2.鏡の告白


 涼し気なドアベルの音と共にドアを引くと、熱い外気を追い出すように冷風が身を包んだ。

 額の汗を拭いながら月城は店内をぐるりと見渡すと、探していた人物を見つける。



「ここにいたんだ」



 彼女の素っ頓狂な声に振り返ったのは影浦だった。

 寒すぎない適温の冷房に、やや暗い店内。今日は有名なクラシックを流す日なのか、聞き覚えのある曲が流れている。



「いらっしゃいませ」

「こんにちは」



 ドアベルに呼び出されたユラに挨拶をすると、月城は「座っていい?」と断りを入れてから影浦の向かいに腰を下ろした。

 影浦は少し前からいるようで、アイスコーヒーをもう半分程飲んでいる。



「注文は」

「えっとー……」



 テーブルに立っているおすすめメニューからレモンスカッシュを頼むと、ユラはすぐバックへ引っ込んだ。



「……何か用か?」

「いや、その……特にこれと言って、その……用はないんだけど」



 目をあちこちへ泳がせながら月城は下手くそに嘘をついた。

 彼女が何か聞きたそうにしているのはすぐにわかったが、彼女の口から語られるまで何も言うまいと影浦はコーヒーに口をつける。

 とりあえず言葉を濁した月城はどうやって切り出そうかと言葉を選ぶため、店内に視線を巡らせる。


 小鳥遊ユラの経営する喫茶店「Little Bird」は相変わらず人の入りが悪く、先日綾子に連れられて来た時に見かけた女子高生がいつもの位置で勉強に励んでいた。

 テーブルの上にはいくつものデザートが載せられており、頭を回す為の糖分をその場で摂取しているように見える。


 そんな女子高生と自分達以外に客はいない為、話し声が店内に響いてしまわないかと月城は心配したが流れる音楽が賑やかなクラシックに変わった。

 それを聞いてホッとしてから、切り出した。



「ほ、本当は用があって来ました」

「だろうな」



 影浦の言葉がぐさりと胸を突き刺すが、めげずに続ける。



「どうして早く帰ったの?」

「?」



 一体何の話だ? と影浦が顔を上げたタイミングでちょうど月城の頼んだレモンスカッシュが運ばれてくる。

 彼女はそれを一口飲んでから話した。



「今日、綾子君が集まって欲しいって言ってたのに、影浦君の教室見に行ったらもういなくて」

「あいつに付き合う義理はない」

「阿佐美先生の件について話し合いたかったと思うんだけど……」

「もう終わった話だろ。あの教師に関しては始業式にも学校側から説明があるとか言われてるし」

「でも、あの事件の次の日だけだったよね? 影浦君がきちんと会ってくれたのって」



 それでここまでついてきたのか、と影浦は月城を見た。

 阿佐美の事件の翌日に一度五人は集まっていたが、それ以降の集まりには影浦は一切参加していない。

 あの不死原ですら暇潰しにとたまに参加していた集まりだったのに、影浦は全て欠席していた。



「何かあった? 綾子君と喧嘩したとか」

「俺とあいつを友達みたいに言うな。俺だって仕方なく……」

「じゃあ、あたしかが原因だったりするの?」



 真っ直ぐな瞳が向き、影浦は頬杖をついたまま顔を上げられなかった。

 別に彼女のせいではない。無論、「捕食者」のせいとも言い切れない。

 しかし影浦にとってはあの阿佐美の一件があって以来、気持ちの整理をつけるのが大変だった。

 それを口にして彼女に答えてもよかったが、それ以上踏み込まれて詮索される流れにはしたくない。

 妙な意地のようなものが彼の邪魔をしていた。


 そうして影浦がいつまでも口を閉ざしていると、沈黙はしばらく続いて月城も無理に聞き出そうとはしなかった。

 グラスの中で氷が音を立てたのを合図に、彼女はゆっくりと話題を変える。



「……手、大丈夫?」

「! あ、あぁ……もうすっかり血は止まってるし、骨にも異常はなかった」



 影浦の頬を支える左手にはいつものように包帯が巻いてある。

 そしてグラスを持つ彼の右手にも、包帯が巻かれている。

 それらはいつになったら取れるのだろうか、と月城は眉をひそめた。



「お前のせいじゃないだろ」

「でも、助けてくれた時についた傷だし……それに」

「あれは俺がぼーっと突っ立ってたから刺されただけで、刺されたからナイフも奪えたんだし」

「あたしその時よく見えなかったんだけど……手に刺さったまま奪ったって……」

「あぁ、柄まで刺さってりゃ根本もって引っこ抜けば……」



 と影浦が説明していると月城はわなわなと震え始めた。

 そっちが聞いてきたんだろうと文句を言うが、そこまで詳しく聞いてないと彼女も反論する。



「とにかく、『模倣者』……阿佐美の件は終わったんだし、俺もお前も無事だったわけだし……警察からの事情聴取も全部終わったろ。終わった話を蒸し返すのは好きじゃないんだ」

「でも、……わかってないこともあるよね?」

「……」



 阿佐美が「捕食者」に殺されたというのは警察の正式見解だ、という話は綾子から共有された。

 現場から一足先に引き上げてもこれさえあれば~と愛用のタブレットを持ち出し、事件の翌日影浦達は死体の写真を確認したのだ。


 首が切られ、開胸され、肋骨と心臓の上に添えられた二つの食器。

 誰がどう見ても、阿佐美の行った模倣とはわけが違う。

 本物の犯行だった。



「あたし達が工房を出て、外に出るまでの間に殺された……ってことだよね?」

「……」

「あんな短時間で……それに、どこに潜んでたんだろう? 一年前にあたしが気付かなかったように、普通にどこか家の中にいたのかな……。そういえば、上に続く階段のドアも少し開いてたような……」



 月城が推測を並べていくが、それはもう散々綾子達とやったことだった。

 足取りがつかめないからいつまでも捕まらない。

 だから突然現れても、結局足がかりになる証拠さえ見つからない。

 やはり彼自身を探すよりも、彼と関わりのある人間から探した方が見つかるんじゃないか……というのが今のところの解決策だ。


 だが影浦はそれを考えるだけで気分が悪くなる。特にあの一件以来。

 二年前と同じような衝撃を受けてから、考えるだけで吐き気が止まらないのだ。

 だから綾子達と集まることも避けていた。

 もうしばらくすれば落ち着くだろうとこの数日、ここへ通っていた彼だったが遂に月城に見つかってしまった。


 いい加減踏ん切りをつけなければならないのかもしれない。



「……悪い、ちょっとトイレ行ってくる」

「顔真っ青だけど……だ、大丈夫?」

「あぁ、すぐ戻るから……それ飲んでろ」



 覚束ない足取りで店の角にある化粧室へ入り、鍵を閉める。

 洗面台で顔を洗い顔を上げて深呼吸すると、胸焼けはスッと引っ込んでいた。



「……どうしてだ」



 鏡に映る自分に問いかける。



「どうして……俺は……」









 ――人を殺さずにはいられなくなったんだ?









 頭を抱え、深いため息を吐いて、震える手を強く握り締めた。


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