夏の大三角形(3)

 透き通った、こちらの心が洗われるようなほどきれいな景色。そして、日焼け止めを塗っていたことに心から安心するほど、強く私たちを照らす日差し。

 七月ももう終わりというこの日、私と蕗塔さん、そして神戸さん一家は、海水浴にやって来ていた。


「ごめんね、八月はいろいろ忙しくてさー」


 なんでも八月七日が蕗塔さんの誕生日で、その日目がけて蕗塔さんは東京にいるおじいちゃんの家に帰省するらしい。その日辺りを避けるために、まだ暑さ真っ盛りではない七月の終わりに、この海水浴プチ旅行は敢行されることになった。


「東京に帰省なんて、なかなか珍しくない?」

「まあね。正確に言うと従姉妹の家に三世代で住んでる、って感じかな」

「従姉妹いるんだ」


 いや、別に珍しいことではないんだけど。私は流れでそう尋ねていた。


「うん、私より一歳年上のお姉ちゃん。東京の中高一貫校に通ってる」

「中高一貫校かぁ……」


 聞いたことぐらいはある。めちゃくちゃ賢いところだ。だいたいすぎるか。蕗塔さんぐらい賢いならともかく、私には縁遠い世界のような気がする。


「海だー! 遊ぶぞー!」

「おー!」


 一度近くのホテルにチェックインし、おのおの着替えてから海までやってきた。そして到着するなり蕗塔さんと神戸さんの二人はそう言って、浮き輪やらシュノーケルやらを持ってサンダルでペタペタと走って行ってしまった。残された私は、


「……んっふっふ」


 と悪役顔負けの笑い声を上げ、耐水加工されたカバンから霧吹きとスコップを取り出した。何を隠そう、砂浜いじりセットである。


「一度やってみたかった、砂浜芸術……!」


 そんな私に対して何しに来たんだお前、と声を浴びせたい人もいるだろう。でも私は海に飛び込んでキャッキャウフフするより、もとからこっちの方が楽しみだった。「海に行った」という言葉が砂浜遊びしただけも含むのだと認められる世の中に、早くなってほしい。


「舞ちゃーん! こっち来ればいいのにー!」


 遠くで蕗塔さんの声が聞こえた。もう蕗塔さんも神戸さんも水かけっこして、水滴が太陽の光を反射しているのが見えた。海になんか入る気はないんだ、というのをどう言おうか悩んでいるうちに、神戸さんが私の方に駆け寄ってきた。


「冷たくて気持ちいいよ?」

「ごめん、ここまで来たのに。でも暑い方がどうしてもダメで」

「そっか。仕方ないね。……じゃあさ、あかねの面倒、見てくれない?」

「あかね?」

「そう、わたしの妹。小四だよ」

「……うん、分かった」


 私は面倒を見てくれってどういうことなんだろう、と思いつつ、砂浜いじりを始めた。この日のためにインターネットを見てどう作ればいいか、しっかり学習してきた。イメージトレーニングもバッチリだ。

 それからの私はあれこれ試行錯誤したせいもあって、すっかり黙り込んでいた。私の他にも砂いじりをしている人はいくらかいたが、それでも私ほど黙々と作業をしていた人はいなかった。

 そんな中、私が何やら作り上げているそばで、何も言わずにじっと見つめる女の子がいた。文字通りうんともすんとも言うことなく、ただじっと見つめていた。あまりに目力が強いので、私は手を止めてその子の方を逆にじっと見つめ返した。すると、あまり大きな声ではなかったものの彼女が口を開いた。


「……楽しそうです」

「え?」

「……あ、茜です。神戸、茜です。よろしくお願いします」

「あ、ああ、よろしくね」


 赤い髪、赤い瞳をした彼女が、先ほど神戸さんの言っていた妹の茜ちゃんらしい。向こうの方でキャッキャと水かけっこをしている神戸さんとは対照的に、見るからに大人しそうな子だった。


「向こうには行かないの?」


 何を最初に言おうか少し迷ったが、私はそう言った。しかし茜ちゃんは静かに首を横に振って、少し寂しそうともとれる笑顔を浮かべて言った。


「大丈夫です、わたしはもともとここで、本を読むつもりだったので」

「ここまで来て本?」


 それにはさすがの私も素っ頓狂な声を上げてしまった。私の砂浜遊びも見方によってはお前何しに来たんだ案件だが、茜ちゃんのはもっとだ。本を読むなんていつでもできるのに。


「わたし、あんまり海が好きじゃないんです。外で遊ぶのが好きなところは全部お姉ちゃんに持って行かれちゃって。家族で旅行だし、お姉ちゃんの友達も来てるからっていうことで、楽しみなのは楽しみなんですけど」

「……そっか」

「あの、わたしも参加していいですか」

「本はいいの?」

「はい。せっかく海に来たのにって、お姉ちゃんに言われそうなので」


 そう言うと茜ちゃんは私の方に近付いてきて、砂の山をおそるおそるいじり始めた。


「茜ちゃんはさ」

「はい?」

「神戸さん……お姉ちゃんとは、仲いいの?」

「はい。半年に一度くらいケンカしますけど、普段は仲いいですよ。それに、わたしが逆らったところでお姉ちゃんには絶対、力で負けますし」


 なんて大人びた子だ。

 私は茜ちゃんの話しぶりを見てそう思っていた。すごく真面目なのが雰囲気からも伝わってくる。別に神戸さんが真面目じゃないとは言わないが、茜ちゃんがとても小学四年生とは思えない。

 しかし私から話しかけたにも関わらず、会話は早くもそこで途切れてしまった。非常に気まずい。


「……ん」


 茜ちゃんはときたまそんな声を上げるだけで、あとはずっと黙り込んでいた。十分か十五分経ってからさすがに何か話題を振らなければ、と何を話そうか私も真剣に考え始めた、その時だった。


「舞さんはどうして、お姉ちゃんと友達になったんですか?」


 茜ちゃんの方が先に口を開いた。


「友達……」

「えっと、友達じゃないんですか?」

「いや、そんなことはないけど、友達……なのかな」

「友達じゃなかったら、一緒に旅行には来ないんじゃないですか?」

「……そうかな」


 私は反例を考えようとしたが、うまい例が思いつかなかった。


「お姉ちゃん、家に帰ってきたら彩さんとか、舞さんの話、してくれるんです。少し前まではやんちゃな男の子を懲らしめてやった、みたいな話ばかりでわたし、退屈だったんです。でも最近は今日は学校であんなことやこんなことがあった、って話が増えてきて、わたしも聞いてて楽しいんです」

「そんな変化があったんだ……」

「だからてっきりお姉ちゃんの友達なんだと思ってたんですけど、違ったのかな、って」


 茜ちゃんがわたしの方をじっと見てきた。お前はお姉ちゃんの何なんだ、という疑いに似た目な気もした。


「うーん……。こう、なんていうか、仲良くないって言ったら嘘になるけど、友達だって言い切れるかって聞かれると、そこまでたくさん話したわけじゃないっていうか……」

「一緒にいて嫌じゃないなら、それは友達なんだとわたしは思います。その意味なら、お姉ちゃんと舞さんや彩さんは友達じゃないですか?」


 一緒にいて嫌じゃない。

 それはすごく広い輪になるんじゃないかと、私は思った。逆に一緒にいるのが苦痛に感じる人なんて、そんなにたくさんいないはずだ。それで友達というのなら、それこそ地球上のみんなが友達、なんてことになってしまう。


「わざわざわたしたち家族と一緒に旅行に行くって言ってるなら、お姉ちゃんにとっても悪い人じゃないって思います」


 そう言ったきり、また茜ちゃんは黙ってしまった。私も茜ちゃんの言ったことをいろいろ頭の中で巡らせながら砂いじりをしているうちに、ホテルに戻る時間になった。

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