波乱の運動会(2)

 運動会当日。

 私は朝、教室でプログラムを受け取って愕然としていた。


「どうしたの、舞ちゃん」

「こんなの聞いてなくない?」


 それは私たちが出場する、障害物競走の話だ。それまで練習は運動場の隅の方で適当に走ったり何かしたりというものだったのだが、本番はなんと学校の外に飛び出し、住宅地の間をあたかも駅伝のように走り抜けるというのだ。生徒会が秘密裏に近隣の人たちに交渉して許可を得たらしい。そのことを生徒会に入っている私が知らないとはどういうことだ。


「でもほら、もしそうじゃなかったら運動場をぐるぐる回るだけなんでしょ? そう考えれば、こっちの方がいいんじゃない?」


 やっぱり蕗塔さんはニコニコしていた。イレギュラーなことが起こると、嬉々とする性質の生き物らしい。


「……まあ確かに、そうなんだけど」


 運動場をぐるぐるするだけなのはちょっと勘弁してほしい。ただでさえうちの学校の運動場は狭いのだ。


「あたふたしても仕方ないよ、今日始まって今日終わる事なんだから、気合入れていこう!」


 そう言って私を入場行進の集合場所に連れて行く蕗塔さんは、妙に暑苦しかった。



* * *



 障害物競走は午後のプログラムだった。あまり朝早くからやっても迷惑だし、午後にもってくるというのも交渉の条件の一つだったのかもしれない。それまで私も蕗塔さんも、適当に日陰で座って観戦したり、しゃべったりしていた。

 そして、障害物競走。そこそこの大規模でやることは全校生徒に対し事前に言われていたのか、多くの生徒たちが観戦のために群がっていた。

 私たち五組の順番は決まっている。六人中私が三番目、蕗塔さんが四番目。アンカーは短距離走に出られなかった運動部の子に任せた。

 私は蕗塔さんに別れを告げ、三番目に走る子たちが集まる場所へ向かった。第三走者の方が第四走者より学校から遠い。「なるべく早く来てね!!」と蕗塔さんはブンブン手を振りながらそう言った。

 今回走る範囲があまりにも広いせいか各走者の集合場所に一人ずつ学年団の先生がいて、第三走者の担当は偶然杉下先生だった。


「おっ、寺阪か。なんかこの競技、大規模な分優勝したら得点がたくさん入るらしいから、頑張ってくれ」

「それはアンカーに言ってほしかったです……」

「アンカー……って言ったら、神戸かんべか? 確か、向こうは担当誰だっけな……」


 そう話しているうちに、杉下先生が首から提げた携帯が着信音を鳴らした。杉下先生が中を見る。


「お、第一走者スタートしたらしいぞ。ぼちぼち準備かな」


 どうやらスタート地点から遠いあまり、携帯で連絡を入れるシステムにしたらしい。どんだけお金かけてるんだ。

 私は指定されたところに並んで、それから他のクラスの子をちらっと見た。運動部の子たちはほとんど短距離走に行っているはずなので目立って運動が得意そうな子はいなかったが、頑張るぞ! という感じの闘志はみんなの目にあった。……けっこうまずいかもしれない。

 私には珍しくそわそわしている間に、第二走者の子たちが見え始めた。しかし五組の色であるオレンジ色のタスキをした子は見えない。他のクラスの子たちが次々タスキを受け取って走り出す中、私が第二走者の西之瀬にしのせさんにタスキを受け取ったのはだいぶ後、順位は最後から二番目だった。


「ごめん! 順位キープできるようにだけ、頑張って!」


 西之瀬さんからその言葉とともにタスキを託され、私は走り出した。

 コースはあらかじめ聞いて、何となくは分かっている。というよりすぐ前の順位の子が近くにいたので、その子について行けばよかった。少し走ると組み立て式のテーブルが設置されたテントがあり、オレンジ色の小さな旗が立っていた。前の子も自分のクラスの色のはたを取っていったので、それに倣った。


「これで、何をしろと?」


 そう私は思いつつ旗をよく見た。旗の持ち手にはメモ書きが結びつけられていた。


『絵のような白くてつばの広い帽子をかぶっている人を探せ』


 幸いにして絵がそこそこ上手かったのでそれを参考にしつつ、誰がかぶっているのか探し始める。競技の内容からしてそう遠くにはいないはずだ。

 と、思った時だった。


「……!!」


 もしかして、と唐突にひらめいた私は進むのではなく、来た道を戻っていった。



「正解だ寺阪、まさかこんな早くに気付かれるなんてな」

「そんな悪役みたいなこと言わないでください」


 まさに絵の通りの白い帽子をかぶっていたのは、杉下先生だった。スタート前に並んでいた時に感じていた違和感の正体は、これだったのだ。


「これ、第四走者に渡してくれ。でないと第四走者の時点でチェックが入って、第三走者からやり直しになるからな」

「分かりました……!!」


 私は返事をするなり蕗塔さんにタスキと杉下先生からもらったバトンを渡すべく、再び走り出した。すぐ前の子は少し指示の内容に手間取っていたらしく、追いつきそうで追いつけない位置にいた。その子を追い抜かす、悪くても引き離されないことを意識して走った。そうしているうちに、目立つようにか大手を振っている蕗塔さんが見えた。


「舞ちゃん! 投げて!」

「……!?」

「そのタスキとバトンを、私に投げて!」

「……分かった!」


 それがこの障害物競走でセーフなのかどうか、私はこの際考えないことにした。そしてタスキを肩から脱ぎ、バトンとともに思い切り投げ渡した。


「行けぇっ……!!」



* * *



 舞ちゃんからバトンを受け取った私はひたすら足を前に動かすことだけを考えた。運動が苦手、というのは事実だ。小学校の頃はのぼり棒も、鉄棒も満足にできなかった。遠くにかすかに見える大きなタイヤの行列は恐らく、飛び越えたりまたいだりするものなのだろう。できるかどうか、不安しかなかった。

 舞ちゃんの順位は最後から二番目、あともう少しで最後から三番目になれそう、という位置だった。私の走力ではその一人を抜かせる自信はないけど、せめて現状維持はしたい。


 そしてタイヤゾーン。やたらと難しさを醸し出し、走る子たちの恐怖をあおるものだったけど、やってみると大したことはなかった。時間はかかったが、転んでしまったり足がもつれたりすることは幸いにしてなかった。舞台に立つまでが勝負、とはこのことか。そんなこと言わないかな?

 第五走者とアンカーはどっちも、陸上部でエース扱いされている子だ。ある程度順位を上げておけばより安心だったが、残念ながら私の実力ではかなわなかった。第五走者の来賀くがっちが私に向かってこっちこっち、と手を振っていた。私は舞ちゃんにもうアピールするために大手を振ったのだが、もしかしてそうするの流行ってる?


「大丈夫! あとはわたしと神戸さんだから! 任せて!」


 来賀っちのその言葉で私はだいぶ安心できた。来賀っちが対応できず時間を取るのも問題なので、私は普通にタスキを来賀っちに手渡した。



* * *



 第三走者としての役目を終え、私は残りの走者を見るために学校に戻る道を歩いていた。後半の走者が走るコースは今私が歩いている道より遠回りなので、私は第五走者の上位グループを見ることができた。


「速い……」


 あえて非運動部が集まる障害物競走に運動部を起用したのではないかと思うほど、その上位グループは速かった。しばらく止まって見てみるとその上位グループが通り過ぎた後少し時間を空けて、第五走者の来賀さんが走ってきた。


「来賀さん! 頑張って!」


 私が言葉をかけると、来賀さんはこちらを向いて黙ってうなずき、それからすぐに前を向いた。私は小走りで学校の運動場へ急いだ。



 運動場の応援席はなんだか、すごい盛り上がりようだった。障害物競走自体今年初の試みで、しかも走っているのが女子だけというのも応援したくなる要素の一つなのかもしれない。校門の近くがアンカーのスタート地点で、そこには足首を回す神戸さんが構えの姿勢を取っていた。


「あれがうちの学年の陸上部の中で一番足が速いので有名な、神戸蒼かんべ・あおいさん。覚えとくと……」

「知ってるよー」


 何で知ってんだよ。


「あれ? 私、前言わなかったっけ? 五組のクラスメートについてはいろいろ調べてるから、もちろん蒼ちゃんのことも知ってる。心配しなくていいよ」


 別に心配はしていないのだけれど。


「あ、来るよ! いよいよ蒼ちゃんの番!」


 蕗塔さんが指を差した方向から、来賀さんが走ってきた。


「六位だ! ちょっと上がってる!」


 さすが陸上部、あの状態から一人や二人抜かすのは朝飯前らしい。


「――来賀ちゃん! ファイト!!」


 神戸さんが声を張り上げそう言った。来賀さんは少しだけ笑顔を浮かべ、そして返事を返した。


「分かってる! 神戸さん、――あとは、任せた!」

「オッケー、わたしに任せて……!!」


 神戸さんの手にバトンが触れた瞬間、状況は一変した。


 目にも止まらない速さ、とは言わない。そんな速度で走ったらそれはもう人間ではない。だが神戸さんに限ってはその表現も許されるほど、素早かった。アンカーのコースは校門に入ってからグラウンド二周だったが、一周もしないうちに神戸さんは水色、赤色、緑色と、あれよあれよという間に他の走者を抜かしていった。そして一周目が終わるころには、神戸さんは二位にいた。


「神戸さん!?」

「さっすが蒼ちゃん!! いけー! 優勝だー!」


 蕗塔さんがそう叫んだのを合図に、近くの男子からも歓声と雄叫びが上がる。神戸さんは誰にでもフレンドリーなこともあって、陸上部はじめ運動部の男子たちから親しまれているのだ。

 神戸さんの目には目の前を走る紫色のタスキをした少し背の高い子が見えているはずだった。対して神戸さんは背が低めで、その構図はまさしく自分より身体の大きなシマウマを狩るライオンのようだった。目が怖い。


「……!?」


 まさかそんな追いつき方をされるとは思っていなかったのか、その紫色のタスキの子は目に見えて慌て始めた。そして慌てるあまり思考が短絡的な方向に走り、少し減速して足を引っかける手に出た。しかしその手にさえ引っかからず、神戸さんはあっさりとラインをずらして抜き去り、抜きざまに足を踏んずけていった。


「いっ……!!」

「お返し……!!」


 三年生の生徒会メンバーによって用意されたゴールテープを切ったのは、神戸さんだった。

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