間章~真理の探究編
第0話 悪魔たちの仮定と事象~旧き探究者はかく語りき。されどその想い未だ叶わず~
そこは、まるで地の底の深潭か?
或いは星々の輝きも届かぬ黒き森の奥底なのか?
――――いや違う。
そこは星々の瞬きすら届かぬ、外部から完全に隔絶された巨大な構造体の奥底。人工的に外部からの光を遮断すべく、幾重にも重なった防壁の内側。
命の息吹を乗せた風も、風に乗って飛ぶ羽虫一匹進入することを許さぬ。
そんな排他的な場所であった。
—―――しかし、である。
驚くべきことに、そんな漆黒のベールで隠された、何者の侵入も許さぬような閉鎖空間の中にあって、微かに大気の変化を齎す存在が、居た。
……すう……はあ……すう……はあ……すう……はあ……すう……はあ……
それは断続的に響く、荒い吐息。何かに苦しむ女性の口腔から発せられる呼吸音。
………………
そんな呼吸音が、不意に途切れ、沈黙が訪れる。
そして…
「…こんな力が…自然発生的に現れ、人や獣に力を与えるなど………あり得ない……やはり………私の結論は間違っていない…」
…呼吸音の代りに、闇の中に潜む何者かの唇がそんな言葉を紡ぎ出し、暗闇の中に響き渡らせるのだった。
それは、暗闇に支配されていた空間に、さらなる変化を齎す切っ掛けでもあった。
次の瞬間、突如として淡い光が暗闇を退け、漆黒のベールに隠されていた部屋の内部を照らし出した。
瞬く間に淡い光は闇を駆逐し、暗闇の内側に隠されていた真実の姿を照らし出す。
見よ!
そこは、堆く積まれた書物が、大量の机を、大量の本棚を占領した
善なる知識、邪悪なる知識。そのどちらでも無い知識。
それらが綯い交ぜになった書物が、竹簡が、木簡が、羊皮紙が、パピルスが、その他、人類の歴史で獲得した情報記憶媒体が積み上げられた、広大無辺な知識の集積所たる殿堂。
幾星霜に渡り綴られてきた人々の知識に対する情熱の集積所であったのだ。
この場が異様に排他的な空間である理由は、それらの情報媒体の欠損を防ぐためなのだと理解できる。
「…私は…私の結論は…間違っていない…」
顕になった知識の殿堂…巨大図書館内部に、再び女性の言葉が紡がれ、響いた。
すると、淡い光は先程とは真逆に、時間の経過に合わせてその輝きを弱めていった。図書館内部の極一部。すなわち女性の周辺だけを浮かび上がらせるように。
「…私は…私の結論は間違っていない…」
淡い光の光源のすぐ近くで、三度、女性の声が図書館内部に響いた。
図書館の中心に置かれた、乱雑に魔術書が積まれた
玉案の手前に置かれたゆったりとした肘掛け椅子。そこに、図書館の主たる魔王、闇の衣を纏った金髪の女性は座って居た。
そして、その闇の衣のスリットから見える、張りがありながらスラリと伸びた太腿の上に、光源は存在した。
古に語られた半神とも言うべき力を得た人間や、深き森の奥に潜んでいた神獣、魔獣。それらに大いなる力を与えてきた秘宝である。
西洋においては賢者の石と称されていた神秘の力の源。東洋においては如意宝珠と呼ばれた物体が。
「…私の結論は間違っていない…」
如意宝珠を太腿の上に置いた闇の衣を纏った女性魔術師の名は、大賢者マリア。彼女は四度、同じ内容を繰り返し呟き、その声は図書館内部へとに響き渡った。
(私は…この如意宝珠の元素となる人々の想念の力…その半分である邪悪な意志の部分のみを抽出して結晶化し、魔の種子を生み出した…)
「…私は…」
(…さらにただの人間に準じた力しか持たぬ魔術師たちを、魔の種子デモンズシードで転生させ、ホモ・サピエンスの上位互換種ともいうべき種、ホモ・サピエンス・デビレンシスを生み出した…今現在のこの私が、その第一号だ…)
「…間違っていなかった…」
魔王にして大賢者たるマリアは、そう自分の業績を確かめるように呟く。しかし、その転生によって永遠の美しさを手に入れた彼女の貌は、今現在も憂いに満ちていた。
(だが…なぜ…
「…私は…何を間違ったのだ…」
(…私は…如意宝珠を生み出す力の半分を魔胎盤で集め、魔の種子を生み出した………そうすることによって…自然と世界各地の聖域で………もう半分の力の結晶…聖なる想念の結晶体、聖石が誕生すると考えていた…)
「…それなのに…数百年間…世界中の何処を探しても聖石は発見できない…」
(これでは…聖石がなければ…従来型の如意宝珠と
「…落ち着こう…」
大賢者マリアはそう自分に言い聞かせて、机の上に置いていた理性の仮面を、失望感によって震えている左手で掴むのだった。
そして美しい貌を、外付けの良心回路であるその仮面で覆い、冷静さを取り戻そうとする。
理性の仮面。
それは、一般人を遥かに凌駕する強大な力を持ったために、暴走しがちになる
マリアはそんな理性の仮面を使い続けることで、自身の失望感に圧し潰されそうになる感情を抑制し、数百年の間、何とか自我を保ってきたのだ。
「ふう…」
(…ですが…肉体はともかく…私の精神は限界が近い…)
冷静に、自分の精神状況を分析する
(…これまで自分の業績を
マリアがデモンズシードを精製に成功したことで、自然界での如意宝珠の発生が抑制され、人類の生存圏を圧迫してきた神獣、魔獣の数が増えることはなくなった。
また、マリア旗下の魔術師たちは、魔の種子でビレンシスに転生することで、神獣、魔獣の力を上回り、容易にそれらの討伐をが可能とした。
その結果。
世界各地で人類は森を切り開き、暗黒時代を越えて生存圏を拡げていくことが可能になった。ついには自然科学の研究発展が国策で成されるまでとなり、西欧の島国においては、第一次産業革命を成し遂げるまでに至った。
今日に至るまで、そんなマリア旗下の魔術師たちの活躍は、決して表の歴史に標されることは無かった。
だが、地球人類の生存圏拡大に、大賢者マリアによるデモンズシード精製が多大なる貢献を果たしたことは、紛れもない事実であった。
「…ですが…もう限界…ですね…」
(…残念ですが…聖石の探索は弟子たちに任せ…眠りに付かなければならないようです…)
「…我が弟子たちよ………私の代りに聖石を探し出し、この世になぜ魔術が存在できるのか…その謎を解き明かして欲しい………時を越えて………」
如意宝珠が発する淡い光が弱まり、再び巨大な図書館内部が暗闇に包まれる。
パキ…ピキ………
続いて、暗闇の中で冷気が生じ、
そんな氷の聖櫃の内部で、マリアは磨り減った
◇◇◇
そして時は流れ―――20世紀も終わりを迎えた頃。
「…我が盟友、朱金華よ、良い知らせと悪い知らせがあるわ。どちらの報告を先に聞きたい?」
「…悪い知らせから。聞かせてヴィヴィアン」
窓越しに虚空を見詰める将魔ふたりの中、金髪紅眼の小柄な少女の名が朱金華。金属性の術式を操る将魔だ。
そして、もう一人の銀髪碧眼で長身の少女がヴィヴィアン・ルーズレイン。水属性の術式を操る将魔である。
共に大賢者マリアの高弟として事後を託され、
「…最近、EF(エルダーフレイム)団なる輩が、大量の如意宝珠を手に闇の世界の勢力図を急速に塗り替えているけど…我等の仲間の内部に、密かに連中と通じている者がいるようなの」
「…存じています。もし一般人たちに危害を加えるようなら…統率者として責務を果たさねばならないでしょう…それで、良い知らせとは?」
「…まだ不確かな情報なのだけど、極東の島国で、如意宝珠とも、我々が力の源とする魔の種子とも違う術式発動体を持つ術者と遭遇した。そう報告があったわ」
「⁉ それは…まさか?」
無関心ともとれる冷徹な表情を崩さずに、ヴィヴィアンの報告を聞いていた金華だったが、予想外の報告に驚きの声を上げ、盟友の双眸を凝視した。
まるで蒼い瞳に揺れる
「…現在、現地の部下たちに再度の接触を目指すように、島国中を探させているわ…でもね、見つからないのよ。それでまだ確証は得られていない訳。とはいえ、見つかるまで貴女に報告しない訳にもいかないから、私自らここに戻って来たのよ」
「…そうですか…ですが、如意宝珠でも、魔の種子でもない発動体を使用していたのは確かなのですよね?」
先程までの冷徹な表情は何処へいったか。そうであって欲しい…そう言ってくれ…そう縋るような表情でヴィヴィアンに近付き、金華は肯定を求めた。
もう一世紀もの間、師たるマリアの意志を継ぎ、聖石を探し続けてきたのだ。そろそろ、そんな努力が報われても良い頃だ。
だからそうだと言ってください。何でもしますから!
そんな想いが、金華の所作からありありと見て取れ、ヴィヴィアンは苦笑した。
一世紀の間、聖石を探し続けてきたのはヴィヴィアンも同様だ。金華の想いを誰よりも良く理解しているのはヴィヴィアン自身なのだ。
だからヴィヴィアンは、んん? 何でもするって本気なの…などと盟友を揶揄うことはせず、淡々と受けた報告通りの内容を、金華に言って聞かせるのだった。
「ええ…十中八九、聖石で間違いないわ。彼女たちと接触した部下たちによれば、彼女たちは聖なる力を纏い、自らを聖少女と名乗っていたそうよ…でも…」
「でも?」
「…せこい軽犯罪を犯していたEF団の下っ端連中を、聖なる術式で薙ぎ払った後、忽然と消えてしまったそうよ…まるで異空間転移でもしたかのように」
「…空間転移…そう…それが事実なら、聖石は異空間…伝説に語られる妖精郷のような場所で生み出されている…その仮定は正しかったのでしょうね…」
聖石を見付けられなかったのは、自分たちが無能だったのではなく、あちらが一枚上手だったため。そう安堵する金華であった。
百年の間、無能ゆえに聖石を見付けられないのであったなら、後を任された身として、師たる大賢者マリアに対し申し開きもできない。
だが、相手が一枚も二枚も上の相手で、自分たちが知らぬ手札を何枚も待っているのなら、話は違う。自分たちに落ち度はなかったと言える。
「その様ね。我々としてもこの百年の間、何度も聖なる力の流れを追い掛け、聖石の在処を暴き出そうと努めたわ…でも発見することはついに叶わなかった」
探索の結果は、二人の将魔が語り合う通りである。
百年の間、
また、独自に聖石の精製にも幾度となく挑戦したが、やはり満足のいく成果は得られないでいた。
魔の想念を集め魔の種子を生み出す魔胎盤を発明した大賢者マリアが、如何に偉大だったか。
金華とヴィヴィアンはじめ、配下の
しかし、今回ばかりは違う。
今回の報告と過去の研究と探索を鑑みれば、解答は自ずと導き出される。
「決まりね」
「ええ」
頷き合う金華とヴィヴィアン。
「私たちの連名で、配下の魔術師たちに指示を出しましょう。極東の島国…日本の地に聖石と聖域…或いは妖精郷は在り。そこで聖少女たちと接触し、何としても聖石を手に入れるのです…と。これで良いかしら?」
「私に異論はないわ。これでやっと、マスターマリアとの約束が果たせる。あの御方からこの身に受けた恩の百分の一でも返せるなら、私は何だってするわよ」
「それは私も同じです。私もこの箱舟を任された身でなかったら、単身でも日本に出向くのですが…頼みますよヴィヴィアン」
「ああ、任せろ!」
一世紀にも及ぶ努力がやっと報われると、互いに笑顔を見せ合う二人の将魔。こんなホッとできる時間は本当に何十年か振りであった。
これまでの百年間、配下の魔術師たちの統率と聖石探索を、必死になってこなしてきた。
滅多に休むこともできなかった二人である。
常に張り詰めていた箱舟内部の雰囲気が、この時ばかりは優しく暖かなものへと変化した。じつに十数年振りのことである。
二人が大賢者マリアの許で、何の憂いもなく術式の研鑽に明け暮れた修業時代に戻ったようであった。
「…ねえ、金華」
その修業時代の雰囲気に流され、ヴィヴィアンはおもむろに金華との距離を縮め、細い腰に手を回して、その小柄な肢体を引き寄せた。
魔の種子の力を解放して転生し、初めて二人で魔獣を滅ぼした後、その余韻を残したまま肌を重ねた夜のように。
「ん…駄目よ…こういうことは、聖石を手にしてからに…ん…」
突然の盟友の行動を、戸惑いつつも拒否しない金華。唯一、抵抗らしい声を上げた唇も、ヴィヴィアンの唇に塞がれ、それ以上は何も言えなくなる。
「…帰ってきたら、続きをしましょう」
「…ええ」
「約束よ」
金華の唇を不意打ちで奪ったヴィヴィアンは、そう言い残してウインクすると、踵を返して船内通路へと向かった。
その後姿を見送り、頬を朱に染めた金華は、はあっと溜息を吐いた。
「…お預けは嫌よ。聖石を手に早く戻って来てくださいね」
金華の願いを背中で受け、
こうして大賢者マリアが眠りに付いて百年が過ぎた頃。
魔術師たちはやっと見つけた手掛かりを頼りに、日本での本格的な聖石探索を開始した。
しかし、将魔たる彼女等含め魔術師たちは、その後の二十年で思い知ることになった。
確かに聖少女の存在を確認できたことは、聖石を求める魔術師たちには大きな飛躍となった。
とは言え、事はそうそう旨くは運ばなかった。
聖少女たちは自分たちが住む異空間の聖域に引き籠り、簡単には現世に現れなかった。
無論、金華とヴィヴィアンの尊い百合の日々はお預けとなり、無常に歳月のみが積み重なった。
時に、2019年初夏。
魔術師たちは聖少女たちに対し、未だに聖石を譲り受ける交渉すらできずにいた。
それ故に―――――
「ああ、もうっ! どうして世界は! 現実はなぜこうも冷たく厳しいの! 冗談抜きに泣いちゃうわよ!」
―――――将魔であるヴィヴィアンでさえ、泣き言を言い出す始末であった。
自分は盟友との約束も満足に護れないのかと音を上げる水の将魔。このように、魔術師たちのコミュニティは我慢の限界を迎えていたのだった。
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