香ヶ丘の秋祭り!(1)
私たちの夏が終わった。
私、寺阪舞は二学期最初の日、登校してカバンを自分の席の横に置くなりぷしゅぅーっ、とくたばった機械みたいな音のため息を出して机に突っ伏していた。
「おはよー、舞。……どしたの?」
その様子はあまりに異様だったのか、クラスメイトの子が心配そうに話しかけてくれた。私は特になんでもない、大丈夫、と返した。その子も大丈夫ならいっか、と次の瞬間には他の子のところに話しかけに行ってしまった。
もしかすると私が夏休みの宿題が終わってなくて絶望してるのか、と思う方もいるかもしれない。そんな心配してくれている人のために言い訳しておくと、別に宿題が終わっていないわけではない。確かに私は蕗塔さんみたいに成績がいいわけではないが、(自分で言うのもなんだが)根は真面目なので、夏休みの宿題は計画的に終わらせようとする。今年も無事夏休み終了二日前に、すべての宿題が終わった。バンバンザイ。
ではなぜ私がこうやって二学期初日からくたばっているかというと、単なる夏バテ、というやつである。前にも言った気がするが私はとにかく暑いのが苦手で、夏休み中はポストに郵便物を出しに行くのさえ嫌がる、引きこもりになってしまう。家の中はクーラーが効いているとはいえ、夏バテになる時はなる、と言ってどれぐらいの人に理解してもらえるだろうか。
「おっはよー!」
私が教室に来てしばらくすると、蕗塔さんがやってきた。今日は珍しく遅めの登校らしい。
「舞ちゃんおはよー、蒼ちゃんおはよー、来賀っちおはよー、……」
かと思うとクラスメイト一人一人にあいさつし始めた。いい心がけだけどうっとうしい。私はとっさにそう思ってしまった。どうやら相当体にガタがきているらしい。
「どうしたの、寺阪さん」
またも私の異様な雰囲気を察して心配して声をかけてくれた人が一人。神戸さんだ。
「大丈夫、なんでもない。ちょっと夏バテで」
「最近暑いもんねー」
わたしも学校に来るだけで汗まみれだよ、と言いつつ、神戸さんはかばんからタオルを取り出してわしわしと髪の毛を拭き始めた。
「それに今日は生徒会で会議もあるっていうし」
「そりゃ大変だ、頑張って」
「頑張る。全クラス、真面目にやってくれてたらいいんだけど」
始業式の日、というのは学校にとっても、もちろん生徒にとっても大事な日のはずだ。日本中探してどれくらいかは分からないが、先生が来て夏休みの宿題の回収を始めるまでが勝負、と必死で宿題を片付けている子がいる。今いる私のクラスでも、パッと見た限り五人くらいはいる。
しかし実は、私の所属する生徒会にとっても、二学期最初の日は大事だったりする。
香ヶ丘には昔から、秋祭りというものが存在する。よく他の地域では夏祭りとか花火大会が開催されているが、それらをひっくるめて、香ヶ丘地区全体で九月の終わりにやるお祭りが秋祭りだ。秋祭り、と簡単に言っているが、香ヶ丘地区の小中学校の音楽会や文化発表会も全てこのお祭りに集約されるから、とんでもないビッグイベントなのだ。ただ一つの会場でドカン、とやるのではなく、丸一日使ってこの時間はここの小学校で音楽会、この時間で香ヶ丘中学校で文化部の展示、この時間から各小中学校の運動場で屋台の営業が始まる、そして夜のこの時間からは花火大会、とタイムテーブル制になっている。
そして何を隠そう、自治会も全面協力するこの秋祭りに運営側として主導する位置にあるのが、我らが香ヶ丘中学校生徒会なのだ。そして始業式の日には各クラスで男女一人ずつ実行委員を決めてもらい、さらにはタイムテーブルの最終調整などを会議を通して行う。各実行委員に仕事を割り振るのは、そのもう少し後だ。
「全クラス、マジメにねえ。確か、その場のノリで実行委員決めちゃうクラスもあるんでしょ」
「うん、そう聞いてる」
先輩からの話では例年、ふざけて勢いしかない連中を実行委員に推薦したり、はたまたそもそも実行委員の推薦をしないクラスさえあるという。勢いしかないならまだいい。後で苦労してもらうだけだ。だが実行委員決めを忘れてました、と悪びれもせずに言ってくるクラスが一番困る。そうなった時に一番困るのはクラスではない、生徒会なのだ。
「うちのクラスはどうなるんだろうね」
「神戸さんみたいに人望が厚い人だと助かるんだけど」
「わたしは無理かな、陸上部の方で大会も控えてるし、今年は秋祭りにガッツリ参加、っていうのは難しいかも」
「そっか……」
あわよくば女子は神戸さんになってもらえると助かる、と言ったのだが、断られてしまった。さすがに大会前の大事な時期なのに仕事を押しつけるのは忍びない。
「おーい、ホームルームやるぞー」
そうこうしているうちに杉下先生がやってきて、始業式の説明を始めた。何とかならないもんかねえ、と私は再びぷしゅぅーっ、とため息をついた。
* * *
私たちのクラス、二年五組が震撼したのはその一時間半後のことだった。
「はいはいはい! 私実行委員やります!」
発表大好きな小学生よろしく、蕗塔さんが立候補したのである。当然、クラス全体がざわついた。
「いや、いくらなんでも厳しいだろ」
「まだここに来て半年だろ? そもそも秋祭りのこと知ってたのかよ」
男子がちょうど蕗塔さんに聞こえるくらいの声で愚痴を言った。ただの嫌がらせだ。私は気にするな、という目線を蕗塔さんに送った。しかし、
「残念ながら知ってるよ。昔香ヶ丘にいたからね」
そう言いつつ蕗塔さんが懐から水鉄砲を取り出した。それを見て、明らかに男子たちが焦り始める。また石けん水をぶちまけられると思ったらしい。
「やめて!」
私は叫ぶ。といっても男子たちがかわいそうだからというわけでは断じてない。石けん水なんかぶちまけられると後で掃除が大変なのだ。一学期の始業式の日、掃除当番だった子が文句を言っていた。
しかし私の思いは届かなかった。代わりに蕗塔さんから私に向かって飛んできたのは、謎のウィンクだった。大丈夫、心配なさんな、というサインだろうか。だとしたら全然大丈夫じゃない。勘弁して……
「てぇーい!」
私の訴えも虚しく蕗塔さんの持つ水鉄砲からブツが発射された。しかし発射されたのは石けん水どころか、液体ですらなかった。ポンポンポンッと、白い錠剤が男子たちの口に向けて放たれる。男子たちの反省は生かされることなく、あっけにとられてあんぐりと開いた口の中に入り、そのままごくりと飲み込んでしまう。水はいらなかったのか。
「うーん?」
ほどなくして犠牲になった男子たちが一斉にうつらうつらし始めた。そして頭を何往復分か振った後、そのまま机にダイブ。何が起こるのかみんな生唾を飲む中、彼らは眠り込んでしまった。
「護身用の睡眠薬が効いたね〜」
どこが護身用だ。むしろ凶器の部類だろ。
私は叫びそうになったのをぐっとこらえた。
「じゃ、じゃあ、女子の実行委員は蕗塔で、問題ないか?」
この流れは一学期の始業式と同じ、自分もやられるかもしれないと身の危険を察したのか、杉下先生がおそるおそる蕗塔さんに尋ねた。私たちも変なことを言って眠らされても困るので、異論は唱えなかった。
「じゃあ、次男子だな。男子で実行委員、立候補してくれる奴ー」
そう言った途端、教室の真ん中の方ですっ、と手が挙がった。それを見て、杉下先生が明らかに安心した顔をした。
「よかった……
すっかり決まったみたいな顔をして杉下先生が言う。四宮、と呼ばれた男子生徒の方もにこりと笑顔を浮かべるだけで何も言わなかった。他の男子生徒も何も言わなかった。厄介な蕗塔さんを見てくれるなら喜んで任せる、というところだろうか。
「よし、じゃあ寺阪、これ、よろしく頼む」
私は決まった実行委員の名前を書いた紙を、杉下先生からもらった。例えば校舎の装飾作りや模擬店のお手伝いのシフトなんかを、この実行委員で決めたりする。
「はい。分かりました」
かくいう私も男子の実行委員が四宮くんに決まって、内心ホッとしていた。四宮くんが真面目だということは私も含め、みんなよく知っていたことだからだ。たとえ蕗塔さんが何か不祥事をやらかしても、四宮くんならうまくカバーしてくれそうだ。
それから始業式が無事終わって、生徒会室に向かう私の足は軽やかだった。
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