不思議な転校生(2)

「手を挙げろ!」


 教室の扉が勢いよく開いた瞬間、怒鳴り声が響いた。まさか始業式という気の緩みに緩みきった日を狙ったテロか。

 いやそんなまさか、と私は教卓の方を見た。


 杉下先生がまっすぐに手を挙げていた。お手本のような挙げ方だった。逆に怪しい。もしや杉下先生もグルか?

 いやそんなまさか、と私は声の響いた扉の方を見た。


 真っ白な髪をした、うちの中学校の制服を着た少女が水鉄砲を構え、教室中を舐めるように見渡していた。何だ転校生がやってんのか、どんな下手くそな芝居だよ、と男子たちが笑い始めたその時、


「てぇーい!!」


 彼女がその笑った男子のグループに向けてまっすぐ水鉄砲を撃った。発射された瞬間妙に泡立ったその液体は寸分の狂いもなく男子たちの目に次々と命中。ほどなくして男子たちが悶絶し始めた。


「あいつ石鹸水飛ばしてきやがった! 超目ぇ痛ぇ!!」

「それそれそれそれそれー!!」

「やめろやめろやめろ、俺たちが悪かっ……うごぼごえあぎゃぶお!?」


 男子たちが次々と悶絶のあまり倒れてゆく。


「……よし、よく分かった。蕗塔、もういいから!」


 杉下先生もギブアップするべくそう言ったが、そんな杉下先生の顔にも容赦ない一撃。どんないざこざがあったのか、と邪推せざるを得ないほど恨みのこもった一撃だった。


「よいしょ、っと」


 律儀に彼女は水鉄砲を制服の中にしまい込んだ。ん? ちょっと待て。今ちらっと五つぐらい水鉄砲隠し持ってたのが見えた気がする。いや、気のせいか。うん、気のせいだ。気のせいということにしておこう。


「改めまして! 今日からこのクラスでお世話になります、蕗塔彩ふきのとう・さやです! 以後、お見知りおきを」


 丁寧に彼女はお辞儀をしてみせた。そして同時に黒板のど真ん中に掛け軸が現れる。名前とともにイニシャルのS・Fがしっかりと達筆で刻まれていた。そんなものまで仕込んでいたのか。それにしても変わった名前だ。

 幸いにして被害に遭わなかった男子たちと女子たちはみな、彼女の訳の分からない登場の仕方に唖然としていた。そんなみんなをよそに彼女はのっそのっそと教室の真ん中の方へやってくる。


「(あれ? これ私の方に来てない?)」


 私が気付いた時にはもう遅かった。彼女は空いていた私の隣に座り、


「舞ちゃん、よろしくね?」


 と声をかけてきた。何で私のことを知ってるんだ。


「何で知ってんだ、みたいな顔してるね」


 そりゃそうだ。というかどうして今の仏頂面がそういう意味だと知ってるんだ。


「私、ちゃんとここに来る前に下調べしたんだから。舞ちゃんがこのクラスにいることも確認して、それでこのクラスを希望したし」

「怖っ!」

「これからよろしくね、舞ちゃん」


 私の頭の中は整理するのを拒否していた。しかしどうやら少なくともこれからの私の一年間は、穏やかなものではなくなってしまうらしかった。


「……ああ、そこの空いてる席は近藤のものだった。けど近藤は転校していったから、今日からそこは蕗塔の席だ」


 そういうことだったのか。

 近藤くんもうちの中学校に転校してきた一人だが、さっき言った転校説の典型で、結局馴染めずに別の学校へ行ってしまったらしい。


「……じゃ、じゃあそろそろ二年生の移動の時間だろうから、体育館に行こう」


 杉下先生のその言葉も、私の頭の中で虚しく響くだけだった。



* * *



 ところで私の身長は163cmと、十三歳、十四歳女子の全国平均身長よりかなり高い。そのためか背の順に並んでも割と後ろから数えた方が早い位置にいるのだが、蕗塔さんはさすがにそんなに背は高くないらしく近くにはいなかった。ちなみに体重は秘密だ。そんなこと簡単に聞くものじゃない。といっても別に特別重いとか特別軽いとかそんなことはなくて、標準も標準、しかも身長のことも考えれば少しやせ型寄りの体型だ。


「それじゃ、明日から授業始まっていくから、ちゃんと準備して来いよー」


 新しい時間割を配り、クラスの委員長やその他委員を決めるなどした後、杉下先生のその言葉でこの日は解散になった。


「舞ちゃん舞ちゃん!!」


 終わって教室内が騒がしくなった。それは今日これからどうする、いや今日部活あるんだよな、という会話や、あるいはあの転校生正直どう思うよ? というようなひそひそ話だったが、その騒がしさに乗じて蕗塔さんが私に話しかけてきた。


「……なに?」


 別にそういうつもりは全くなかったのだが、私は不機嫌そうな答え方をしてしまった。しかし蕗塔さんは気にしていないのか気付いていないのか、構わず話を続けた。


「舞ちゃんについて行ってもいい?」

「ついて行くって、今日部活なんだけど?」

「分かってるよ?」


 そんなの当たり前じゃん、とでも言いたげな表情と口調で蕗塔さんが言った。

 私は生徒会に所属しているが、書道部にも入って活動している。すらっとした体型も相まって運動ができるんだとよく勘違いされるが、実際はいい意味でも悪い意味でも運動神経は普通だ。運動ができるわけでもないが、みんなの足を引っ張りまくるわけでもない。まさによくも悪くもない。


「分かってるって、私書道部なんだけど?」

「うん、分かってる。せっかく初日だし見学していこうかな、って思ってさ」

「……」


 お前はどこまで私のことを知ってるんだ。部活動が何かまで把握してるなんて。


「……あの」

「ん? なに?」

「あなたは私をどこまで知ってるの? なんか怖い」

「え? まず生徒会で広報委員長補佐の仕事をしてるでしょ、それから一月十日生まれでしょ、成績はちょうど真ん中ぐらいでしょ、自分のことをよくも悪くも普通だって思ってるでしょ、それから……」

「分かった。すごく怖い子だってことはよく分かった」


 私は蕗塔さんを置いてゆくようにして早足で部活に向かった。


「わぁぁ、ちょっと待ってよ!」


 蕗塔さんがそう言ったが、私は知らないふりをして歩いていった。



「……ふう」


 私は書道部の部室に着いて、少しため息をついた。畳の上に座ると、なんだか落ち着く気がするのだ。だがその一瞬の安堵は、またも一瞬にして吹き飛んだ。


「こんちわ! ここが書道部!?」


 例の蕗塔さんである。こいつついてきてやがったのか。


「あ、舞ちゃんだ! やあやあ」


 やあやあじゃない。やっと落ち着いたのに。

 とはいえせっかく見学に来てくれたのをぞんざいに扱うわけにもいかず、私は表面上は何でもない顔をしつついろいろ案内した。感じ的には蕗塔さんも興味を持ったようだった。

 案内している最中はさすがの蕗塔さんも大人しかったので、徐々に私の方も落ち着いてきた。それにつれて私はひどい空腹感を覚えた。そう言えば朝を食べ忘れたのだ。


「おべんと、おべんと」


 私はなぜかそう口ずさみつつ、案内が一通り終わってちょこん、と座った蕗塔さんをよそにかばんをごそごそ探った。


「……ない」


 そうだ。私は朝ごはんをすっぽかしただけではなく、急いで家を出たせいでお弁当まで忘れてきたのだ。勘弁してくれ。


「ない……」


 わずかな希望にかけてかばんの中身を全部ひっくり返してもないことが分かり、私は力なくそうつぶやいた。


「え? お弁当忘れたの?」


 この時ばかりはふざける場面じゃないと思ったのか、蕗塔さんが心配そうに声をかけてきた。私はうなずく。


「じゃあ、食堂行かない?」


 その一言は私にとって救いだった。ああ、救世主様。



 結局食堂に行ったもののもともとお弁当の予定だった私はお母さんからお金をもらっているはずがなく、蕗塔さんにおごってもらう形になった。これで私は蕗塔さんに頭が上がらなくなってしまった。どうしよう。


「ここ、食堂あるんだねー」

「え? うん……」


 うちの中学校は結構遠いところから通っている生徒もいて、朝早く家を出なきゃいけない人もいる。そんな人のために中学校では珍しく食堂がある。といってもそんなおしゃれなものじゃなくて、定番メニューが並ぶだけのようなこじんまりしたもので、結局比較的近くから通っている人は弁当を持ってくるのが安定だ。


「でもやっぱりお母さんのおべんとかな……おべんとおいしいもんねー」


 私が言っていたのを聞いていたのか、蕗塔さんもおべんと、と言った。

 結局その日は少し練習して、蕗塔さんが横でその様子をじっと見るので終わった。



「……ふう」


 家に帰ってお風呂に入り、自分の部屋のベッドに座って、私はやっと一息ついた。今日はひどい日だった。初日からこんなのでこれから一年間大丈夫か、私。

 しかしどうやら、私に安堵する暇はないようだった。コツンコツン、と部屋の窓を軽く叩く音が聞こえた。洗濯もののさおか何かが風に揺れて当たってるのか、ぐらいにしか思っていなかったが、しばらくしてギギギ……とゆっくりその窓が開いた。


「ひっ!!」

「舞ちゃーん」


 聞いたことがある声がした。まさか、と思って私は窓の外を見た。


 蕗塔彩、その人であった。彼女が隣の家の窓から顔を出し、こちらに向けて手を振っていた。手には何やら金属で作られたマジックハンドが握られていた。私は意図せずため息を漏らしてしまった。


「隣に引っ越してきたのー! これからよろしくねー!」


 そういうことだったのか。

 結局帰る時も一緒だったのだが、妙に同じ道をついてくると思っていたのだ。まさかお隣さんだったとは。しかも蕗塔さんの隣にはお母さんらしき人もいて、無下に扱うこともできず私はお母さんに向けてにこやかに会釈するしかなかった。そして向こうの家の窓が閉められたので、私も窓を閉めた。さっきはカギをかけていなかったから開けられたのかと思い、私はカギを閉めストッパーまでかけた。


「はあ……寝よ」


 新学期初日からひどく疲れた私ができることは、あとそれだけしかないようだった。宿題や他にやることもなかったのでちょうどよかった。

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