夏の大三角形(4)

 ところで堂々と言うのはどうなのか分からないが、今回旅行に来た久義浜は、都会では決してない。そして都会ではないことと同じ意味になるのか分からないが、夜になると星がよく見えるらしい。そういうわけで、夜はみんなで星を見よう、ということになっていた。


「その前にお風呂だよね! 浴衣浴衣〜」


 まるで浴衣を着れることがお風呂に入るメリットみたいな言い方をしつつ、蕗塔さんは先にそそくさとホテルの大浴場に行ってしまった。私はあれ!? タオルどこいったの!? とあたふたしていた神戸さんと、仕方ないなあ、みたいな顔をした茜ちゃんを待って、三人でホテル最上階の大浴場へ向かった。


「おかしいなあ、タオル持って来たんだけどなあ」

「ホテルにあったし、後でゆっくり探せばいいんじゃない?」

「そうだね、とりあえずお風呂〜」


 別に潔癖性でなくても、お風呂が好きだという人は多いと思う。少なくとも真っ向からタイマン勝負を挑まないと気が済まないくらい嫌いな人はそうそういないはずだ。特に女の子の場合はなかなかチャチャっとお風呂を済ませられないこともあって、お風呂とどうしても長い付き合いになる。嫌いだと決めてかかって苦痛な時間を過ごすより、少しは楽しく前向きに考えよう、と思うのは自然なのかもしれない。もっともお風呂一つにそんなに考えを巡らせてどうする、と言われそうだが。


「こっちだよね」


 どういうわけか知らないがそこの大浴場は入口にかかっている暖簾のれんが少し変わっていた。普通その手の暖簾と言えば男湯が青、女湯が赤というところが多い気がするが、そこは逆だった。そして神戸さんは見事にその犠牲者になった。赤色だから女湯、と思い意気揚々と入っていった神戸さんが中から出てきたおじさんとばったり出くわし、ぺたんっと尻餅をついてしまったのである。


「お姉ちゃん、もうちょっとよく見ようよ……」


 茜ちゃんは入口で少し心配そうな顔をして、神戸さんの方を見ていた。



 入口の暖簾は変わっていたが、中はそれほどぶっ飛んではいなかった。むしろテレビでよく見るような、典型的な大浴場だった。屋内に一つ浴場と、外に露天風呂。せっかく夏だし寒くないし、ということで、私たち三人はシャンプーなど一通り済ませて、露天風呂に行くことにした。すると、


「あばばばばばばばば」


 と、不気味な声が聞こえた。私は思わずくせ者! と叫んで身構えた。完全に小学生の発想だが、男子がこっちに来ているのを恐れたのだ。しかし私のその予想は外れた。というか、当たっていても怖い。


「あああ、舞ちゃんに、あばば、蒼ちゃん! 遅かったねあばば!」


 あばばばば、というのは蕗塔さんが打たせ湯に打たれて出している声だった。安心と呆れの混じったため息を私はついた。


「わあ! 打たせ湯だ!」


 私は恥じらいもなく仁王立ちになって打たれている蕗塔さんを引っ張り出そうとしたのだが、神戸さんが楽しそう! と言って蕗塔さんの隣に立つ方が先だった。私はそんな二人の様子を、茜ちゃんと一緒に見つめるしかなかった。


「……打たせ湯には肩こりを和らげる効果があるとされているそうです。わたしたちも行きませんか」


 茜ちゃんも呆れていたのかと思いきや、ふとそう言った。茜ちゃんもちょっと乗り気だったらしい。


「そうする?」


 まだ時間が早かったこともあって、浴場は空いていた。確かにこんな機会もなかなかないかな、と私は思い、一緒に打たれることにした。


「「「「あばばばばばばば!」」」」




「……わたし、お昼間はあんな言い方したんですけど」


 打たせ湯で一通りあばばばされた後、私と茜ちゃんは露天風呂に隣同士で浸かっていた。


「あんな言い方って?」

「海は嫌いとか、本読んで過ごしたいとか。空気読まない発言っていうか」

「大丈夫だと思うよ。お姉ちゃんもそれでいいって言ってくれてるんでしょ?」

「はい。お姉ちゃんはわたしに強要するようなことはしません。でも、旅行が嫌いなわけじゃないんです。お姉ちゃんがよく嬉しそうに話してくれる人と実際に会えて、わたしはすごく嬉しいんです」


 茜ちゃんは少し笑ってそう言った。


「無理すると、よくないからね。そう言う私も、日焼けするの嫌だからずっと日陰にいたし」

「前半部分はお姉ちゃんみたいなこと言ってますね」


 ふと茜ちゃんが打たせ湯の方を見た。蕗塔さんと神戸さんは十分ほど経ってもまだあばばばしていた。茜ちゃんはその様子を見て、ため息をついていた。そして神戸さんの方に近付いて、そろそろ上がらないか、と言った。それでようやく二人とも大浴場を出た。



* * *



「いやー、浴衣は涼しくていいねー」


 蕗塔さんは男が神戸さんのお父さんしかいないのをいいことに、適当に浴衣を着崩して風が通るようにしていた。ちょっと同性でも目のやり場に困るくらいだった。すると、


「浴衣はそんな着方するものじゃないです、恥ずかしいのでもう少し……」


 茜ちゃんが一歩前に出て、蕗塔さんに向かってそう注意した。特に反抗する理由もなかったのか、はーい、と少し口をとがらせて蕗塔さんは整えた。


「今日、花火大会なんだって。その前に星だけ見ちゃう?」


 神戸さんがフロントでもらったらしいパンフレットを手に、部屋に戻ってきた。花火大会は香ヶ丘でもやっているので見ないつもりでいたが、花火大会が終わってから星を見るのは厳しいだろう。煙が邪魔をして見える星も見えないかもしれない。


「そうだね。どれくらい見えるかも分からないし」


 私もそう言って、一同はバルコニーに出た。

 私から言わせれば、夏の星座の見どころはやっぱり夏の大三角形だと思う。それは織姫と彦星の伝説があってロマンチックだから、というのもあるが、単純に一等星を見つけるだけで何か得した気分になるのだ。さそり座のアンタレスもそうだ。最悪夏の大三角が見つからなくても、アンタレスだけは見つけたい。


「アルタイルは彦星、ベガは織姫星だよね。じゃあ真ん中にいるデネブは、何なんだろう」


 神戸さんがそう言った。そう言えばそうだ。デネブだけはこれだというのを聞いたことがない気がする。


「コウノトリ」


 しかし蕗塔さんがなぜか即答した。しかも白鳥ならともかく、コウノトリ。


「どうしてコウノトリ?」


 私もそう聞かざるを得なかった。


「確かにデネブがいったいどんな役割を果たしてたのかは分からない。もしかすると昔の人にとってはベガとアルタイルだけで、デネブは認識されてなかったのかもしれない。だから勝手に決めるけど、白鳥座は織姫と彦星、二人の赤ちゃんを運んでくるコウノトリ」


 蕗塔さんはおそらく今思いついたのだろう話を若干自慢げにした。


「二人の赤ちゃん……ずいぶん先を見据えた話」

「まあね。でもそう思ううちがロマンチックかもしれないよ?」


 そう言い終わるや否や、蕗塔さんはあれ、と空を指差した。


「あれ、デネブじゃない? ほら、近くにもう二つ、それこそ三角形になる明るいのが二つあるし」


 まず天の川らしき星の集まりを見つけて、それを挟むようにしているのがベガとアルタイル。それから天の川の中にいながら明るく光を放つのがデネブ。蕗塔さんはそうやって判断したらしい。


「……私がアルタイルなら、舞ちゃんはベガで、蒼ちゃんはデネブかな」


 ふと蕗塔さんがそんなことを言った。私も神戸さんも、それから茜ちゃんもそれがどういう意図で発せられたのか分からなかったらしく、一斉に蕗塔さんの方を見た。


「前に言ったよね、私、舞ちゃんに会いに香ヶ丘に来た、って」

「うん」

「私と舞ちゃん、実ははじめましてじゃないよ」

「え!?」


 私はそう言われて、必死に過去の記憶を探る。しかし今目の前にいる蕗塔さんのような、真っ白い雪のような髪をした女の子は見当たらなかった。


「……ごめん」


 私は少し沈黙した後、ぽつりとそう言った。


「そっか。分からないか」


 返事をした蕗塔さんの声は寂しそうだった。


「大丈夫だよ、分からなくて。舞ちゃんが私のことを覚えてなくても、私が舞ちゃんのことを覚えていれば、それでいいから」

「いや、でも……」


 そこまで言われてしまうと、何か言わなければと私も思って口を開いた。しかしそれに続くべき言葉は、私の口から出なかった。


「これからだよ、これから。過去のことが思い出せなくても、今から思い出をたくさん作っていけば、それでいいんだよ」


 いつの間にか蕗塔さんの表情はぱっ、と明るくなっていた。そして蕗塔さんは続けた。


「そのために蒼ちゃんがいるんだよ。たとえどっちかがもう一方を忘れてしまって、思い出がその人の頭の中から消えたとしても、真ん中にいて静かにその二人の関係を見守っている人がずっと覚えててくれてる」

「……わたし、そんなに責任重大?」


 名前を出された神戸さんがそう言った。蕗塔さんは首を横に振った。


「違うよ。そんなに頑張らなくたって、私がみんなの記憶に残れるように、いろいろやるだけだから」


 おそらく見ていた夜空の中で最も明るく光っていた、夏の大三角形。その明るさを称えるがごとく、周りで色とりどりの花火が上がり始めた。


「このまま花火大会、突入だー!」


 蕗塔さんが叫んだ。序盤からやけくそのようにたくさん上がる花火に向かって、私たちもおー! と声を上げた。

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