振り回す振り回されるの関係(4)

 それからの休日は多忙そのものだった。ハル姉が高校に上がったら忙しくなって、こんなにのんびり帰省してられないかもしれない、ということで、とにかくいろんなところに遊びに行った。

 スカイツリーに東京タワー、ディズニーランドと都心部を経由する必要はあったが、東京で有名なところと言えば、という場所には行った。途中で東京メトロを使ったがゆえに家族サービスをする先生に見つけられたが、特におとがめはなかった。夏休み明けたらプリントやりますから、というでたらめな逃れ方が通用したというのか。


「こんなに遊べるのも今年いっぱいかもしれないしね」


 中高一貫校は高校受験がないと言っても、ゆっくりできるのも中学まで。もちろん学校によっても違ってくるようだが、ハル姉の高校はそれなりにレベルが高いところで、どれぐらい忙しくなるのかまだ分からないらしい。ハル姉はテニス部に入っているので、そちらも忙しくなる。


「でも補習は逃げるんでしょ?」

「え? もちろん」


 そんなの自然の摂理ではないか、とでも言うような口ぶりだった。東京メトロやその他私鉄、JRまで使ってやってることは先生から逃げるだけなんて、私ならたぶん緊張とドキドキハラハラで目が回りそうだ。そもそも先生から逃げるだけでお金を使いすぎだし、犠牲も払いすぎている。結局バーベキューをした次の日、新宿駅の防犯カメラにイカスミをぶっかけた件で謝罪と掃除に行っていた。私はよく防犯カメラが壊れて弁償、なんてことにならなかったものだ、と心臓のあたりがきゅううっ、と締め上げられる思いだった。


「あぁ。彩のとこは環状線だし一本しか電車通ってないから、逃げられないのか。残念」

「そういう問題じゃないよ」

「楽しいよ、うまくいけば車窓の風景を楽しむこともできたりするし、ちょっとした遠出よりよっぽどいいよ」

「ドキドキしてそんなの楽しむ余裕ないよ……」

「えー、つまんないの」


 ハル姉は口を尖らせて言った。しかしすぐに私の頭をくしゃっ、と撫でて言葉を続けた。


「でもさ、今年はよかったよ」

「よかった、って?」

「彩がこんなに変わってくれてさ。去年までとは大違い」

「正確に言えば、去年から変わろうとはしてたんだけどね」

「そうなんだ。でも、今年は見違えるほど変わってる。なんかこう、明るくなった。去年までは何聞いてもボソボソしゃべるしさ、結構神経使ってたんだよね」

「ストレートに刺さること言うね」


 私のことを言われているはずなのに、なんだか冷や汗が出てきた。


「刺さるっていうけど、自分でも考えてみたらそうじゃない? なんなら去年撮った動画とか見せよっか?」

「ううん、いいよ。遠慮しとく」

「……の影響、そんなに大きかったかー」

「ヒュウもだけど」


 私は念を押すように、ハル姉に言った。


「ヒュウが言ってくれたの。舞ちゃんに会いに行けばいい、って」

「ヒュウが?」

「たった三ヶ月のことだったし、もしかすると舞ちゃんは私のこと、覚えてないかもしれない。けど私の中で舞ちゃんと一緒に遊んだ記憶が残ってるなら、その記憶が色あせないうちにもう一度会って、記憶を”更新”するべきだ、って」

「記憶を更新する、ね……ロボットみたいな言い方」

「実際、舞ちゃんは覚えてなかったけどね。でもこの間も言ったけど、それでいいんだ。これから思い出が作れるなら、それで問題なし」

「……そっか」


 そろそろ夏休みの宿題に手をつけないとやばい、とハル姉が言い出したので、二週間ほど経ってハル姉は先に帰ることになった。私たち家族は最初に言っていた出張講義とはまた別の仕事で帰ってきておらず、その何日か後のお父さんの合流を待つことになっていた。そしていろんなところに遊びに行っているうち、いつの間にかハル姉と一緒にいられる最後の日の夜になっていた。私とハル姉は二人で東京タワーの展望室に行って(本当ならスカイツリーに行きたかったのだが、単純にお金がなかった)、夜景を見下ろしていた。


「こう、きれいなもの見ると目の保養になるよね。きれいなとかさ」

「中学生男子みたいな発言しないで」

「え? 男子小学生ぐらいの気持ちで言ったんだけど」

「どっちでもいいよそこは」


 冗談はさておき、私たちの足元には人工物で彩られた夜景が広がっていた。日本三大夜景と言えば神戸、長崎、函館の三都市の夜景を指すが、それに劣っていない気さえした。


「私たちはさ、夜景の何に感動するんだろうね」

「え?」


 突然ハル姉が哲学的にも聞こえる問いを発してきたことに、私は素で少し素っ頓狂な声を上げてしまった。


「だってさ、夜景なんて真っ暗なところに適当に明かりついてるだけなのに。そりゃ壮大な湖、とか、日本一高い山、とか、アピールポイントがあるならこっちもそこに感動すればいいのか、って分かるけど」

「夜景にはそういうアピールポイントがない、って?」

「彩はそう思わない?」

「アピールポイントがないからこそ、いいのかもしれないよ? 答えになってるかどうか分からないけど」

「なってないね」


 即答された。しかし私は続けた。


「当たり前かもしれないけど、物事に全部答えがあると思ってたらダメなんだと思う。答えがない問題に答えを出そうとしてるから、お父さんだって研究者をやってる。私はお父さんの貪欲とも言えるその姿勢を見て育った。だから答えがなくても、なんだないのか、ぐらいにしか思わなかった。答えがないなら、探すしかないし」

「……!」


 ハル姉が私を驚きの表情で見た。それは言われたことにびっくりしたというよりも、私がそんなにはっきりと物を言ったことに対する驚きのようだった。


「まあでも、それはいいとして。夜景はきれいだよ、ハル姉もそう思うでしょ?」

「え? あ、えっと、うん。まあ、そう思う」

「それでいい気がするんだよね。きれいだな、終わり、でもさ」

「……」


 ハル姉はしばらく黙り込んだ後、夜景の方に向き直った。それから何でもないことのように言った。


「彩、ほんと変わったね」

「もうそれ、何回も聞いたよ」

「今のその世界の見方を、大切にしてほしい」

「え?」


 今度は私が驚く番だった。


「今までは世話のかかる従姉妹だな、ってばかり思ってた。正直言うとね。けど今の彩なら、応援できる。頑張れ」


 ハル姉が私の方に手を出してきた。私はそれをハイタッチする合図だと受け取って、ちょっと音が鳴るようにその手に手を合わせた。

 ハル姉は笑顔だった。それを見て、私も笑顔になった。



* * *



「じゃ、今度会うのは年末か」

「そうだね」

「彩はかわいいんだから、彼氏の一人くらい作りなよ?」

「ハル姉は先生にこれ以上、目をつけられないようにね」

「あー、それかー、まーたあの顔見なきゃいけないのかー。ま、ほどほどにのんべんだらりとやりますわ」

「そんなので大丈夫なの?」

「大丈夫だ、問題ない」

「それダメなやつ」


 元気でいなよ、とハル姉は言いつつ、そそくさとバスに乗り込んだ。私とお母さんはバス停でハル姉を見送っていた。乗客はハル姉しかおらず、私たちに乗る気がないのを確かめるとドアを閉めて、バスは行ってしまった。


「今年はやけに、生き生きしてない?」


 さすがにお母さんにも分かっていたようだった。私はうなずく。


「今年はちょっと、いろいろあってね」


 家に帰れば、いよいよ夏休みもあとわずか、その後には二学期が始まる。今度は舞ちゃんや蒼ちゃんとどんなことしゃべろうかな、と早くも私はわくわくしていた。

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