2.ベールの下
夏休みに入ってまで学校に来るとは思っていなかった。
部活無所属、成績にも問題がないとなると夏休み中に学校へ来るような用事はなく、もし来るとすれば何か忘れ物をした時くらいだろう。
しかし影浦はどれにも当てはまらないのに、今現在美術準備室にて時間を潰していた。
自動販売機で買った水もそろそろなくなりそうで、いよいよ手持無沙汰になってしまいそうだ。
「昼ごはん持って来なかったの?」
「ここまで長居する気がそもそもなかった」
「遅いですねぇ……綾子さん」
影浦は校庭に面する窓の向こうを意味もなく眺めていた。
陸上部やサッカー部が練習に勤しんでいたが、こんな日差しの強い日に練習していて熱中症等は大丈夫か? と思っていた矢先、サッカー部の一人が倒れる。
校庭が大騒ぎになって来たが、影浦の隣では月城と百合が弁当を開いて平和に食事をしていた。
月城は吹奏楽部、百合は美術部ということで彼女達も夏休みだというのに学校に来ているらしい。
部活もクラスもバラバラな彼等は、奇妙な共通点のせいでこうして同じ場所にいる。あと足りないのは不死原と綾子だけだ。
「補習組ってそんなに大変なのかな……テストとか?」
「問題集だけやるらしいが、その量が尋常じゃないらしい」
「影浦君、受けたことあるの?」
「綾子から散々愚痴のメッセージが届くんだよ……」
そう言いながら空になったペットボトルを握り潰す。
どうして友達でも何でもない奴からこんなに馴れ馴れしくされなきゃならないんだ、と朝から鳴りやまない通知音にうんざりしていたところだ。
「つか、不死原さんは?」
「さあ、……もしかしたら寝坊かもしれませんね。不死原さん、生活指導の先生によく遅刻の件で声をかけられているのを見ますし」
「真面目に時間なんて守るもんじゃねぇな……」
「影浦君って結構口悪いんだね」
「放っといてくれ……」
項垂れながら、後悔する。
今朝綾子から届いたメッセージは自分以外にも送られていたらしく、今日学校に集まって欲しいという内容だった。
綾子の言っていた「同盟」とかそんなくだらないものなら付き合うつもりは毛頭なかったのだが、どうやら「
『恐らく僕以外には誰も知らないことだと思うので……』
と、そんな言葉をうのみにするんじゃなかった。
確かに「捕食者」については調べたい。
今までだって出来る範囲で調べ続けてきた。
だがこの件は自己完結させたいものだし、そもそも綾子や不死原みたいなタイプとつるんでいるところを他人に見られたくないのだ。
それに「捕食者」の話になると、そこのお淑やかなお嬢様は一転してとんでもない変態になってしまう。
果たして彼等といてメリットはあるのだろうか、というのが影浦の最近の悩みの種だった。
「そういえば百合先輩。ずっと思ってたんですけど……」
「何でしょう?」
完食した弁当の包みを閉じながら月城が百合に尋ねた。
「その格好、暑くないんですか?」
言われてみれば、と影浦は百合の方へと目をやる。
夏休みに入り、蝉も鳴き始めて来た暑い季節。
月城も影浦も学校指定の夏服を着用し、出来るだけ涼しく過ごせるようにとうちわをあおいだりしているが、百合の格好はお世辞にも夏らしいとは言えない。
初めて会った日から変わらず、彼女は薄手のカーディガンとストッキングを着用している。紫外線対策にしても見ているこっちが暑くなるくらいだ。
「あ、そうですね……冬だと着込めるので指摘されないのですが」
彼女も一応自覚はしているようで苦笑しながらそう答えた。
そしてその格好の理由を明かすように、カーディガンを脱ぎ始める。
「こういうものがあるので、皆さんの目にあまり触れないように……と」
だがその長袖の下を見て、二人は固まり、言葉に迷った。
一切日に焼けていない、白い陶器のような滑らかな肌。
まるでその肌を彩るかのように、様々な傷や痣がいくつも刻まれている。
「こ、この傷って……ただ怪我しただけ、じゃ……ない……ですよね?」
「えぇ、ですがご心配には及びません。もう全て古いものですから」
気を使って、無理に笑って、そう言っているわけではない。
百合の笑顔はいつも通りの、思いやりと慈悲しか感じさせないものだ。
腕がそうなら、恐らく彼女の脚もこうなっているのだろう。
いや、もしかしたら外に見せていない部分全てにあるのでは? とも思えてしまう。
切傷、裂傷、刺傷、咬傷、熱傷、そしていくつもの青痣……。
何をどうしたらこんな傷を、なんて聞かなくても予想がついた。
ひどい有り様だ。
「……どっちの親なんですか?」
影浦がそう聞くと、百合は何のことかといった顔で首を傾げる。
「お父様とお母様が……何か?」
「え、違うんですか? 怒って手を上げたり……とかじゃ?」
「いえ、確かに怒られる時はありますが……我が家では反省文を書かせられる教育ですので」
大変なんですよ、と百合はおかしそうに笑うがどうも影浦達との温度に差があるようだ。
はっきりと言ってしまえば、彼女の身体の傷はDVを受けたもので間違いないのに……。
「やっぱり。この傷を誰かに見せれば驚くから……とお父様に言われていましたが、本当にそうなのですね」
「じゃあ自分でやったのか? その傷は」
「これは、お兄様から頂いた〝愛の証〟です」
尋ねたことを後悔した。
まただ、また始まったぞ……と影浦は頭を抱える。
そんな彼をそっちのけで百合は愛おしそうに自分の傷を指で撫で、昔を懐かしむように語り出した。
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