第3話

「せんせー! ナナフジせんせー!」

 魔女先輩が俺の右手を引きながら廊下を走る。目線の先には担任の不二先生。灰色のスーツにすらっした手足、トレードマークの銀縁のメガネはどこか昆虫のナナフシを思わせることから裏で生徒からは「ナナフジ」呼ばれて親しまれていたりもする。もっともこんなふうに表立って呼ぶのは先輩だけなのだけれど。

「廊下は走らない。大声を出さない。で、どうしたんです」

「先生、幽霊見えないんでしたっけ」

「一応は。あなたがまだ一年生の頃、二人で校舎裏のお岩さんを退治したこと、まさか忘れたわけではありませんね?」

 そして俺たちオカ研の顧問でもある。担当は物理で基本的には数字と論理を愛する生真面目人間なのだが、驚くべきことに先輩と同じように霊感が強いらしい。また先輩のような変わり者に対してもこうやって真面目に受け答えをするため、他の先生方にオカ研の顧問を押し付けられている。

「じゃあじゃあ、今あたしが手をつないでる柿ノ葉くん、見えます?」

 魔女先輩がそう問うと、不二先生は怪訝そうに首を傾げた。

「いいえ。というか柿の葉くんがそこにいるんですか」

「ええそうなんです。どうやら浮遊霊になってしまったようで」

「そうですか、困りましたね。明日は予算会なので副部長の柿ノ葉くんも必要だったのですが」

「だいじょーぶですよせんせー、あたしに任せてください。以前だってあたし一人で予算ぶんどってきたじゃないですか」

「たしかにそうですね。そろそろ部屋の茶器が古びてきたので買い換えたいですし」

「色んな意味でそういう問題じゃないと思うんですが先生」

「ちなみに今の柿ノ葉くんがいつもの寒いツッコミが入ったんですが聞こえました?」

「いいえ聞こえませんでした。いつものように聞こえないふりをしているわけではなく、本当に聞こえていません」

「だってさ柿ノ葉くん」

「ちょっと凹んでるんでそっとしておいていただけますか……」

 いつも会話に噛めてないなとは思っていたけど、まさか生きている間も幽霊みたいな扱われ方だったなんて流石にがっくり来てしまう。幽霊だから涙は流れないんだけれど。

「で、どう柿ノ葉くんのほうは? ナナフジせんせーに触れる?」

 確かめるように左手で不二先生の銀縁眼鏡をとろうとする。が、やはり例のゴム毬が邪魔をして触れることはできない。ここに来るまでに会った先生や生徒にも同じような実験を試みたがどれも不発に終わり、結局俺が先輩にだけ認識されている理由は分からなかった。ただし声をかけた先生生徒の大半はそもそも魔女先輩を見てそそくさと逃げて行ったというのは追記しておきたい。生ける学校の七不思議とまで呼ばれる人間と関わりを持ちたくないと思う人間は多いのである。

「だめですね。触れません」

「そっかー、やっぱりだめかー」

「柿ノ葉くん、見えないし聞こえないですが胸を触ろうとするのはやめてください。生徒から先生へ、幽霊から生者へといえどセクハラはよろしくないです」

「いや眼鏡を触ろうとしただけなんですけど。先輩誤解を解いてもらえます?」

「ええそうね。ナナフジせんせー、柿ノ葉くんはお尻派です」

「誤解をさらに広げようとするのやめてもらえますかね」

「まあ冗談はここまでにして」

 コホン、と不二先生は咳払いをして切れ長の瞳で魔女先輩を見つめた。

「つまりその幽霊はあなたにだけ認識できる、ということですね?」

「はい。柿ノ葉くんの言を信じるなら、あたし以外には人にも物にも触れられないし、声も聞こえないそうです。こんな事初めてだったので、せんせーにも意見が聞けたらと思って」

「移動は? 壁抜けなどの基本動作はできるのですか」

「あたしと手を繋いでいればとりあえず学内はどこへでも。でも手を離すとそこから半径6~7mくらいしか動けません。あと壁抜けはもちろんできません」

「ポンコツですね」

「こんなポンコツな幽霊を見たのも初めてです」

 なぜ幽霊になってまでここまで言われなければならないのか。

「どう思います、せんせー?」

「ふむ……。特定個人にしか見えない幽霊、というのは実は珍しいものではありません。私たちに見えるものが大半の人間には見えないというように、あなたに見えるからと言って私に見えるというわけでは必ずしもありません」

「でもせんせー、あたしよりも霊感強いですよね? 校舎裏のお岩さんも最終的に右ストレートでぶっとばしてましたし」

 どうせ話しかけても無視される悲しい未来が見えているため、大人しく空中で二人の会話を見守る俺。そうか、霊感が強いと幽霊が殴れるのか……。

「この場合霊感の強さはあまり関係がありません。重要なのはその霊とどれだけ縁が深いか、ということです。真白さん、幽霊の成り立ちは?」

「えー、と。この世に対しての未練や果たせなかった思いが形となって現界したもの、だと考えられています」

「はい、その通りです。ですから例えばその霊と思いや未練が近い生者、あるいはその思いや未練そのものに対して、霊は波長を合わせ、より強く働きかけることができます」

「つまり柿ノ葉くんはあたしにしか興味がないってことです?」

「は!?」

「待って柿ノ葉くんうるさい。あたしにしか聞こえてないからそんなに大きな声必要ないから」

 うるさいもなにもない。急にないはずの心臓にナイフを突き立てられ大声をあげないほうがおかしい。突然何を言い出すんだこの魔女先輩は。

「まあ、そうなりますね」

「ナナフジまで!?」

「せんせー柿ノ葉くんが吠えてうるさいです」

「残念なことにそこにいるはずの稀有な霊の声は私には聞こえません。真白さん一人で楽しんでくださいね」

「いやあの弁明させて」

「別に楽しくは。でも壁抜けもできないのはちょっと珍しくないですか?」

「それに関してはそうですね……。現界した部屋から出られないのであれば地縛霊だから、という説明もできたでしょうが、それもなくなった今考えられるのは二つほどです。一つは柿ノ葉くんが真白さんにしか興味を抱かない真白さんスキスキ大好き人間だったという可能性」

「キモ」

 手を離すことはしなかったものの、魔女先輩は露骨にいやそうな目でこちらを見上げてくる。正直図星なのでツッコミづらい。ていうか先生も先生で真面目な顔しながらスキスキ大好きとか言わないでほしい。聞いてるこっちが恥ずかしい。

「で、もう一つは」

「死んでないってことですね」

「あ、なるほど」

「……なるほど、じゃないわけですが」

 え? ……え?

「触れられない、壁抜けできないというのは現界が不完全ゆえであり、すべての思念が身体から出てきていないためだと思われます」

 自分が幽霊だと思っていたのが根本から覆される。どこかでまだ生きている俺の身体。ってことはだ。

「生き返れる……?」

「つまり幽霊じゃないってことです?」

「はい。現象としてはエクトプラズムに近いですね。もちろん肉体が無事なら戻ることも可能だと思います」

「んー……」

 眉をひそめ考え込む先輩。そんな先輩をしり目に、俺は目の前に突然現れた希望に目を輝かせていた。

「先輩探しましょうよ、俺の身体。生き返ったらお礼はたっぷりしますんで。駅前喫茶のパフェ一年おごりとかでどうです」

「んんーー……」

「どうしました、真白さん」

「いや、ちょっと……。ごめんなさいせんせー。あたしちょっと用事を思い出しました。ありがとうございました」

 小柄な身体を折ってぺこりと挨拶をすると、先輩は先生からの返答も待たずに廊下を駆けだした。必然手を握られている俺もその速度に引っ張られる形でその後を追った。





「どうしたんですか先輩、急に走り出したりして」

「んー……」

 部室扉前にきても、先輩はまだうんうんと唸っていた。どうしたんだろう。こんなに考え込んでいる先輩を見るのは初めてかもしれない。やがて意を決したように顔を上げ、俺のほうへ向き合った。

「いやさ、生きてるんだとすればちょっとだけイジるのに抵抗があるかなー、って」

「……は?」

「見たほうが早いか」

 ガラリと部室のドアを開ける先輩。その乱雑としたいつもの部室内には一つだけ、いつもは見慣れないものがあった。部室の真ん中にスペースを空けて描かれた魔法陣のさらにその真ん中には、椅子に縛られぐったりとした人間の姿があって。

 それは紛れもなく、俺自身の身体だった。

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