第3話 乱入者~それは白炎の華~4

 ああ___これは。


 生き残ろうとすれば復讐は果たせない。


 とはいえ、復讐に囚われ、それを優先すれば生き残れない―――


 ___どちらを選ぶ?


 ___決まっている。


 ___復讐だ! それ以外はあり得ない!


 だからこそ!


 俺は、命を賭して奴を討ち、人狼にされ、運命を歪められた仲間たちの仇を取る!


 濁った眼球と、半ば焼け焦げた鼻腔で魔術師の居場所を特定し、人狼斬夢は駆け出した。

 彼には炎による火傷と、飛来した村の残骸に刺し貫かれた胴体を気にしている暇はなかった。


 そう。


 治療が受けられないこの身体には、時間がない。


 すでに余命いくばくもない状態。

 この状態で残骸を引き抜けば、出血と同時に残された僅かな体力も失ってしまう。また、透過した爆発の衝撃波によって損傷を受けた内臓も、完全に機能を喪失することだろう。


 そうなれば残された時間の中で、この牙が魔術師の喉笛を切り裂くことは永遠に不可能となる。


 今はとにかく、この傷付いた体のまま一歩でも多く、魔術師あくまベル・セルクスに近付かなければならない。


 いつ途切れるかも判らない命の弦。


 その瞬間が訪れる前に。


 命を掛けてベル・セルクスに復讐を遂げるためには、ここで後先を考えている暇はないのだ。


 疾走せよ!


 我が傷付いた身体よ!  


 一心不乱に! 脇目も振らずに疾走せよ!


 「アオオオオオオオオオオオオオオオオ―――ンンンッ!!!」


 ◇◇◇


 「…あああ…あああああああっ⁉」


 (はわわっ! にっ、逃げなければっ! 速く! この場から速く!)


 思惑が外れ、手駒を失った群狼の女性魔術師ベル・セルクスは、恐慌状態に陥っていた。


 ベル・セルクスは、操作系特化の魔術師で、他の術式は2流である。

 自身の戦闘力の低さを補うために、多数の魔法具を身に付け、普段は一人になるのを避けて、かならず側に人狼の護衛を置いている。

 しかし、今回は人狼が側に居ては返って目立つと単独で村の側の防風林に隠れていた。

 それが裏目に出て、自慢の群狼軍団は天魔の罠によりあっけなく全滅し、崩壊してしまった。


 混乱したベル・セルクスは、全滅を免れた人狼の生き残りが束縛を解き放ち、怒りの咆哮を上げていることにも気付かず、ただ、この場から逃げ出すことばかりを考えていた。


 早速、隠れていた防風林から離れ、単身、踵を返して目立たぬように撤退を開始する。


 「ほほほ…何処に行かれる? 魔術師どの?」


 突如ベル・セルクスに向け、未だ燃え盛る大火の影響で茜色に染まる天空から、熟女とも幼女ともつかぬ声が掛かった。

 熱を孕む風に揺れる防風林の下で、ベルはビクリッと体を震わせ、恐怖によりその場に凍り付いた。


 無論、微動だにしない魔術師を傲岸不遜に天空から見下ろすのは天魔である。兜巾をはじめ天狗装束を纏った幼女姿の大天狗、恒星天狗の二つ名をもつ香々背妙見だ。


 「ほほほ。我が自慢の罠に、どのような間抜けが掛かったのかと来てみれば、妙齢の女性魔術師とはな。これはこれは。中々…嬲り殺しにし甲斐が有りそうな獲物ではないか…くくくっ!」


 捕食者の双眸でベル・セルクスを捉えて早速、言葉で弄り始める恒星天狗。胡乱な発言でベルの恐怖を掻き立てているのだ。


 実際、ベルは敵に見つかった恐怖と、状況に何とか対応しようとする焦りのため、鼓動は高鳴り、思考はまとまらず、額からは大粒の汗を流していた。そして全身は、発汗でじわりと濡れるという状態であった。


 「くくっ、甘露。甘露よな…むっ!」


 カッ!


 突如として振り向くベル。自分を嘲笑う天魔に右手の人差し指の指輪を向け、怪光線を放つ!

 魔力を貫通レーザーに変換し、撃ち出す魔の法具である。


 ヴュシュウゥゥゥ―――――ンンン!


 だが余裕の天魔。レーザーは天魔の防壁を貫くことは叶わず、障壁の縁に沿って曲がり、高空へと消えていった。


 「ほほほっ。それだけかのう?」


 「くうっ!」


 奇襲攻撃を無効化され冷や汗を流すベルは、今度は大地に左手を翳し、もう一方の指輪の能力を開放する。


 ゴバッ!


 突如、ベルの足元の土が盛り上がり、人を乗せて走れるような、大きな土の狼が出現した!

 右手の指輪同様に使用者の魔力を利用し、狼型の識鬼を創り出す魔の法具である。


 早速、その土の狼の背に飛び乗り、逃走を図るベル。


 「ッアオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――ンンン!!!」


 その時のことだ。


 逃走するベルに追い縋るように、狼の咆哮が炎上する寒村側から聞こえてきた。


 それは無論、残された生命力をベル・セルクス討伐に使い尽くすと決めた人狼、斬夢の怨嗟と標的を捉えた歓喜の咆哮である。


 (居たなベル・セルクス! 貴様の! その柔らかそうな首筋を! この俺が噛み裂き! この喉を鮮血で潤してくれる!)


 人狼斬夢は、その瞬間だけを妄想し、一心不乱に逃げ出すベルに追い縋っていった!


 「ひっ!」


 ベルが恐怖の悲鳴を上げた。


 斬夢の叫びを聞いた当初、自分を護るために使役した人狼が戻って来たと勘違いし、歓喜の表情を浮かべたベルであったが、土狼の背から後方を振り返し、その考えを改めた。


 やって来た人狼は、明らかに自分に殺意を向けている。


 理由は解らないが、自分の手駒であるはずの人狼は、こちらのコントロールから離れ、自由に行動しているようだ。


 そして、明らかに自分を襲い噛み殺す気でいる。


 そのことに気付き、ベルは心底恐怖した。


 自分が人狼たちにやった仕打ちを。自分がどうして狙われるか、その原因をよく理解していたから。


 「くっ! 来るな! 来るなぁっ!」


 上空から見下ろす天魔のことも忘れ、右手の指輪を迫り来る斬夢に向け、貫通レーザーを放とうとするベル。

 心底、斬夢を恐れていた。


 放たれる貫通レーザー!


 ヴィシュウゥゥゥ――――――ンンン!


 しかし、それよりも一瞬早く、斬夢はその射線上から脇に逸れていた。レーザーが虚しく、斬夢の過去位置を貫いていった。


 「なっ、なんで!」


 (なんで、こうも簡単に躱される!)


 訳が解らないベル。


 しかし、その種は簡単である。


 斬夢は、半分焼け爛れた眼球の不便な視界ながら、ベルが天魔に使用した貫通レーザーを見ていたのだ。

 ベルの貫通レーザーは、シューティングゲームのへにょりレーザーのように曲がる能力はない。

 直線状に放射されるのみだ。


 斬夢は、そう看破していた。


 広範囲の爆裂や毒ガス、有害放射線の範囲攻撃でもない限り、大抵の攻撃は人狼の身体で対処可能である。


 今回の場合は、貫通レーザーの射線上に入ったら、機動力を駆使して脇に緊急退避すれば良いだけだ。

 速度を落とす必要もない。


 残る問題は、接近時に超近距離からレーザーを撃たれることだ。


 だが、斬夢としては元々、ベルを殺せればそれで良いという覚悟の特攻である。 

 鼻から相打ち上等であった。


 「来るなっ! 来ないでっ!」


 (当たれ! 当たって!)


 焦るベルの右手の指輪から、次々に放たれる貫通レーザー。


 しかし、不安定な土狼の背で振り返り、焦りながら放つ攻撃が、そうそう標的に当たるはずもない。

 斬夢はこれを好機と見て、左右にジグザグに回避行動を取りながらさらに距離を詰めていく。


 (ひっ! どうする! どうすれば!)


 「! あっ!」


 (そっ、そうよ! 手駒を増やせば!)


 人狼斬夢と後三馬身程の距離となってやっと、もう一体の土狼の識鬼を生み出し、斬夢を阻めばよいと気付くベル。


 今度は右手で土狼に縋り付き、左腕を下の向け、指輪の能力を開放しようと試みる。


 シュンッ!


 (⁉)


 一迅の風と共に撃ち放たれた真空波が、ベルの左手の指を指輪ごと切り落としたのは、その瞬間のことであった。


 「???…ぁあああ…ああああああああああああっ!!!」


 指を失い、迫る死の恐怖に絶叫する群郎の女性魔術師。しかし、生き残るために残る右手で、必死に土狼の背にしがみ付き、転落することだけは免れる。


 そのベルの必死の絶叫は、後方の上空で静止し、天狗の羽団扇を振る天魔まで届き、幼女の姿をした大天狗はくくっと、嘲笑した。


 (ふむ。あの人狼は次の罠に仕立てられるかもしれんのう。良い拾い物かもしれん)


 無論、風を操りベルの指を切り落としたのは、この幼女の姿をした大天狗に、天魔である。


 そして、痛みで絶叫するベルに、ついに最後の瞬間が訪れる。


 「ッガアアアアアアアッ!!!」


 一馬身程の距離まで迫った斬夢が、跳び掛かるための最後の加速をした後、ついに大地を蹴り、土狼に跨るベルに襲い掛かったのだ!


 危険を感じ取り振り返ったベルの双眸に、犬歯を光に煌めかせる人狼の大口が映る。 


 ガブッ!


 「かっ! はっ!!!」


 居並ぶ犬歯が、狙い違わずにベルの喉笛に噛み付き、柔肌を貫いて頸動脈へと達した。

 ベルは、喉をやられてまともに叫ぶ事もできずに、人狼の跳び付いた勢いのままに、背中から地面へと落下した。


 ドシッ! ゴロゴロッ! ガッ!!!


 (ああっ! あああああっ! こんなっ! こんな処でっ!!!)


 だが、ベルは脊髄を損傷するも、往生際悪くまだその生にしがみ付いた。残る右手の指輪を、自分に覆いかぶさった人狼斬夢の腹に向け、貫通レーザーを連続で発射した!


 ビシュン! ビシュン!


 貫通レーザーが放たれ、腹部を貫通していく度に、斬夢の身体が跳ね上がり、各部の残されていた僅かな力がそれに比例して抜けて行った。


 ブシュウウウウ!!!


 ベルの喉笛をくわえた斬夢の顎の力も緩み、犬歯が開けた穴から、女性魔術師の鮮血が勢いよく噴き出す。

 程なく女性魔術師は、自身の鮮血により気管を塞がれ溺れ死ぬか、あるいは深刻な出血で脳に十分な酸素が送られないことにより死亡するだろう。


 しかし、斬夢は再びその顎に力を込め、再びベルの喉笛に噛み付いた。楽には死なせぬとの、斬夢、残された力を使い切っての、決意の一撃であった。


 ガギィ!!!


 次の瞬間、斬夢の顎がベルの首の骨を噛み砕く音が響き、胴体から別たれた女性魔術師の頭が、ごろりと地面に転がった。




 (………終わった………仇は取ったぞ…泉…高野の兄ちゃん…みんな…すぐ…側に行くぞ………)


 全身から力が抜けた人狼が、首から鮮血を噴き出す女性魔術師の死体に覆いかぶさり、同様にレーザーの開けた穴から鮮血を垂れ流していった。


 女性魔術師と人狼の混じり合った鮮血が、周辺の大地を鮮血で染めていく。その直近の魔寄せの村一帯は、燃え盛る炎の渦と、空を覆う黒炎の影響によって大気が揺らいでいた。


 「くくくっ!」


 人狼斬夢と女魔術師の遺骸の上空で、何時の間にかやって来た大天狗が、燃えるような翼を拡げて、楽しげにくるりくるりと円状に舞っていた。

 そして、一旦胸元で合掌した後、ゆっくりと両掌を放していく。


 すると、その掌の間に、乾坤の乾気、陰陽の陽気、五行の火気が集中し、灼熱に輝く恒星のような小さな宝珠が顕現していった。


 「くくくっ! 復讐者リベンジャーよ。まだ死ぬことは許さんぞ! その身に我が力の小恒星を宿し、この世に百炎の華を咲かすが良い! 魔を呼び寄せ、燃やし尽くす大輪となれ! そして儂を楽しませるのだ!」


◇◇◇


 「その後、俺は大天狗の香々背妙見に助けられ、転生した」


 「…転生?」


 「ああ。妙見の新しいおもちゃに選ばれた俺は、兜率天すら焼き尽くすと言われる天魔の大秘宝[煉獄]を与えられた」


 自分を嘲笑うようにそう言って、斬夢は唯一の聴き手、アムルに自分の誕生秘話の最後を語った。


 「小恒星とでもいうべき煉獄は、ベル・セルクスの胴体を魔石ごと飲み込み、さらに人狼になっていた俺の身体も飲み込み、新たな魔術師の始祖をデザインし、誕生させた訳さ」


 「…それで…魔胎盤が生み出した魔石によって転生した魔術師とは別の…あなたがこの世に現れ、その魂魄は現世に残った…」


 「そうだ。理解してくれて嬉しいよ。聖少女のお嬢ちゃん…どうせお嬢ちゃんも、俺と似たような感じなんだろう?」


 そう言って斬夢は、哀のみで満たされた虚ろな瞳で、アムルの瞳を覗き込んだ。一方、アムルもまた同様に、自身の哀のみに満たされた虚ろな瞳で、斬夢の瞳を覗き込む。


 (…愛すべき者を失い…それでも漂流するように今生を歩んでいる哀の戦士…か…滑稽だね…私も…同じか…)


 (…一目見て理解したよ…単身で七人の悪魔を相手にし…一歩も引かずに戦う…あれは今生に求めるもの無き…死を厭わぬ者だけの戦い方だった…ベル・セルクスを倒したあの時の俺のように…)


 廃工場の内部で、互いの瞳の奥に同じ哀しみを感じ取った二人は、お互いを似た者同士と認識した。


 「…で、今の俺の話は信用できたかい?」


 「…信用します…勘ですけど…」


 「ふっ! それは重畳だ! 俺の人誑しスキルも捨てたものじゃねえ!」


 そう言って、アムルににやりと笑顔見せる斬夢であった。


 「さて、早速だがお嬢ちゃんに頼み事だ。魔術師たちを迎え撃つために力を貸してはくれねぇか!」


 「…お嬢ちゃんではありません…私はアムル…聖少女アムルです…」


 「了解だ! では改めて! アムルちゃんよ! よろしく頼む!」


 「…断る理由は有りません…こちらこそ…よろしくお願いします…」


 「応! 頼むわ!」


 先程まですこぶる重い過去を語っていた斬夢であったが、アムルにすべてを語り気が軽くなったのか、言動がずいぶんと明るくなっていた。


 所謂、開き直った状態である。


 (…ちょっと…疲れるかな…)


 テンションアップした斬夢に、そんな感想を持つアムルであった。

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