波乱の運動会(1)
一学期中間テストが終われば、我らが香ヶ丘中学校は運動会シーズンに入る。梅雨に入るか入らないかという五月の終わり、あるいは六月の頭に運動会があるのだ。
運動会といえば九月か十月にあるもの、というのが相場だろうが、今は違って私たちの学校と同じような時期にやるところも増えているらしい。それは残暑厳しい時期に練習を強行すると熱中症で倒れる生徒が後を絶たなかった、という理由があるようだが、うちの学校がこの時期に運動会を行う理由は少し違う。
それはある年、もう十数年も前のことらしいのだが、十月に二学期中間テストと運動会が同時に存在するのが「しゃらくせえ」と騒ぎ立てた学年があったらしく、そのせいでクラス単位で不登校になるというストライキが発生したため、先生も仕方なく運動会の日時を変えたのだという。私には何が「しゃらくさ」かったのかまるで分からないのだが、とにかく当時のことを知る先生(そう言えばこの時に私は木戸先生と初めて話をした覚えがある)によるとそういうことらしい。
結局のところ梅雨前の時期に運動会をすることで出てくるメリットもある。私の誕生日は一月十日と冬真っただ中の生まれということもあってかとにかく暑いのが苦手で、暑いという言葉が頭の中を埋め尽くしてくる時期に厳しい練習をしなくていいのは嬉しい。ただまだそこまで暑くないからこそ起きる弊害もあって、
「基本的に全員参加だからなー、特にうちのクラスは蕗塔入れてもまだ人数少ないから、誰か余るってことはないぞー」
というものだ。とある日のホームルームで杉下先生がそう言った。
「二年の出場競技読み上げます。男子が百メートルと二百メートル、それから四百メートル。あとは騎馬戦。女子は騎馬戦の代わりに、障害物競走です」
進行役の学級委員長、遠藤さんが淡々と生徒会から回ってきた紙を読み上げる。遠藤さんは一年生の頃私と同じクラスだったが、その頃から真面目なことで有名だった。
男子の競技に関しては去年とそれほど変わっていなかった。早速男子が寄ってたかってどれ出る? と話し合いを始めていた。しかし女子の方は運動会にそもそも乗り気じゃない人が多く、だらだらと集合を始めた。ちなみに私も運動が得意ではないのでだらだらこそしていないものの乗り気でないことは間違いなかった。生徒会の会議の時にも一生懸命全員参加はやめてくださいと反発したのだが、なあなあで全員参加派に押し切られてしまった。そのせいでさらにやる気が出なかった。
「全員参加ねえ……」
やはりそれが嫌なのは一緒らしく、蕗塔さんもそうつぶやいて肩を落としていた。
「ああ、言い忘れてた」
女子がようやく輪を作り始めたというところで、杉下先生が言った。
「男子の騎馬戦は全員参加な。これは去年と一緒だけど、女子の方。女子は百メートルと二百メートルと四百メートルに出なかったメンバーが障害物競走に出ることになるからなー」
はあー? マジかよー。
みたいな声が輪から漏れてくる。運動会はクラス対抗なのだが、クラスが優勝するためには百メートルのような競技に運動部のメンツを出すのが自然。となると必然的に障害物競走に出場するのは運動がそれほど得意でない私たちのような面々になる。この時点で私や蕗塔さんが障害物競走に出るのはほとんど決定、ということになる。
そうと分かった女子たちはもう運動部組と非運動部組とに分かれて話し始めた。非運動部組の話し合いは障害物競走の走順決めだ。障害物競走はリレー形式で行われる。私も蕗塔さんも少し無理を言って、一番責任逃れのしやすい真ん中あたりを選ばせてもらった。
* * *
ところでうちの学校の運動会、中学校の割には規模が小さい、と思われた方もいるかもしれない。それもそのはず、そもそもメイン会場となる運動場が他の学校より狭いのだ。他の中学校にはまずないと言っていい食堂がある分、運動場が圧迫されている。そのため他の学校では体育の授業で普通にできることでも、香ヶ丘中学校ではできない、なんてこともざらにある。さらに単純に狭いため、全校生が一堂に会して練習をするのも厳しい。一学年分の生徒が集まるだけでも「狭いよもっと向こう行けよ」現象がよく起こる。そんな暑苦しい環境をさらに暑苦しくするがごとく、梅雨前の不安定な天気が私たちを襲う。二時間分練習しただけで、私たちはへとへとになっていた。
「疲れたー」
蕗塔さんは日陰にダイビングするなりそのまま大の字になった。少し胸が揺れた上におへそがちらちら見えている。ダメだと思うんだ、それ。
ちなみにここまで私は言ってこなかったが、蕗塔さんは控えめに言ってもかわいい。少なくとも全身から普通の人オーラがにじみ出ている私とは違って、(ちょっと行動が変わっているものの)顔はなかなか。たぶん最初から香が丘にいたなら男子の一人か二人くらいには告白されていたと私は思う。転校生だから、まだみんなちょっと避けているだけで。
「舞ちゃん、アクアスエットいる?」
「ん? いいの?」
「うん、こういう時にはおいしい」
蕗塔さんがスポーツドリンクの水筒を差し出してきた。私のお茶はまだ残っていたが、ありがたくもらっておくことにした。
「……確かに、おいしい」
「でしょー? これがあるから運動会の練習は楽しいよねー」
「楽しい? 今楽しいって言った?」
言っておくが私は全然楽しくない。昔から分かってはいるがやはり、自分の身体がイメージについてこない感覚を長時間味わうのは疲れる。それを、楽しいと?
「言ったよ。当日どうやって攻略しようかな、っていろいろ考えながらやってるから」
「攻略ねえ……」
そんなこと考えたためしがなかった。私の頭の中にあったのは早く練習終わらないかな、そのただ一つだ。
私は水筒を蕗塔さんに返しつつ、何気なく尋ねた。
「どう? こっちに来て。もう慣れた?」
「なに? どしたの?」
「今までうちの学校に転校してきた子って、みんな馴染めなくて一か月もしないうちに別の学校に行っちゃってたから。みんなの雰囲気に混じれないことがあっても、平気なのかなって」
「私は別に、自分の世界があるから大丈夫だよ?」
そんなこと真顔で言う人初めて見た。そしてドヤ顔をするな。
「……っていうのはさすがに冗談だとしても、でも心配するほどのことじゃないよ。私は香ヶ丘に来たくて来たし」
「ここに来たくて来た? どういうこと?」
「私ね、舞ちゃんに会いに来たんだ」
怖っ!!
「……それは前々から、私を知ってたっていうこと?」
「まあね。舞ちゃんがいなかったら、私は香ヶ丘には来てなかったよ」
「……」
なぜ、私なのか。
こう言ってはなんだが私は普通過ぎる。もっと香が丘の中学二年生で目立っている子なんて、他にたくさんいるはずなのだ。それなのに、蕗塔さんは一番親しく話す相手に私を選んだ。私にはその理由が全く分からなかった。
「どうして、私なの? もっと話しやすい子なんて、いっぱいいると思うけど」
「どうしてか、ね……それはまだ教えられないなあ」
「……え?」
そこは教えろよ。
「私は舞ちゃんのこと、友達だと思ってるよ? けど舞ちゃんは私のこと、ただの変な人としか思ってないでしょ? 少なくとも友達だとは、思ってないはず」
あ、自分で変だって分かってたんだ。
「舞ちゃんも私のことを友達だって思ってくれる日が来たら、その時には教えられると思うよ?」
「……」
そう思うには、たぶんもっと一緒に過ごしていかなければならないのだろう。
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