振り回す振り回されるの関係(3)
「どうしたの、そんなところでうずくまって? かぜ、ひいちゃうよ?」
「……っ」
それは幼稚園の頃。もう十年も前のことだ。私もハル姉も、その時は香ヶ丘に住んでいた。そして歳が近いこととか、従姉妹だからとかいろんな理由があって、よく一緒に遊んでいた。そんな時だった。
私は昔から体を動かすことが苦手で、何かにつけてすっ転んでケガをしていた。ひざを擦りむいて公園で泣いたこともあった。その時もそうだった。何度も転んでいればだんだん自分が転びそうな瞬間が分かるのだが、分かり方は中途半端だった。下手に転んでまたケガをしそうということが分かったために変な対策をしてしまい、むしろひざもひじも擦りむき、前のめりに転んでどこから痛がればいいか分からなくなっていた。いつもならハル姉がおぶって連れて帰ってくれていたのだが、その時は想像以上の大ケガにハル姉の方が慌ててしまい、ハル姉はお母さんを呼びに先に家に帰ってしまったのだ。私は体中の痛みに耐えながら、一人寂しくうずくまっていた。そんな時だったのだ。
「とりあえずあったかいところに……」
「……あったかい、ところ?」
その公園の近くに、暖房の効いた屋内などなかった。あるとすれば家くらいだったが、あいにくその時の私に家まで一人で歩いて帰れるほどの体力はなかった。そんな私を、突然現れた彼女はおぶって、どこかへ向かい始めた。
「……どこにいくの?」
「とりあえず、あなたのうち。ひどいけがだから」
公園から私の家までは、少し離れていた。その時のことは、よく覚えている。見ず知らずの子に対してそんな風に接することができる子を、私は不思議に思った。そして、こう口に出した。
「おねえちゃん、なんてなまえ?」
その子の顔は私から見えなかったはずなのに、その子が少し、笑ったように私は感じた。
「まい。てらさか、まいだよ。わたしのことはまい、でいいよ」
「……まいちゃん」
「なに?」
「ありがとう」
「しんぱいしなくていいよ、わたし、あなたみたいなこみたら、ほっとけなくてさ」
舞ちゃんは会ったこともないはずの私のことをそんな風に気にかけてくれて、そして私を家に連れて帰ってくれた。
後にハル姉が公園に探しに来て、ハル姉の方が迷子になってしまったという、別の問題もあったのだが。
「あれ、あなたは」
それから一週間ほど経った日のことだった。私はいつものように幼稚園から帰って来て、公園に行った。そこのブランコに、舞ちゃんがいたのだ。私はもちろん覚えていたが、向こうも私のことを覚えてくれていたみたいだった。
「まいちゃん!」
すぐさま私は隣のブランコに乗った。
「ひさしぶり、ケガはどう?」
「だいじょうぶ!」
私はバッチリVサインを舞ちゃんに見せた。舞ちゃんはよかった、と言って笑った。
「あ、そういえば。なまえ、きいてなかったね」
「わたし? わたしはふきのとう、さやだよ」
「さや、さや……うん。おぼえとくね」
それから私は、舞ちゃんとよく遊ぶようになった。私がいつもの公園に行くと舞ちゃんがいて、いない時も私がブランコで適当にぶらぶらしているうち、五分もすれば舞ちゃんがやってくる。いやに時間が合うことに気付いて、ようやく私と舞ちゃんが同級生なのだとお互いに分かった。
やがてその輪に、ハル姉も加わるようになった。ハル姉が舞ちゃんを知っているのはそのためだ。
私はその時、舞ちゃんとたくさんの思い出を作ったつもりだった。すぐに幼稚園でも一緒に遊ぶようになったり、幼稚園の行事で少しどこかに行く時には、私が勝手に舞ちゃんの組の方に行ってよく怒られた。いちいちエピソードを上げれば、たぶんキリがない。さすがに十年も経てば忘れてしまったことも多いだろう。
しかしそんな日々は、唐突にして終わった。
私が舞ちゃんと知り合って三ヶ月と経たないうちに、私が引っ越すことになってしまった。理由は、お父さんの都合。お父さんはその頃から研究者として注目されつつあって、他大学に引き抜かれた。その時住んでいたところと新しい大学とは遠く離れていて、本当なら単身赴任の方が妥当なのかもしれないが、お母さんの方がそれを嫌がった。まだ小さい私を気遣ってくれたのだ。だから、たった三ヶ月で私は舞ちゃんともハル姉ともお別れになった。
「また、あえるよね」
いよいよ引っ越しは明日という日になって、幼稚園でお別れ会をしてくれた。それが終わって、私と舞ちゃん、ハル姉の三人で一緒に帰ることになった。その時、舞ちゃんの方から私にそう言ってきてくれたのだ。私はそう言ってもらえただけで、なんだか嬉しかった。幼いながら自分が必要とされていたことを認識したのかもしれない。
「あえるよ。きっとね」
「わたしはこっちにのこるし、だいじょうぶ」
ハル姉のフォローもあった。その時の私は、すごく安心したのを覚えている。
また、会えるから。
それは舞ちゃんを一番の親友と認識していた私にとって、魔法のような言葉だったのかもしれない。そして私に後々まで影響を与えてくれたのは、舞ちゃんなのかもしれない。
* * *
「バーベキュー? いいねえ」
私たちがおじいちゃんの家に着いた、その日の夜。晩ご飯はみんなでバーベキューをすることになった。あらかじめおじいちゃんがこの日のために肉や野菜を買ってくれていたらしい。
「彩はそこで見てなよ。私が今から、炭火焼き名人の技を披露するからさ」
「どういう技それ?」
たぶん一番気合いを入れていたのはハル姉だ。特に少し疲れていた私とは機敏性が段違いだった。オリンピックで競技前に準備体操をする選手のようなしなやかな動きだった。
そしてその動きのまま、ハル姉は次々に炭を放り込んでゆく。もちろん屋外でやっていたが、だんだん炭火焼きの独特の匂いが漂い始めた。彩、早く! と呼ばれ、私はふと我に返って野菜や肉を金網の上に敷き詰める。
「あちっ」
少し金網に手を近付けすぎたせいか、熱く感じて手を引っ込めた。何よ情けない、とでも言いたげな目でハル姉がこちらを見る。
「貸して。もうちょっといける。彩はタレの用意を」
「はっ」
反射的に私はそう返事して、使い捨ての容器に人数分のタレを注ぐ仕事をする。そして、あちょーっ! などと言いながらタレを入れ終わった容器に肉を放り込むハル姉を見た。
私は、ハル姉みたいになりたかったのかな。昔から、私はハル姉に振り回されてばかりいた。ハル姉の突拍子もない行動についていくので必死だった。ついて行った結果ハル姉と一緒に怒られて、どうして私まで、と思うことも多々あった。ハル姉に対してなんてやつだ、と思うと同時に、こんな性格だったらよかったのかな、見える世界が違ったのかな、とも何度か思った。
違う視点から見える世界が知りたくて。ハル姉の見ているものに単純に興味があって。そして、今の私があるのかもしれない。
結果はまだ分からない。世界が変わったと実感したことはない。でもこれまでとはまるで違う考え方ができているのは事実だった。舞ちゃんが私のことを覚えていなくてもそれでいい、今から思い出を作れば上書きされてなんとかなる、そんな考え方になったことなど初めてだった。
「ほら、彩? できたから食べよ? さっきからボーっとしてさ、どしたの?」
よほどぼやぼやしていたのか、まだ肉を焼いているハル姉からそう言われた。おじいちゃんやおばあちゃん、お母さんもうんうん、とうなずいていた。
「ううん、何でもない。大丈夫」
私はいただきます、とハル姉に向かって言って、お肉を頬張った。名人の称号は確かなものらしく、焼き加減は絶妙だった。
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