぜ、私が集合時間の十五分も前に、学校に着いているのか。それは蕗塔さんの、この一言に原因がある。


「当日は、朝七時に校門前に集合ね!」


 七時はさすがに早すぎる、生徒会メンバーでもまだ来てない時間だ。時間間違えてるんじゃないのか、怪しいなとは私も思っていたのだが、まさか私をはめるための策略だったとは。


「ふぬぬぬぬ……!!」


 まさか早朝から魂の叫び声を上げるわけにもいかないので、私は静かに、しかしふつふつと沸き立つ怒りを胸にうなった。これで今この瞬間に、のこのこ蕗塔さんがやってきたとしたら、いったいどうしてやろうか。


「おっはよー!」


 噂をすれば、だった。

 本当に能天気な顔で、蕗塔さんが校門前にやって来たのである。


「お前……!!」


 私はそんな蕗塔さんを目の前にして、思わずそうつぶやいてしまった。いけないいけない。普段こんなキャラじゃないのに。


「え? どうしたの舞ちゃん? 顔怖いよ?」


 相変わらず蕗塔さんは遠慮がなかった。私は頭のてっぺんから煙が出そうなくらい怒って、怒鳴りそうになるのを必死でこらえて、なるべく穏やかに言った。


「どうして七時って言ったのに、今さら来たわけ?」


 私はこう言っただけで、十分伝わると思っていた。落ち着いた声色でありつつ、結構怒ってるということも、今の言葉から伝わったはずである。少なくとも蕗塔さんが、ぎょっとした顔をすると思っていた。しかし。


「え? 私、何か悪いことした?」


 むしろ蕗塔さんはきょとんとした表情で、聞き返してきた。しばらくにらみつけても一向にその表情を変えようとしないので、私はより分かりやすく言い直すことにした。


「だから! どうして集合時間七時って言ってたのに、今さら来たわけ!?」


 私はなるべく表現がとげとげしくならないように気を付けて、絞り出すような声を発した。よく考えれば私も時々遅刻する癖に、人の遅刻にとやかく言える筋合いがあるのかという話だが、とにかく私は頭に血がのぼっていた。

 しかしそれでも私の怒りを察しようとしないのか、蕗塔さんは首を傾げた。怒っている私の方が馬鹿らしくなってくるような、そんな顔だ。


「今、ちょうど七時なんだけど……」


 とは言え私が怒っているのかもしれない、ということに少しは気付いたのか、ちょっぴり泣きそうな声で蕗塔さんが言った。


「え?」


 しかし蕗塔さんが言ったことが、むしろ私を混乱させた。今がちょうど七時? じゃあ私が三十分ほど前に見た七時は、いったいどこの世界の七時なんだ。


「……分かった。舞ちゃん、時計見せて」

「は?」

「いいからいいから」


 私は蕗塔さんに言われるまま、左腕につけていた時計を外して差し出した。その文字盤を見て、ああ、と蕗塔さんは納得したような声を上げた。


「舞ちゃん、今から私が言うことを、よく聞いてね。……あ、いや、正確には私じゃないや」


 そう言いつつ蕗塔さんがかばんから取り出したのは、携帯電話。


「それ……」

「ごめん、大目に見て」


 校則に明記されているわけではないが、携帯を持ってくるのは禁止されている。スマホだろうがガラケーだろうが言い訳無用、たとえ今蕗塔さんが持っているようなトランシーバーのような携帯電話でも、アウトなのには変わりがない。どこからどう見てもトランシーバーであるそのアイテムが一瞬で携帯だと分かった私も私だが、少しにらむ私をよそに、蕗塔さんは『117』と、番号を押してそれを耳に当てた。うんうん、と番号が合っていることを確かめたかったのか、すぐに耳元から離して、蕗塔さんはスピーカーモードに切り替えた。すぐにポーン、とまぬけな音がした。


『午前、七時一分、ちょうどをお知らせします』


 それでもまだ、私の頭は理解することを拒否した。今の時刻は七時三十分過ぎ。七時一分であるはずがないのだ。しかし蕗塔さんはたった今時報のアナウンスを私に聞かせてくれた。それによると、七時一分。


「舞ちゃんの時計、壊れてるんだよ。電池交換してもらった方がいいよ。だって私だけじゃなくて、蒼ちゃんや四宮くんも、一緒にいるんだもん」


 確かにそう言う蕗塔さんの後ろには、神戸さんや四宮くんがいた。四宮くんがいるのは、蕗塔さんと同じうちのクラスからの実行委員だからだろうか。


「私が、間違ってた……?」


 まるで倒され、なおも抗おうとした時、主人公に諭された後のラスボスのようなセリフを吐いて、私は膝をついた。


「でもまあ、仕方ないよ。何で家の時計は見なかったの、って疑問は残るけど、ミスは誰にでもあるから」


 お付きの下っ端よろしく、神戸さんと四宮くんがうなずいた。息ピッタリじゃねえか。


「さ、行こ舞ちゃん。実は集合七時にしたのには理由があって、……」

「……」


 私はその場に倒れ込んでしまった。そしてまぶたが重くなって、みるみるうちに視界が狭くなってゆく。


「うわわわわっ! 舞ちゃん! 舞ちゃん……!? 死ぬなああああっっっ」


 そんな私を見て、露骨に蕗塔さんが慌てだした。こんなことで死んでたまるか、と私は頭の中で考えるのがやっとだった。蕗塔さんも蕗塔さんだ。きっと蕗塔さんは緊急事態の時も騒ぐだけ騒いで、何もしない一番役立たずのタイプなんだろう。

 しかしそんな声も頭の中にこだまするだけになり、やがて私の意識は完全に途絶えた。



* * *



「ん……」


 私が目を覚ますと、そこはベッドの上だった。最後に校門前の地面に倒れ伏したのは覚えていたので、あ、これはあれだ、誰かに助けられて運ばれてきたやつだ、と妙に一人で納得していた。


「あ、寺阪」


 声がした方を振り向くと、そこには四宮くんがいた。私が気が付くまで、様子を見てくれていたというのか。


「……よかった、俺たちもさすがに焦った。急に倒れるから、何かの病気なんじゃないかって」

「ああ……心配かけたんだ、ごめん」

「いや、いいんだ。単に寝不足だったって話だけど」

「生徒会の仕事が忙しかったのもそうだし、今日の朝すごい早く起きたから。それだけで倒れるな、って話だけどね」

「いや、気を付けた方がいいな。部活でも睡眠時間削ってる奴が倒れて、大事になったことがあったから。寝れる時はちゃんと寝ろよ」

「分かった」


 私の返事を聞くと少し笑って、四宮くんは立ち上がった。


「まだ秋祭り始まって、そんな経ってないから。俺は友達のとこ合流するから、適当なタイミングで出てこいよ。生徒会だから、クラスの出し物当番外れてるだろ?」

「うん。分かった」


 すたすたと四宮くんが出て行ったあと、私はのっそりと起き上がって、近くの机に置いてあった腕時計を手に取った。そして部屋の壁にかけてあった時計と、時間を見比べる。同じ時刻だった。蕗塔さんあたりが正しい時間にしてくれたのだろうか。そして四宮くんの言う通り、まだ秋祭りが始まって一時間ほどしか経っていないようだった。


「とりあえず、生徒会本部に行かなきゃ」


 連絡もせずに当日準備をサボってしまったのだ。今日一日ベッドの上で過ごすのはもったいない、と思ったこともあって、私は早速その部屋を出た。


「あ、ここ保健室か」


 秋祭り当日は保健室がそのまま何かケガをした時なんかの応急処置室になる。みんなが私をここまで運んできてくれたのだ。そして、生徒会本部は保健室からそこそこ近いところに設置されているはずだった。


「……!!」


 私は真っ直ぐに生徒会室に向かいつつ、窓の外を見た。そこはすぐグラウンドにつながっていたが、すでに自分のクラスの出し物を見てもらおうと、売り子さんたちが必死に張り上げる声がたくさん響いていた。一応どのクラスも生徒会に案を提出して、許可をもらったうえでやっている。ベタなところで言えばチュロスとか、アイスクリームを出している。あるいは手の込んだお化け屋敷をやっているクラスもある。今年で卒業する三年生のクラスなんかは、せっかくだからと大規模なことをしているところも多い。


「あ、西之瀬さん」


 私はすぐに、西之瀬さんの姿を見つけた。どうやらうちのクラスの売り子担当は彼女らしい。グラウンドを所狭しと動く人たちに話しかけては、うちのクラスのフライドポテトを食べていってくれないか、と言っているようだった。その勧誘がうまくいったのか、近くにいた数人が西之瀬さんの案内で校舎内に入っていくのが見えた。

 ちなみに秋祭りをやっている期間中、香ヶ丘中学校では出し物の投票受付を生徒会本部でやっている。毎年それなりの票が集まり、優勝したクラスはトロフィーと大きな表彰状がもらえる。優勝すると担任の先生がアイスを買ってきてみんなにおごってくれる、というのはよくある話だ。

 私は自分のクラスが優勝するといいな、と思いつつ、少しだけ歩みを早めた。


「あ、寺阪。大丈夫なのか、倒れたって聞いたけど」


 生徒会本部に着くと、同級生の役員の子が話しかけてくれた。


「大丈夫、心配ないよ。それより朝行けなくてごめん」

「いいんだよ、結局準備がうまいこといって、何人かは暇してたしな。それよりせっかくだから、寺阪はどっか回ってきなよ」

「いいの?」

「もちろん、それでできそうなら俺と代わってくれ」


 彼はにっ、と笑ってそう言った。ブースにいた他の子たちにも一通り謝って、私はその言葉に甘えさせてもらうことにした。


「神戸さんとか蕗塔さんとか、知らない?」

「神戸は見てねえなー」


 蕗塔さんはともかく、神戸さんは彼もよく知っていた。神戸さんはうちのクラスだけでなく、先輩からも注目されているそこそこの人気者なのだ。


「あ、でも四宮はさっきここ通ったな。とりあえず五組に行く、みたいな話してた気がする」

「ほんと? 分かった、行ってみる」

「ああ。楽しんでこいよー」


 私は生徒会本部のブースを後にした。ここから私たちのクラス、二年五組までは少々歩くことになるが、たぶん四宮くんがそこにいる確率は高い。そしておそらく、神戸さんや蕗塔さんもそこにいる。

 ちゃんと助けてもらったお礼言わなきゃ、と私は心の中で思って、再び少し早足になった。


 その時だった。


「……久しぶり、舞」


 その声とともに、私は後ろからぽん、と肩を叩かれた。聞き慣れない低い声だと思い、私は後ろを振り向いた。そこにいたのは、私よりも何センチも背が高い、カジュアルな私服を着た男の子だった。しばらく私はその人が誰なのか分からずに首をかしげていたが、やがて昔見ていた姿に重ね合わせて、その名前を口にした。


「実、くん……」

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