隣の変人さん。

奈良ひさぎ

不思議な転校生(1)

「……舞、起きろー。母さんもさっきからずっと呼んでるし。ってかお前、今日立ち番がどうとか言ってなかったっけ?」


 いつも通りの朝、いつも通りの声が家に響く。


「うん……ああ、そうだった気がする」


 私はおぼろげながらそう答えて、やっとこさベッドから全身を起こした。ベッドというのはなんと気持ちのいい道具なのだろうか。最初に作った人はたぶん天才だ。いや、間違いない。


「朝ごはんできてるし、早く降りてこいよー」

「分かってるー」


 間の抜けた返事を返し、もぞもぞしながら私は制服に着替える。スカートをはき、ブレザーを着る。そして学校指定のかばんを持ち上げて、ようやく自分がもしかして何か重要なことを忘れてるんじゃないか、と思い始めた。

 そこからは早い。


「……あ」


 そうだ。

 今日は立ち番の日じゃないか。

 校門の前で生徒会の腕章をつけて立ち、登校してくる生徒たちにおはようございます、と声をかける日ではないか。


 と言うとさっきまで分かってたんじゃないのか、と言われそうだが、残念ながらその時の私はそれどころではなかった。とにかく頭がついてきておらず、返事もちゃんと言われていることを理解してしたわけではない。私にとって今日が立ち番の日、それも朝ごはんなんてのんびり食べていられないぐらいギリギリの時間だと認識したのはまさにこの瞬間だったのだ。


「まずい……!!」


 その事実に気付いた私が最初に発した言葉がそれだった。そしてかばんをひっつかんで下の階に降り、むしゃむしゃと朝ごはんを頬張っている兄を尻目に玄関へダッシュ。朝ごはんは? と聞いてくる母親に、


「無理! 間に合わない!」


 と答える。母親のため息が聞こえた。

 そう言えば、と慌てて顔を洗い、靴を履いて家を出た。パンぐらいくわえていけばよかった、と後悔したのはその少し後のことである。



「はあっ、はあっ……」


 何で初日からこんな目に、と私はひどく落ち込んでいた。最初こそ間に合うかどうかという不安が頭の中のほとんどを占めていて気にならなかったが、どうやら何とかギリギリいけそうだ、と分かり始めた瞬間別の意味での不安が押し寄せてきた。

 その前に、学校に着くまで歩いて十五分ほどの距離があるので、こんな状態ではあるが自己紹介させてほしい。


 私の名前は寺阪舞てらさか・まい。稔前市立香ヶ丘中学校に通う、今日から二年生だ。私の特徴を挙げなさいと言われるといつも私は困ってしまうのだが、強いて言うならば茶色の髪をポニーテールにしたところだろうか。ポニーテール自体も母親が似合うと言って小学校の頃にくくってくれたのが習慣になってしまっているからなのだが、不思議なことに何年も同じ髪型でいると、この後ろに長く垂れ下がるポニーテールも気に入るというものだ。

 そんな私は一年生の終わりから生徒会に入り、今日は始業式ということで生徒会メンバー全員が少し朝早く来て、校門であいさつをする。その大事な初日に私は遅刻しかけたのだ。

 そして私をさっき起こしてくれたのは兄のけい。私よりも三歳年上の高校二年生で、私と違って早起きが得意だ。だがまだ春休みの途中らしく、のんびり起き出してもしゃもしゃと朝ごはんを頬張っていた。それでもそのまま学校に行けば間に合う時間なのだからさすがである。


 小学校の頃は私も、早く寝て早く起きる、典型的な真面目少女だった。しかし中学校は違う。勉強も比べ物にならないくらい忙しくなるし、テスト前に限ってどさっと宿題が出たりする。夜寝るのが遅くなり、睡眠時間が短くなるのは必然だった。そうなると朝の目覚め方が全然違ってくる。なんか最近調子悪いな、と思い始めた頃にはもう遅かった。なんだかんだ言って私はあまり要領のいいタイプではないので、ずるずると睡眠不足の状態が続いてここまで来ている。


「はあ……間に合った」


 予想通り何とか集合の三分前に間に合い、無事校門前の立ち番を始めることができた。そうすると今度は別の悩みが私を襲った。


「お腹空いたー……」


 朝起きたばかりはそうでもないが、時間が経ってくるにつれお腹はやはり空く。ぐぅぅぅ、とお腹が鳴るのが周りに聞こえていないかヒヤヒヤしつつ、三十分ほど続いた立ち番の仕事は終わった。終わった瞬間その場を逃げ出すように離れ、クラス分けが書かれた紙を見に行く。


「五組か……」


 うちの中学校は近くの小学校三校分の生徒が来ることもあって、一学年当たりのクラス数は九つとまあまあ多い。特に成績によってクラスが決まるというわけではないのだが、やはりクラスと担任の先生が誰かを見てあれこれ想像してしまうというのはみんな共感してくれることだろう。ちなみに五組の担任は杉下先生という英語の先生で、去年は一年七組の担任だった。去年七組だった私は、二年連続でお世話になることになる。


「おはよー」


 教室に入って私は特定の誰かにというわけでもなくそう言った。あらかじめ一年の頃からの知り合いがちらほらいるのは分かっていたのでそうしたのだ。そして向こうからもおはよー、とゆるい返事が返ってきた。


「お、舞も五組?」

「そうだよ」

「んじゃ一緒かー、また杉下じゃんね」


 私としては特に杉下先生が嫌というわけでもなく、むしろ先生の授業は分かりやすいので好きな方なのだが、厳しい時には厳しい先生で男子の大半から嫌われている。女子の中でも一定数嫌っている人がいるので、とんだ嫌われ者だな、とさすがに言わざるを得ない。それでも私は信じる。別に杉下先生は理不尽なことで怒る人じゃないのだ。


「そいや舞さ、転校生来るの知ってる?」

「転校生?」

「そ。今回はうちのクラスに、一人だけ。なぜか一組とかじゃなく、うちに」

「へえ……」


 転校生、というワードはあまり私たちにとっていいイメージではない。もちろんこれまで小学校のころも含めれば何人も転校生は来たのだが、みんな馴染めずほどなくしてまた別の学校へ行ってしまうばかりだった。こちらから歓迎モード全開にしても向こうがひどく遠慮して結局輪の中に入れなかったので、そのうち私たちも転校生なんてどうでもよくね、という雰囲気になってしまったのだ。そういうわけで今回の転校生の情報も、あまり前向きに受け取っていない人がほとんどのようだった。男子に至っては転校生のことなどまるで知らないという風に何やら固まって話し合っている。


「おーい、じゃあホームルームするぞー」


 そうこうしていると杉下先生が教室に入ってきた。私も話していた子も席に着く。男子たちは一瞬杉下先生をにらんで会話に戻ろうとしたが、杉下先生が構わずホームルームを始めたのを見て渋々席に戻った。


「(また一年間、杉下の顔かよ)」

「(ほんとやってられねえよな。三組なんかほら、あの新任の女の先生だろ)」

「(ああ、あの美人って噂の?)」

「(おっぱい大きいしさ)」


 席に着いてからも相変わらず男子たちは下品な会話を繰り広げてはぎゃはは、と笑っていた。それが聞こえているのかはたまた聞こえていないのか、杉下先生は一通り始業式の説明をした。


 教室の空気が変わったのは、それからだった。


「ああ、そうだ。今回うちのクラスだけ一人、転校生がいるんだ。向こうからうちのクラスを希望してくれたんだ」


 このクラスを?

 まずそこがはなはだ疑問だった。希望するということはそうするに足る理由があるはずで、だが新クラスに関するあれこれが事前に分かるはずはない。

 私の疑問を置いてけぼりにして、杉下先生は教室の外に向かって呼びかけた。


「おーい、蕗塔ふきのとう。入ってきていいぞー」


 呼びかけが終わるか終わらないかといううちに、教室の扉が思い切り開けられた。

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