夏の大三角形(2)

『間もなく、稗瀬橋ひえせばし、稗瀬橋です。お出口は右側です。この電車は環状・天氷公園あまごおりこうえん金条かなすじ方面行きです。父川ととがわ線経由で父川、祭神方面へお越しのお客様は三番線の電車にお乗り換えください』


 電車のアナウンスが流れた。


「すぐだったね」

「だって二駅だもの」


 私たちは最寄りの香ヶ丘駅から電車に乗り、二駅先の稗瀬橋にやってきていた。香ヶ丘はそれほど繁華街というわけではないのだが、ここ稗瀬橋は父川線の乗換駅、さらにその先には祭神線があることもあってれっきとした繁華街だ。何でも父川駅の周辺はショッピングモールがあって人通りも多いそうだが、稗瀬橋も同じような感じだ。そして私たちはそのショッピングモールに用があった。


「海に行こう!」


 ことの発端は期末テストが終わってすぐ、蕗塔さんがずんちゃかずんちゃかとやってきて、そう言ったことだ。結局蕗塔さんにみっちり教えてもらったもののそんなにすぐ成績が上がるはずもなく、私はまあこんなものか、と期末テストの成績について思っていた時の出来事だった。ちなみに蕗塔さんは期末テストもばっちり一位を取っていた。


「海って、暑いのに?」


 この時返した私の言葉も考えものだ。暑いから海に行くのに、暑いのに海に行くなんてありえないとでも言いたげな感じで、もしかするとこの時ばかりは私の方が意味不明だったかもしれない。


 私はやんわり断ろうとしたのだが、どうやら蕗塔さんにとって私が一緒に来るのは確定事項というか前提だったらしく、どうして? みたいな疑問を顔に貼り付けていた。頼むから否定的な返事も想定してくれ。


「蒼ちゃんも来てくれるってさ!」


 もともと蕗塔さん一家で小旅行に行く予定だったのがお父さんの都合で急きょ中止になり、それでも諦めず一人で行こうとした蕗塔さんが神戸さんにその話をしたところ神戸さんが一緒に行きたいと言いだし、それなら、と女の子二人で行くことを心配した神戸さんのお父さんとお母さんが付いてきてくれることになったらしい。ここまで来れば私がいないのは逆に不自然、という考えに至ったらしい。いやいや。そんなことないだろ。


久義浜くぎはまだよ! そんな遠出することなんて滅多にないよ!」


 久義浜とは先ほどの祭神線のうちの一駅で、この近くではきれいな海があることで有名だ。釣りをしに来る人も多い一方で、夏は海水浴に来た客でにぎわう。しかし暑いなあ、じゃあ行くか、と言えるほどの距離でもないのも事実。特に夏休みはクーラーの効いた家の中でごろごろするのが好きな私にとっては、ますます遠く思える。


「ね? 行きたくなったでしょ?」


 私の心の内を見透かしたように蕗塔さんが畳みかけてきた。仕方ない、ここまで言われて断るのも、と私は思って、一緒に行くと言った。


 そして、今に至る。少なくともここ何年か学校の水泳の授業以外で水着を着たことがない私。当然サイズの合う外用の水着を持っているはずがなく、買いに行く流れになった。蕗塔さんはわざわざ、それについてきてくれているのだ。ちなみに神戸さんは部活があるからということでこの日はいなかった。


「お母さんに驚かれたりしなかった?」

「もちろん。うちの兄は感動のあまり涙を流しかけました」


 蕗塔さんのふとした疑問に私はそう答えた。そうだ。それだけ私が夏休みに外出するのはめずらしいことなのだ。なにせ自分で言うのもなんだが、暑中お見舞いのハガキを出しに歩いてすぐのポストに行くのさえ面倒くさがっていたのだから。


「ま、夏休みにいろいろチャレンジ! するのはいいことだからね〜」


 蕗塔さんはやたらとチャレンジ、の五文字を強調した。チャレンジねえ、と私は適当なことを考えつつ辺りを見渡した。そういえば何だかんだ、稗瀬橋に来たことさえなかった。

 南側の改札を出るとすぐに大きな建物が私たちの目の前に現れた。それが例のショッピングモールらしかった。


「家族以外の誰かと一緒に買い物に行くなんて初めてだから、舞ちゃんが来てくれるって分かって嬉しいよ」

「初めてなの?」


 てっきり何度も行ったことがあるものだと思っていた。蕗塔さんはふっふっふ、と若干胡散臭い笑い声を上げ、言った。


「そう、初めて。そうは見えないかもしれないけど、実はかなり嬉しい」


 そう言われて改めて、私は蕗塔さんを見た。よく見るとアゲアゲなオーラが出ていた。ってかアゲアゲなオーラって何だ。


「水着も買ったことなんてないから、分からなかったらちゃんと店員さんに聞こうね」

「水着も初めて?」

「そうだよ? あれ、言わなかったっけ? 私、海に行くのも初めてだよー」


 そこはかとないあの行ったことありますよ感は気のせいだったのか!



* * *



「うわー……」


 入口でもらったパンフレットに書いてある通りに、私たちは水着売り場へと向かった。当たり前のことなのだがその売り場にはサイズも色々、種類も色もたくさんの水着が並んでいた。わっ、と思わず見てはいけないものを見ちゃったんじゃないだろうか、と顔を覆った私だったが、よく考えれば恥ずかしがることはなかった。これこそその辺の小学生男子みたいな反応だった。


「すごい! こんなにいっぱいあるとは……!!」


 蕗塔さんの方が興奮していた。確かにそんなのどこに着ていくんだよ、とツッコミ待ちしているような派手な水着もあったが、私は特に執着もなく、無難なものを選んで帰ろうと思っていたのだ。しかし蕗塔さんには全く違う景色として映っていたらしい。早速彼女はズダダダダッ、と売り場の方へ駆け寄り、あれかな、これかな、といくつも手に取りだした。その大半が遠目から見ても蕗塔さんには合わないサイズのものだったが。


「あんまり派手なのにすると、目立っちゃうよ?」

「分かってる!」


 絶対分かってない。

 とんでもなく奇抜なものを選んで着られても困るので、私はそう忠告をするだけして蕗塔さんといったん別れた。無難なものにするとはいえ、これから先使うことがあるとすればその時に後悔がないようにしたい。少しは悩む必要もあるかな、と私は思っていた。


「大きいなあ……」


 別のお店に向かった私はふと、そうつぶやいていた。水着の話ではない。今いるショッピングモールそのものの話だ。

 私もさすがに両親の買い物について行くぐらいのことはしたことがあるが、その時もこんなに大きな施設に来たことはなかった。ショッピングモールごときでそんなことを言うなんてさては田舎者か、と言われそうだが、まさしくその通りだ。もっとも完全にド田舎というわけではなくて、稗瀬橋自体がそこそこ有名な都会なので、その近くにある香ヶ丘も田舎と都会のちょうど真ん中ぐらいの立ち位置になっている。


「……そうか」


 今回蕗塔さんが海に行くんだ、と言わなければ、私はここに来ることはなかった。例えそれが半ば無理やりだったとしても、結局ここに来られて何だか気分が高揚している自分がいる。例えば目の前に見えるラーメン屋さんもそうだ。さっきから私は水着のことを頭の片隅に追いやって、ラーメンのことばかり考えている。ちょっと待って。何してるの私。

 しかしいったんおいしそうなラーメンの写真に釘付けになった目は、なかなか吸い付いて離れなかった。普段私はそんなにラーメンを食べないのだが、この時はどういうわけかじっ、とただただ見つめていた。


「どうしたの? ラーメン? おいしいよねえ」

「……蕗塔さん?」


 気が付けば十何分とそのメニュー表を見つめていたのか、蕗塔さんが水着を買い終わって私の背後に回り込んでいた。やめて。何か命の危機を感じる。


「舞ちゃんはどう? 選び終わった?」

「……あ」

「選んでないよね? もしよかったら、お揃いにしない? おそろいー」

「お揃い……」


 それなら、と蕗塔さんが買ったものを見せてもらうことにした。


「これは……!!」


 別に特別派手なものではなかった。むしろ目立つか目立たないかで言えば、目立たない方に入るものだった。そしてそれを見て、私は半分の不安と半分の安堵に襲われた。あれ? チョイス間違えてんじゃない? もっと派手なの選ぶと思ってた、という不安と、よかった、これで私が蕗塔さんの隣を歩いても好奇の目で見られることはない、という安心だった。


「一度友達と何かお揃いっていうの、やってみたかったんだよねー。どう? お揃いにしない?」


 お揃いにしてくれると私は喜びます、というような顔を蕗塔さんがした。こういう時にいとも簡単に流されてしまうのが私の悪い癖なのだが、この時もお揃い、と響きのいいその言葉につられうなずいてしまった。

 それからずっとラーメン屋の前で突っ立っていた私のことも気にしてくれていたのか、水着を買って帰る前にそこのラーメンを食べて帰ることになった。決して口に出すことはなかったが、私の心の中にあった言葉はただ一つ。


『やったぜ』



* * *



「おいしかったね、ラーメン」

「……うん」


 いい食事だった。店内に貼ってあった『当店のこだわり』の文章をそのまま引用する形にはなるが、豚骨ベースのスープと魚介スープの絶妙なバランスが何よりもウリ、とのことだった。私も蕗塔さんも外が暑い中、熱々のスープを飲み干しかけるところまでいった。値段は少し高めだったが、それでも大満足だった。


「……あのさ」


 蕗塔さんが買った水着の入った袋をぶらぶらと揺らしつつ、私に改まった口調で話しかけてきた。


「なに?」

「これからも、友達でいてくれるよね?」

「……どうしたの急に」


 私はあまりにも唐突過ぎるその言葉に、そう返すしかなかった。そもそも蕗塔さんは私のことを友達と認識しているのではなかったか。それに私に会いに香ヶ丘に来たとも言っていなかったか。


「あ、ううん、これからも仲良くしてくれるなら、それでいいの。でも何だか、急に寂しさを感じて」

「……」


 そう言う蕗塔さんの顔は、いやに感傷的だった。これまで私が見たことがないような表情だった。


「ありがとうね」

「……うん?」

「だいぶ無理言ったはずなのに、ついてきてくれて」

「ああ、それは大丈夫。私も水着は買わなきゃって、思ってたし」

「私ね、すごく嬉しかった。こういう時私、嘘言うのヘタだなって思う。思うからこそ言うけど、もしかするとここ数年で一番嬉しかったかも」

「そんなに?」


 私の言葉がそんなに影響力を持っていたとは。


「舞ちゃんもちょっとは、私のことを友達だって思ってくれてるのかな、って。そう思ったよ」

「友達……」

「どこまでいったら友達なのか、それが分からないのがつらいところだよね。でも私は、その友達になりたい。お互いがお互いを友達だって思ったらそれは友達なんだって、私は思うようにしてる」

「お互いがお互いを、か……」


 お互いがお互いを友達だと思う。大切な存在だと認識する。

 蕗塔さんのその言葉は、私が家に帰って、寝る時にも私の頭に思い浮かんだ。


「蕗塔さんはあの時、何を思ってあんなこと言ったんだろう」


 蕗塔さんのことをもっと知るべきだ、と私は思っていた。しかしだんだん、その認識を改めないといけない気がした。知るべきだ、ではない。知りたい、なのかもしれなかった。

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