4.去年の夏


 椅子に縛られた月城が目を開くと、男はやっと目覚めてくれたと安堵していた。

 だが、強気に見えた彼女の顔は一瞬にして困惑の色に染まる。



「あ……阿佐美、先生?」

「やあ月城さん。ずっとこの日が来るのを待ってたよ」



 月城の目の前に立ち、学生ノリが抜けきっていないニコニコとした笑みを浮かべるのは新任美術教師の阿佐美だった。

 知っている人物が犯人だとは思っていなかった月城は動揺したが、すかさず辺りに視線を巡らせる。

 ここは学校か、どこかか、彼の家か? とも思ったが、一素人が見る限り何かの工房だろうという答えしか導き出せなかった。

 作業台があり、壁にはいくつもの工具がかけられている。

 奥には美術室でも見られる石膏の作りかけがいくつか見られ、立体美術が専門なんだとわかった。


 だが、そんな情報は今更だ。

 そこの石膏像を見れば彼が犯人だというのは明白だった。

 普通の石膏は全身から胸像までの種類があり、主には肉体美や顔の造形を美しく造ることが目的だ。

 しかし阿佐美の作品と思われるその石膏像は皆、肉体からあばら骨が飛び出した形をしており、背中の曲線と骨の曲線とに美しさを見出しているように見える。

 今まで目にしてきた死体と、そっくりそのまま同じだ。



「や、やっと会えた……って言うから、てっきり……」

「だってキミは美術選択じゃないし、俺の担当学年は二年生だから……全然会えなかったんだもん」



 阿佐美はずっと楽しそうに笑っている。

 月城は固唾を飲んで、次にどうするかと必死に頭を回していた。

 すぐに殺されない為には、時間を稼ぐ為には……と。

 だがその間の沈黙が気になったのか、口を閉ざした月城に阿佐美は顔を近付ける。



「どうかしたかい? 気分でも悪い?」

「っ……」



 こんな状況で気分が悪くならないわけがないだろう。

 月城は体を震わせ、とにかく何か話そうと口を開いた。



「ど、ドッキリじゃないですよね!?」

「え?」

「先生、あたしのこと嵌めようとしてませんか? だってこんなこと先生が、するはず……。こんな縛ってまでして」

「ドッキリだなんて人聞きが悪いな~、俺そういう質悪いことはしないよ?」



 全くもう、と不服そうに頬を膨らませる阿佐美。

 月城は早く心臓が鎮まってくれるよう祈るばかりだ。



「本当はキミを遠くから見てられればそれでよかったんだよ、だからあの学校に来たわけだし。でもさ、あの女は心臓盗んでキミに近付くわ、あのおっさんは馴れ馴れしく部活中のキミと話すわで」

「……」

「挙句にはあの腐ったロリコン警官、有給とってまでキミに近付こうとしたろ? だから俺がさっさと消してやろうと思ったのに今度はあんなガキに横取りされるわ、俺の模倣までするわで」

「あなたもでしょ?」



 無意識に言葉が口から飛び出て、しまったと月城は口をつぐんだ。

 話を遮られた阿佐美だったが、月城の言葉に驚いて目を丸くするだけで、不機嫌になることはなかった。

 そして彼はそうかそうかと何度も頷く。



「やっぱり……キミも会ってたんだね、『捕食者』に」



 影浦達以外の人間からその単語を聞く日が来るとは、彼女も思ってはいなかった。

 月城が肯定も否定もせずにいると、阿佐美がそれに続ける。



「だからキミはああも狙われやすいんだねぇ……自分でも思ったことない? 何でこんなに犯罪者ばかりに絡まれるんだろう、って」

「……それは」

「まあ俺も人のこと言えないって感じだよね~!」



 アハハハと高らかに笑う阿佐美を月城は笑えなかった。

 落ち着いてきた心臓はゆっくりと全身の血管を叩いている。

 ポーカーフェイスでいたいが、平常心ではいられない。



「月城さんはさぁ……知ってる? 俺がどうして人を殺してるか」

「……」



 そんなこと知りたくもない、と心の中で言いながら首を横に振った。



「俺ね、会ったんだよ。去年」

「…………だ、誰に?」



 緊張と驚きがオーバーフローして吐き気を催した。

 わんわんと耳鳴りが始まり、冷や汗が脂汗へと変わる。

 そして聞き間違いではないか、と阿佐美をじっと見つめると、彼はニッコリと笑って復唱した。



「去年の夏、『捕食者イーター』に会ったよ」



 「捕食者」は二年前に人を殺し、メディアを独占し、影浦達に会い、月城とも会った。

 だが彼の犯行はそれきりで、まるで雲のように消えてしまったのが……二年前。

 去年……つまり一年前に、阿佐美は姿をくらませた「捕食者」と会った?



「ど、どこでですか? だっては二年前に……」

「知りたい?」



 ずいと再び顔を近付け、おねだりを求めるように意地悪く聞いて来る。

 月城は素直に頷いた。



「去年の夏、俺はあの学校に教育実習で来てたんだよ」

「じゃあ、……まさか学校で」

「そう学校で。でもねぇ……その日は別に授業してたんじゃないんだよ。だって通常授業の日は部外者なんて校内に入れないしね」



 それもそうだ。部外者が一高等学校に入れる日なんて限られている。

 文化祭や体育祭の行事の時か、あとは……学校開放の時期くらいだ。



「!」



 だがそう考えていて月城は自分で答えを見つけてしまった。

 まさか、そんなはずは……と考えたかったが、彼女以上に彼女の体質のことを理解している人間はいない。

 そう考える方が一番しっくりくる。



「まさか……学校見学の日」

「ピーンポーン! 夏に来たよね? 月城さん」



 月城はすっかり青ざめてしまい、何の反応も返せなかった。



「俺はねぇ、よく覚えてるよ。だってあの日が運命の日だもんね! 『捕食者』は……」




 ――「捕食者」は、キミが学校を見に来た日に一緒に来ていたよ



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