振り回す振り回されるの関係(1)

 結局、二泊三日に及んだ久義浜プチ旅行は特に問題なく終わった。花火を見た次の日も海で遊んだ。その際かき氷を食べ過ぎた舞ちゃんがお腹を壊したり、晩ごはんに蒼ちゃんがたらふくお刺身やイカやらタコやらと食べ過ぎてお腹を壊したりと、トラブルはあったが幸い大事にはならなかった。


 そして七月も終わり、いよいよ八月。八月も始まったばかりの六日、この日私——蕗塔彩は、お母さんと一緒に新幹線のホームに立っていた。

 私の誕生日は明日、八月七日。そしてこの日周辺に東京にいる父方のおじいちゃんの家に帰省し、従姉妹と会って一、二週間過ごすというのが、うちの毎年恒例の行事になっていた。八月の最初の方はまだ大学があるらしくお父さんは休みではないのだが、ちょうど大学で前期授業が終わったぐらいから、主に東京の方で一般人向けに公開講座をしなければいけないということで、結局合流する形になる。そこで私とお母さんの二人で先に行ってしまう、というわけだ。


「彩ももう十四歳なのね……」

「去年も同じようなこと言ってたよ?」

「あら、そう?」


 新幹線に間に合わないとなっては大変なので、私たちは早めに駅に来て、新幹線が来るのを待っていた。


「今年はプレゼントあげたかしら?」

「ううん、まだだよ」


 これも毎年のことになってしまっているのだが、私のための誕生日プレゼントをあげたかどうか、お母さんはすぐに忘れてしまう。十四歳にもなれば実はサンタさんは、という話も知っているし、毎年毎年プレゼントをおねだりするのもなあと、私は時々思うのだが、誕生日プレゼントはゲームソフトなので断るわけにもいかない、と変な葛藤をしている。

 これまで言ったことはなかったが、実は私はそれなりにゲームをする。しかも教育用で結局遊んでるのか勉強してるのか分からない、という類のものではなく、がっつり娯楽に特化したソフトばかりだ。昔勉強にばかり興味を持っていた私を心配して、そういうゲームをお父さんが買ってくれたのが始まりらしい。小学三年生か四年生の頃にそんなことがあって以来、私は勉強ももちろんしつつも、ゲームもかなりの時間遊んでいたりする。


「……今年は少し趣向を変えてみないかしら」

「趣向?」

「そう、ひとまずゲームソフトじゃなくて、……」

「もう少し安いの?」

「ええ。そうね」


 普通こう聞かれると適当にごまかしたりはぐらかしたりして、あまりはっきりとは言わないのだろうが、私のお母さんの場合は違う。素直に認めてしまうのだ。私もそのことは分かっているので、特に追及はしなかった。


「でも安いものって言われてもなあ……」


 娘に「今年は安いものしか買わない」と宣言してしまう親もそれはそれでどうかという気も私はするが、私のお母さんは昔からこういう人なのだ。仕方ない。


「誕生日だけじゃなくて、何かと面白そうなゲームが出たら買ってるでしょう? だから家でもしまうところがなくて……」

「なるほどね」


 そういう見方もあるか。確かにうちにあるゲームソフトの数を考えれば、ちょちょいとクローゼットに入れるには多すぎる。じゃあ、どうしようか。食べ物や入浴剤みたいな”消えもの”は個人的に嫌だし、そうなれば……


 そう考えているうちに新幹線が来て、私たちは東京行きのその列車に乗り込んだ。



* * *



 鈴蘭遥すずらん・はる

 それが私の従姉妹の名前だ。私の一歳年上で、東京の中高一貫校に通っている。東京の中高一貫校と言ってもたくさんあるので、そのレベルはピンからキリまであるが、たぶん元の頭がいいのは間違いない。ただ、頑張って目立とうとしている私とは違い、もともといろんな意味で目立っている子でもある。

 そんな彼女を私はハル姉と呼び、向こうは私のことを彩と呼んでくれている。


『まもなく、終点、東京です。中央線、山手線、……』


 乗ってから三時間もすれば、東京には着く。そんなに速い交通手段なんてなかった頃は数日どころの話ではなかったのだから、技術の進歩は目覚ましい。私たちは降りる準備を始めた。


『……と、地下鉄線はお乗り換えです。お降りの時は、足元にご注意ください』


 と言っても東京駅からまた別の路線に乗り換えて、そこからバスで移動するから、まだまだじっとしていないといけない時間は続く。しかし私は新幹線さえ降りる前から、ハル姉に会うのを楽しみにしていた。


 だって今年は、私が初めて変わった年・・・・・・・・・・だから。



* * *



「はあっ、はあっ、……」


 一方その頃。

 東京メトロ丸ノ内線・新宿駅。あちこちを走り回って汗だくになった髪を揺らしながら、私は息を切らしてホームに立っていた。私の名は、鈴蘭遥。

 本来中高一貫校である私の通う中学校は、まだ夏休みに入っていない。いや、正確には一学期の終業式はとっくに終わっていて、形式上は夏休みに入っているのだが、全員参加が原則の補習授業が、終業式が終わってからも続くのだ。間もなく終わって本当の意味で夏休みに入るとは言え、この日も学校ではしっかり授業を行っていた。それなのに、である。私鈴蘭遥は、学校の最寄り駅から遠く離れた場所で、こうして息を切らしている。


「はっ……!?」


 ふと私は、怪しげな目線が自分に向けられているのに気付いた。辺りを見回す。特に自分をじろじろ見つめている人はいない。とすれば、


「そこか!」


 私は制服のスカートの中、腰に直接挟んでいた水鉄砲を取り出し、すぐさま一点に狙いを定めて発射した。ターゲットは、ホームに設置された三台の監視カメラ。そのレンズに向かい、私は的確にイカスミを塗りつける。イカスミはある程度粘度があり、一度レンズに吹きかければ長くとどまってより目くらましができる。突然のことで混乱したのか私を探そうとグリグリ動き回る監視カメラたちを尻目に、私はそのまま丸ノ内線の電車に乗り込んだ。


「これである程度、撒けたか」


 普通カメラにそんなことまでして逃げるなら、他の路線の電車に乗ることを選択するのが自然だ。特に新宿駅という一大ターミナルであれば、JRや京王線、都営地下鉄に小田急まで通っている。そのどれかに乗った、さあどの方面に行ったと先生たちは探すだろうが、その思い込みを逆手にとって丸ノ内線に乗り込む。まさに裏の裏をかく作戦だ。


「(……まあさすがの私でも、JRで名古屋の方に下る、なんてことはしないけどね)」


 そんなことをすれば逆に自分が帰って来れない可能性がある。とりあえず東京周辺を逃げ回れるだけのお金は持っているつもりだが、いつまでもつか。

 私は電車の中にあった路線図を見上げた。そして一番に目に入った国会議事堂前で降りることを決める。


 それまで時間があるので、今私がどういう状況にあるのか、改めて説明する。

 そもそも私は全員参加の補習をボイコットして、こうして逃げ回っている。誰から? 先生からだ。そもそも私たちの学校の補習は長々と夏休みの期間を奪っておいて、やることは一学期の復習ばかりなのだ。私たちの学校は中高一貫校だから高校受験は実質ないようなものだし、私は中間テストも期末テストも一位。さすがに彩のように全教科満点というわけにはいかないが、学習内容をきちんと理解していると判断されてもいいはずだ。少なくとも全員参加と称して延々教室に縛りつけられるのは理不尽。そういうわけで私は捕まえらえるもんなら捕まえてみろ、という犯行声明だけ教室に残して、逃げ回っている。ちなみに今回がもう五回目ぐらいで、さすがに先生も高度な技術を使って私を追い詰めてきている。今回の監視カメラの件もそうだ。駅の監視カメラを借りて、私がいないか追跡していたのだ。ただドタドタ走って追いかけて来るだけだった初めの頃が懐かしい。


 後であの監視カメラの掃除しなきゃな、とため息をついたその時だった。


「鈴蘭だな?」

「……え?」


 目の前に筋肉質な男の先生が現れた。この人こそ初期の頃から私を追いかけ回している、体育担当の草部くさかべ先生だ。珍しくスーツを着ている。なぜこの電車内に?


「お前ならこの電車に乗るだろうと思っていた。裏の裏の裏をかいてやったぞ。監視カメラを潰してから電車に乗るまでに、少々余裕があったようだな」

「くっ……!」


 私はもはやここまでか、というような顔をした。さあ行くぞ、と草部先生が私を引っ張ろうとする。

 しかし私はこんなところでやられる人間ではない。これまでどれほど逃げ回ったと思っている!

 私はかばんの中からスプレー缶を取り出し、ためらいもなくその中身を草部先生の顔に向けて吹きつけた。


「食らえ!」


 電車内で吹き付けることも想定して、中身はただの酸素だ。たちまち快適な呼吸を使用者に提供します。なんと良心的なことか。


「それは酸素だな? そんなものが俺に通用すると思うか?」


 しかし酸素ガスを吹き付けられてあっさりやられてしまうとも思っていなかった。むしろさっきより草部先生は生き生きとしていた。


「予測済みですよ!」


 私はすぐさまかばんの中からずるずるとホースのようなものを取り出した。その先端を草部先生に向ける。もう一方の端はかばんの中のIHコンロにつながっている。


「さあ食らいなさい!」


 スイッチを押した。するとホースを通してポンポンポンッ! と、次々に熱々のたこ焼きが飛び出てきた。それらはもれなく草部先生のぽかんと開けた口の中や、顔に直撃する。


「あふい! ああっ! あふっ……」

「っしゃあ!」


 私は器用にIHコンロをかばんから取り出して電車の床に置き、それからかばんを担いでちょうど止まった駅で降りた。後には狂ったようにポンポンポンポンたこ焼きを放出し続けるIHコンロ付きのホースと、そのたこ焼きを全部まともに顔で受ける草部先生の姿があった。



『ご乗車ありがとうございまーす、四ツ谷、四ツ谷でーす』


 私が電車を降りると、いきなりそんなアナウンスが耳に飛び込んできた。


「四ツ谷? まだ全然……」


 新宿から四駅、降りる予定にしていた国会議事堂前まであと二駅、というところだった。草部先生から逃げるので必死で、そこまで頭が回らなかった。しかしすぐに次の手を考える。


「……JR乗ればワンチャンある?」


 本当は学校から脱走してる時点でチャンスもクソもないのだが、私はとっさに、四ツ谷駅でJRに乗り換えられることを思い出した。行き先さえ間違えなければ東京駅に行ける。東京駅の改札口さえ出てしまえば、あとはこちらが勝ったも同然だ。人ごみの中で私を視認するのは至難の業だし、見つけられたとしても人ごみのせいで派手なことはできない。

 即座に頭の中で決定を下した私は、JRのホームに向かって走った。



「あー……残念、東京だから大丈夫、とか以前の問題だったね」


 私はJRの電車に乗り込んだ後、スマホを開いてとあるアプリを立ち上げた。草部先生の目の前からずらかる前、ちゃっかりGPS発信機を先生のスーツにくっつけておいた。どこに動いているかを確認したところ、どうやら東京メトロの南北線に乗り換えたと思っているらしい。ようやくうまく撒けたか。


『東京、東京です』


 それから時計を確認し、今日の授業が全て終わったことを確認する。これで今日学校に戻らなければならない義務はなくなった。そして今日で補習も終わり、正式に夏休みに入る。当分先生の顔を見ることはない、はずだ。心の中でガッツポーズをしつつ、私は東京駅の到着アナウンスを聞きながらホームに降り立った。


「さて、勝利記念に何か買って帰りますか」


 東京に住んでいるとはいえ東京駅そのものにお世話になったことはあまりなく、私は物珍しそうな目をしつつ、並びに並ぶお土産もの屋さんを物色していた。しかし十件ほどガン見しながら通り過ぎたところで、見覚えのある髪の色をした子が近くを通りかかったのが見えた。そして思い出した。


「あれ? あ、そうか。もうこの時期か」


 よく考えれば今は八月上旬、彩がこちらに来る時期ではないか。何ならこのままじいちゃんのところまで行くのもアリかな、と私は財布の中身と相談の上、そう考えた。そしてその髪の持ち主のところまで走り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る