不思議な転校生(4)
私たちの中学校の一学期中間テストは、たいていゴールデンウィークが明けて一週間ほどしてラスボス感満載でのっしのっしとやってくる。おそらく他の学校でも、その日程のところは多いのではないかと思う。期末テストの日程とも近からず遠からず、といったところで、その点では私たちも特に不満はない。しかしゴールデンウィークが直前に控えているだけあって、なかなか開放感満載で遊び倒すことができない。もちろんどこ行ってたんだというぐらい肌を真っ黒に焼いて戻ってくる子もいるが、たいていそれなりに勉強していた、と言う子が多い。私も例外なく勉強することになって、ああ、今年のゴールデンウィークってどんなのだったっけ、みたいな中途半端なボケ方をしてしまいながら登校した。
「中学生の本分は遊ぶこと! 旅行に行こう!」
と連休前に蕗塔さんは叫んでいたが、果たして転校して最初のゴールデンウィーク、どうだったのだろうか。もしかして真っ白だった髪が真っ黒になってたりしないだろうか、と謎の期待をしつつ私は教室の扉を開けた。
「おはよー」
「あ、舞ちゃん。おはよー」
奴はいた。
奴はいつもと同じようにいち早く教室に来て、そして勉強していた。そこまではまだいい。問題は何気なくあいさつを返してきた奴の顔が、いかにもこの連休中ずっと勉強してました、とでも言いたげにげっそりしていたことだ。これは看過できない事態だ。違いますか。
「……どうしたの、調子悪いの?」
とはいえ普通に体調がすぐれないのをごまかして無理やり来てるだけじゃないかとも思って、私はそう声をかけた。もしそうでも嫌なんだけど。
「ううん、大丈夫。今はすこぶる元気」
「あ、それならいいの。なんか元気なさそうだなって思って」
「ちょっとね。遊びすぎちゃったんだ」
そっちか。
「もう大変だったんだから! 連休四日あったでしょ? 全部どっかに行ってたからね。前半二日は東京のおじいちゃんのところに帰省してたでしょ、それからやっとこさ帰ってきたと思ったら今度はお父さんが遊びに行こう! って言い出して、車で何時間もかかるところに遊びに行ったの。もうすぐテストだから、って言っても全然聞いてくれなかったし」
「そうなんだ……」
以前蕗塔さんがすごく賢いということは聞いていたので、てっきりご両親も相当協力してくれてるのだと思っていたのだが、どうやらあながちそうでもないらしい。
「そういえばお父さんって何の仕事してるの?」
「それ聞いちゃう? 聞いたら最後、あなたは底なし沼から抜け出せなくなる……」
「……え?」
「研究者だよ」
研究者かよ。別にタブーみたいな言い方しなくてもよかったじゃん。それに聞いたことではまる底なし沼って何だ。
「お父さん、結構研究室に住んでることが多いからさ。家族でどっかに行くってことがあんまりないんだよね」
「研究室に『住んでる』って……」
「平日はなんか忘れ物とか取りに帰ってこない限りはいないから。もうその生活に慣れちゃったけどねー」
「本当に住んでる……」
「ほら、前舞ちゃんの部屋の窓開けたマジックハンドあったでしょ? あれお父さんと一緒に作ったやつなんだ。小学校の時の自由研究で作ったんだけど、現役で動くなかなかのスグレモノでさあ」
「自由研究で?」
「大変だったんだから、指を一本一本動かすためのプログラムとかも全部書いたし、脳波由来の信号を変換する装置も仕込んだし、それから……」
「うん、もういいよ」
私には到底理解できない世界に蕗塔さんがお住まいであることはよく分かりました。
ちなみにたぶん蕗塔さんは新学期初日の話をしているのだろうが、あれからことあるごとに蕗塔さんは私の部屋の窓を勝手に開けて話しかけてくる。そして蕗塔さんの隣にはお母さんが控えているので私は声を荒げられない。私の貴重な勉強時間を返してくれ、と言いたいところだが、聞いているうち話すことがだんだんマニアックながら面白い話になっていったので、最近はあまり嫌そうな顔をせずに話を聞くことにしている。しかもその話のせいで宿題が終わらない、ということはほとんどなかった。
「……ってなわけで、お父さんは研究者としてはすごいんだけど、たまにしか家にいなくてさ。連休なんか貴重な機会だからって、いろんなところに連れてってくれるの」
「それで、勉強の方は?」
私はそれが聞きたいと言っても過言ではなかった。そして蕗塔さんは見事に期待を裏切ってきた。
「うーんとね、半分くらいは終わったんだけど、やっぱり思うようには進まなかったかな。ちょっと焦ることにはなりそうかも」
「ふーん……」
それでも半分くらいは終わったのか。その効率の良さには脱帽だ。
いかにも楽観主義な蕗塔さんに悩むことや焦ることなんかあるのか、と思ったが、やはり成績を最上位でキープしようと思ったらそれなりに焦りもあるのだろう、と私は勝手に納得した。
「勉強熱心だねー……」
私は特に意図があるわけでもなく蕗塔さんにそう言った。
ちなみに蕗塔さんがそれだけ勉強できてないならみんな一緒だ、ぐらいにそれこそ楽観的に考えていた私は、後でかなり後悔することになったのだった。
* * *
「二年になって初めての定期考査だから、みんな頑張れよー」
テストもいよいよ直後に控えたある日のホームルーム、いつもの気の抜けた感じで杉下先生は言った。さっきは期末テストまでの期間が短すぎず長すぎず、とかよく分からない理由を並べていた私だが、やはり一学期中間テストは範囲が短いのがいい。新学期開始早々でバタバタする四月と、実質一週間分しかない五月の勉強が範囲になるのだから、おそらく一年で五回あるテストの中でも一番いい点数が取りやすいテストではないだろうか、と私は思っている。
そもそもテスト勉強といっても、実際に教科書やノートを見直したりする時間は少なかったりする。テスト前にワーク課題が大量に出され、まずはその処理に追われるからだ。範囲もテスト範囲とほとんど同じなので、やっとのことでワーク課題を終わらせてみれば、すぐ目の前にテストが迫っている、なんてこともよくある。先輩からよく聞く話だし、実際一年生の時も私はそのワーク課題でひいひい言っていた。
「えー……」
ちなみに私の成績はよくも悪くもない、といったところで、一番困る。勉強の仕方が悪いのか、はたまたもっと違うところに原因があるのかよく分からないのだ。テストがもう五日後に迫った日、私は数学の課題に手こずっていた。
「どうしたの? 分からないの?」
頭を抱えていると飛ぶように蕗塔さんがやってきた。
「まあね。私、数学あんまりできるわけじゃないから」
「もしよかったら教えよっか?」
「いいの? っていうか終わったの、蕗塔さんは」
「うん、もうとっくに。ゴールデンウィーク明けの最初の日の朝、勉強してたでしょ? あの時でもうワークの終わりの方だったから」
「へえ……」
やはり成績のいい人は違う。効率も私とは段違いだ。
それからワークが全部終わるまで分からないところは蕗塔さんに聞いた。蕗塔さんは教えるのが上手く、聞けば聞くほどそのことが分かって私は安心して話を聞いていられた。
しかしさすがに全部の教科を蕗塔さんに聞きまくるわけにはいかず、数学は蕗塔さんのおかげでなんとかなったものの、他の教科に関しては正直微妙、という状態でテスト初日を迎えた。
「おい、二年からテストの順位、掲示板に貼り出しらしいぜ」
遅くまで頑張って勉強しながら、私はなんとかテスト期間を乗り切った。終わればまたすぐに普通の授業が再開になるのだが、徐々にテストが返却されつつあったある日、私はそんな話を男子たちから盗み聞きした。盗み聞きしたといえば聞こえは悪いが、男子があまりにも大声でそのことを騒ぐので聞こえてしまった、の方が正しいか。
そして私はその話を聞いて、急に背筋が寒くなるのが分かった。もし貼り出しされれば、私がそんなに頭がよくないことが分かってしまう。一年生の時には考えたこともなかった話だが、それは避けたかった。
「いいんじゃない別に?」
不安でそわそわする私とは対照的に、蕗塔さんはテストに関するどんな質問をされてもニコニコしてそう言った。そりゃ成績がいい人はそう言いますとも、成績が公開されたところで恥ずかしくはないだろうし。
「今回のテスト、そんなに自信あるの?」
あまりに気になった私は蕗塔さんにそう聞いてみた。蕗塔さんに関しては地理のテストもあって余計に負担が増えている。それで自信があるとは、いったいどういうことなのか。
「そんなに、すごく自信があるわけじゃないけど、でもまあ手応えはあるよ?」
相変わらずひょうひょうとした感じで蕗塔さんは答えた。いつか私もそんなこと言ってみたい。手応えは十分とか、向上心全開のアスリートかよ。
……と、そうこうしているうちにいよいよ全てのテストが返却され、順位表が本当に貼り出された。
「順位表出てるよ! 見に行こう?」
早速その情報をキャッチした蕗塔さんが興奮気味に言った。私もせっかくだし自分の順位の前後に誰がいるのか知っておかないと、と思い蕗塔さんについていった。
「お! 舞ちゃんのあったよ! えっと、ひゃくさんじ……」
「やめて!!」
今回の私の成績は真ん中より少しだけ上、という程度。これがいいのか悪いのかは人によって意見が分かれるのかもしれないが、少なくとも私にとってはいつも通り、むしろいつもよりちょっと上がったくらいだったので、心の中に巣食っていた不安はなくなっていた。
順位表は平均点が上の人から順にずらずらと並べられていて、横の欄は左から国語、英語、数学、理科、社会という具合。そしてなんと蕗塔さんだけのために、『地理』の欄がさらにその左に加えられていた。なんたる優遇。
「おい、なんだよこの『地理』っての」
「先生のミスじゃねえの?」
「こんなミスおかしくね? だってもともと中間テストって五教科で固定だろ?」
順位表の前に群がっていた人たちの中にはそうやって疑問を口にする人が多かった。そりゃそうだ。地理なんて一年の頃にすでにおさらばしていて、二年生になった私たちには本来関係ないはずなのだ。
「……あ」
そうだ、と私は思いつき、ついでに蕗塔さんの成績も見ておくことにした。よく成績表は自分より下を見るもんじゃない、さらに上を目指すなら見下すより成績が上の人を見て学ぶべきだ、と言うが、どうせ蕗塔さんは私より成績がいいだろう、だから私のしていることは間違っていないはずだ。
「あれ?」
しかしいくら探しても、蕗塔さんの名前が見つからなかった。まず見ないような珍しい名字なのですぐに見つかると私は高をくくっていたのだが、どうやら内容だった。まさか六教科受けたから成績表から外されたのか。
「蕗塔さんの成績、見当たらないんだけど」
「そんなことないよ、ちゃんとあるよ?」
「でも……」
「よく探せば見つかるよ。よーくね」
やっぱり蕗塔さんはニコニコしていた。どういうことだろう、と私は不思議に思っていたが、ふと思い出した。地理を受けているのは蕗塔さんだけだ、つまり何点かは知らないが地理の欄に点数が書かれている成績を見つければ、それが自動的に蕗塔さんのものになる。いいこと思いついた、とばかり私は成績表の中から意気揚々と蕗塔、の名前を探し始めた。
「一番上から見ると分かるよ」
蕗塔さんはそう言った。
「一番上ねえ……」
私が普段絶対に見ない位置だ。そんなところに自分の名前が載ることはまずないし、こんなに点数取ってるんだ、と考えると目の前が少し暗くなる。実際その時もブラックアウトしかけていた。
「……あ」
確かに一番上から見ると、すぐに見つかった。一番上に蕗塔彩、の名前が輝いていた。しかしそれより問題だったのは、点数だった。
国語満点、英語満点。右に目線を移しても、数学満点、理科満点、社会満点、地理まで満点だった。
「平均点、百点……」
全部満点なのだから必然的にそうなる。蕗塔さんは他の生徒を差し置いて、ぶっちぎりの一位だったのだ。
私は恐怖か戦慄に似たものを感じて、隣にいた蕗塔さんを見た。彼女はずっと、ニコニコしていた。その成績を得意げにしているような態度では決してない。ただ、転校してきて不安だったけどこれならうまくいきそう、という安心の笑みを浮かべていた。そして私は、改めて思った。
私はどうやら、とんでもない子に絡まれているらしい……!!
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