3.愛の証明



「私とお兄様は十も歳が離れていたので、お兄様はいつも私の面倒を見て下さいました。自分の学校もあるというのに、いつも一緒にいてくれたんですよ」



 両親も初めは、初めて出来た自分の妹に対して兄らしく振舞おうとしているんだろうな……と微笑ましく見守っていた。

 好き嫌いをするようならそれをなくすよう面倒を見て、勉学に困っているようなら自分の学業そっちのけで面倒を見て、学校の友達と喧嘩をしてしまったと相談されれば夜遅くまで話を聞いた。

 何かあれば……いや、何もなくとも常に気をかけてくれる兄に対して、百合もえらく懐き心を許した。

 だが、百合が小学生中学年を過ぎた頃から周りが傷に気付き始める。

 どこかで転んだのか、ぶつけたりしたのかと尋ねると、彼女は決まって心底嬉しそうに「いいえ、秘密です」と答えた。


 彼女の兄は社会人になると実家を出て一人暮らしを始めたが、ワンルームのマンションではなく三人は楽に住めるような大きな家を選んだ。

 そして、妹にだけ合鍵を作った。

 実家を出ても兄妹仲は疎遠にならず、それどころかまるで恋人のように仲が良くなる一方で、母は不思議に思いながらも思い過ごしかと流していたという。

 美男美女として周りに知られていた百合兄妹。

 休日は買い物や食事、映画や美術館へ行き、平日は毎晩のように電話をしたり、どちらかが病気になればすぐさま駆けつけた。

 そして一緒の時間が増えるにつれ、百合の傷は徐々に深くなり、百合は美しく成長していく。



 百合は兄を愛していた。母と父も、もちろん愛していた。

 しかし、兄は彼女をそれ以上に愛していた。

 その愛の形は歪みきっていたが……それでも、愛していた。

 百合の兄には加虐性愛と呼べる性癖があり、それは彼女が幼い頃から始まっていたらしい。


 「手をかけて育てる」という言葉をどう踏み違えたのだろう?


 彼は美しい自分だけの妹に暴力を振るい、これは愛情だと言いながら自分の欲望を満たしていた。

 そしてその被害者である百合自身も、自分を心から愛し、いつもそばにいてくれる彼の言葉を信じて受け入れた。

 小さな妹を、成長していく妹を、美しくなっていく妹を……。

 その手で叩き、潰し、砕き、彼女の涙と喘ぎ声を聞く度に快感を得ていく……異常な兄。

 反対に、愛する兄から様々な傷をつけられながらもそれを悦びとして感じてしまうよう育てられてしまった妹は、体につけらていく傷を心の底から幸せに思っていた。

 やがてその暴力は肉体的暴力にも転じるが、二人にとっては純粋な愛の営みとして行われていたらしい。




「私に愛を教えて下さったお兄様。……しかし、お兄様は……の手によって、この世から去ってしまいました」




 美しくも醜い兄妹の狂った愛を断ち切ったのは、ある殺人鬼だった。

 兄の家で夜を過ごしていた百合はその日、「捕食者」と接触する。

 いつの間にか屋内に侵入していた殺人鬼は兄を先に発見し、刃物を振るった。

 その音を聞き百合は何事かとその場に駆けつけたが、その時にはもう兄は真っ赤に染まっていて、肋骨の上にナイフとフォークが添えられていた。

 ヒュー……と喉を鳴らし、助けを求めて妹を見つめたが、それは叶わなかった。


 百合はすっかり殺人鬼に釘付けになり、恍惚とした表情を浮かべていたのだ。




「私にとっての愛は、目に見えるこの傷です。お兄様が亡くなってから、両親も病院の先生も何度も説明して下さったのですが……私の考えが変わることはありませんでした」




 穢れ切ったお嬢様にとって、「愛情」とは暴力であり、痛みである。

 そんな彼女が思いもよらず目にしてしまった殺人現場。

 彼女の中の思想が崩壊するのは、簡単だった。





「ですから私は、私に真の愛を教えて下さったにもう一度お会いしたいのです。そして……私を」





 ――あいして欲しい





 意外にも、話している最中の百合は理性的で落ち着き払っていた。

 こんなにも堂々と話されてしまうと正論を話されている錯覚に陥ってしまうが、そんなことはないんだと自分に言い聞かせ我に返る。


 どんなに普通に見えようと、彼女は狂ってしまっているのだ。

 きっかけは著しく倫理に欠けていた兄。

 だが底辺まで引きずり込んだのは、一人の殺人鬼だ。



「……イかれてるな、あんた」

「えぇ、流石に私も自覚があります。ですが……そう簡単に、人間は変われないものなのですよ」



 隣で話を聞いていた月城はすっかり真っ青になっていたが、百合は相変わらず穏やかな笑顔のままだ。

 人間の最底辺を覗いてしまった気分になり影浦は口直しにと飲み物を求めたが、空のペットボトルは足元に転がっていた。

 そんな時、突然準備室のドアが開かれる。



「お待たせしてスイマセンでした~。全くもう、問題集だけじゃなくて小テストなんて聞いてないですよね~。…………あの、どうかしました?」



 補習にこってり絞られた綾子が能天気な声で入って来たが、空気の重さに気付いて目を丸くする。

 そんな彼に笑顔で労いの言葉をかけたのは、百合だった。



「お疲れ様です、綾子さん」



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