振り回す振り回されるの関係(2)
「よっ」
突然私は、後ろからそう声を掛けられ、肩を叩かれた。反射的に振り返る。
「やっぱ正解だった。彩、久しぶり」
ハル姉だった。例年ならおじいちゃんの家で待ってくれているはずなのだが、今年は東京駅まで迎えに来てくれたのか。
「今年は一緒に来てくれるの?」
「え? あー、まあ、そういうところかな」
「違うね。今の返事絶対違う時のだよね」
「そう聞こえた?」
「そうとしか聞こえなかった。……あれ? また学校から逃げてきたの?」
「なぜ分かった」
「この時期いつもそうじゃない。去年も、おととしもそうだった」
私はそんなハル姉に向かって少しため息をついた。私が想像もつかないようなことを、ハル姉は簡単にやってのけてしまう。
「今年はちょっと大変だったかな。裏の裏の裏をかかれちゃってさ」
「裏の裏の裏って……」
話を聞く限り、東京メトロやJRを乗り回して、結局人ごみに紛れられるように東京駅にやってきたらしい。去年は東京メトロを乗り回してどこがどの路線の乗換駅になっているか、慎重に調べていたせいで危うく先生に何度か捕まりかけたというから、少し成長したのかもしれない。と言っても、成長していいところかどうかは疑問だが。
「でももう大丈夫だから。今日で補習も終わって夏休み、先生が私を追いかけ回す権利もなくなったから」
「そんなことはないと思うけどなあ」
ハル姉がそんな呑気なことを言う時は、大抵よくないことが起こる。
『さて……聞こえるか、鈴蘭』
「ひっ」
慌てた様子でハル姉が端末を取り出した。そこにはいかつそうな男の先生の顔が映っていた。
『今の話はすべて聞かせてもらった。だが残念ながら今日いっぱいはお前を追いかけ回せる権利がある。仮に今日見つからなくても夏休み明けにみっちり補習の間の教材をやってもらうからな、覚悟しろよ』
「あ、教材やるだけでいいんですね。じゃあそっちの方がいいです」
『なに?』
端末の向こうで素っ頓狂な声が上がった。そんな返事は予測してない、と言わんばかりの声の裏返りようだった。
「私は延々復習と称して何時間も何日も教室に縛りつけられるのが嫌だっただけなので。大人しく夏休み明けにプリントその他もろもろはやりますから、今日はもう追いかけ回さないでください。これから祖父のところに帰省しますし」
『あ、ああ……』
その先生が次の返事を迷っているうちに、ハル姉は通話を切ってしまった。何たる非情さ。しかし次の瞬間にはハル姉は屈託のない笑顔を私に見せた。
「さ、邪魔者もいなくなったし、行こっか」
やっぱりハル姉は私の何歩も先を行っている、そう思った瞬間だった。
* * *
バスの中で、私はハル姉と去年会ってからあったことをいろいろ話した。いつもならおじいちゃんの家に着くとハル姉が待っていて、最初の日にやることだったのだが、今年は少し予定が早まった、というところだろうか。
「ねえ、彩」
「なに?」
そうやって話しているうち、不意にハル姉が私に尋ねた。
「彩、なんか変わった?」
「え?」
「去年までと、全然雰囲気が違う。すごい、心の底から楽しそうな感じ」
「そう見える?」
私はにこにこしていた。
「……
「まあね。きっかけになってくれたのは、間違いないよ」
私はうなずいてそう言った。ハル姉には、学校であった話なんかもいろいろと話している。
「そう言えば香ヶ丘には引っ越したわけ?」
「うん、予定通り。舞ちゃんにも会えたし」
「へえ、舞に。よかったじゃん」
「香ヶ丘にいなかったらどうしようとは思ったけどね。どうせいるだろうって思って引っ越しを決めてから調べたから、少しだけ焦った」
「あれ、彩にしては結構ズボラ。もし舞が違うところ行ってたらどうするつもりだったの」
「それはまあ、その時考えてたと思うよ」
「だいたいだなあ」
私は香ヶ丘に引っ越す前に、舞ちゃんのことをいろいろ調べている。さっき言ったのは、寺阪家の転居記録だ。舞ちゃんが生まれてから十三年間、どこかに引っ越したりしていないか、という情報である。幸い、どこにも引っ越してはおらずずっと香ヶ丘にいるということだった。
「それで? 舞の方は覚えてたの?」
「ううん、全然」
「なんじゃそりゃ。肝心の舞が覚えてないんじゃ意味ないじゃん」
「まあ、そうだけどね。でも覚えてなくてもいいんだ。これからたくさん思い出を作っていけば、それで昔の記憶の代わりにはなるから。ほら、中高時代の友達は一生もの、って言うでしょ?」
「確かに聞いたことはあるけど……」
ハル姉は本当に心底不思議だ、と言いたげな顔をして、改めて私の顔をまじまじと見つめた。
「彩、ほんとに変わったね。この一年、何があったの?」
* * *
おじいちゃんの家に着いたのは、昼をとっくに回ったころだった。お母さんがあらかじめこれぐらいの時間に着く、ということを伝えてくれていて、おじいちゃんの家のインターホンを押すと、縁側の方に回ってくるように言われた。そして早速スイカを食べさせてもらえることになった。
「宏はまた学会か何かかい?」
「ええ……何でも都心の大学の方で、出張講義だそうで」
「あいつもこんな時ぐらい、断ればいいものを」
おじいちゃんは帰省の時期にも奥さんと娘と別行動をしている息子に対して、憤りを通り越して呆れた、という様子でお母さんにそう言った。
「機械工学の分野でもそこそこ有名な教授になってしまったものだから、きっとそういうのも断れないんですよ」
お母さんもお父さんのことをフォローする。私もお父さんが家にあまりいない生活には、残念ながら慣れてしまっていた。
「ちゃんと二人を大事にしとるか、うちの宏は」
「ええ、おかげさまで。以前はもっとひどいものでしたけど、最近では週に一度は帰って来てくれます」
「それでも週に一度か……すまない、愛想を尽かさないでやってくれ」
「いえいえ、とんでもありません」
私とハル姉はスイカを食べながら、お母さんとおじいちゃんの話を聞いていた。お父さんの実家とお母さんは、決して仲は悪くない。ただ双方とも、研究に熱中しすぎているお父さんのことを心配していた。
「大変だね、彩のとこも」
同情するようにハル姉が言った。私もうなずく。
「彩の機械いじり好きって、お父さんの影響なんでしょ?」
「うん、そうだね。昔はいろいろ、お父さんと一緒に作ったりしたし」
例えば、と私はスカートのポケットからあるものを取り出した。それは外見が真っ黒の、財布やパスケースに似たものだった。
「これは?」
「スキミング、って知ってる?」
クレジットカードの磁気テープの中に入っている情報を不正に抜き取ることだ。そのまま別のクレジットカードにその情報を書き込んでしまえば、悪用ができるというわけである。
「ドラマなんかでもたまに見るよね」
「今ではその被害なんかも認知されてきて、対策用のカードとかも売ってたりするけど、それじゃ根本的な対策にならないこともあるんだよね。自分のカードは守られるかもしれないけど、犯人をとっ捕まえることはできない」
「まあね。で、どうするの?」
「スキミングにもいろいろあって、ICカードみたいに読み取るタイプとか、あるいはこう、スキャンするタイプとか。そういうスキミングの装置が接触したら、自動的にその装置の使用者に電流が流れるようにしたものだよ」
私はクレジットカードをレジで通す時のような仕草をしつつ、ハル姉にそう説明した。ちなみにこれは私が小学六年生の時に開発したものだ。ぴったりと装置がくっつかなくても、情報を抜き取ることのできる距離に装置が近付いた時点で相手に電流が走る。それを聞いて、ハル姉が少しぞっとした顔をした。
「それ、どんくらいの電流?」
「うーん、まあ脳の電気信号に干渉して、軽く一時的な半身マヒを起こすくらい? あ、大丈夫、今のところ電流で被害報告は出てないから」
「そういう問題じゃない」
ちなみに開発してから私は財布にこれをつけていて、実際にスキミングしようとしてきた輩を逮捕に導きつつ、着実に改良を重ねている。昔開発したものの中には何のために使うか分からず、ガラクタ扱いになってしまったものも少なくないのだが、このスキミング対策装置は現役なのだ。
「それ結構ヤバいんじゃないの? 感電死とか、下手すればしそう」
「だから大丈夫だって、スタンガンも強いのじゃなきゃ気絶はしないでしょ? それと同じで、あばばばば、ってその場から動けなくなる程度で済むから、問題ないの」
「だからそれが問題なんだって」
私は昔から、何かとハル姉にツッコまれることが多かった。だからこの手のダメ出しに近いのもお手の物だ。
「……まあでも、確かにそれが彩のスタンダード、っていうか」
ペペペペペッ、とハル姉は器用にスイカの種を地面に向かって吹き出して、先に中入っとくね、と私に言い残して玄関の方に回っていった。それを見届けて、私はぼんやりと、ギラギラ照り付ける太陽が支配する青空を眺めた。
「私が変わった、か……」
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