5.木の影


「……わ、わざわざそんな……」



 月城の顔はみるみる蒼くなっていく。

 とんでもないことを聞いてしまったというリアクションだが、影浦にとっては見慣れた反応だ。



「だから言ったろ、知らない方がいいって」

「ご、ごめんなさい……あたし、そんな……思い出させるようなこと」

「あの事件についてなら綾子に散々思い出させられてる。気にするな」



 謝らなくていい、別に気にしてない。

 そう言うと月城は少しマシな顔色になったが、後悔の色は剥がれていなかった。

 謝られるよりも早くその顔色を治してくれ。

 その顔でそんな表情をされる方が……。

 と口には出来なかった。



「あら、影浦さんと月城さん? まだいらしたんですか?」



 気まずい空気になりつつあったがいいタイミングで誰かが通りかかった。

 声の方を見ると、百合がある教師とこちらに歩いてきている。



「あれ、キミらもまだいたのー? 完全下校だって言ってんじゃん」

「……えっと」



 眼鏡をかけた教師はそう言うが、影浦も月城も彼に見覚えがない。

 何の科目の先生ですか? という顔をしていると百合がすかさず紹介してくれた。



「こちら美術の阿佐美あさみ先生です。と言っても、阿佐美先生はまだ助手さんなんですよね?」

「そっ! 今年から赴任して来た新卒だよ!」



 ワックスをつけた髪と伊達っぽい眼鏡は明らかに教師に見えないが、どうやら教師になれた男らしい。

 外見に気を使うタイプなのか、シャツもベルトもあまり教師っぽいとは思えないものだ。



「お二人共、芸術科目の選択は?」

「あたしは音楽です」

「俺は書道」

「なるほどね~。俺一年生の授業も出てるけど、知らないわけだね」



 声のトーンも話し方も馴れ馴れしく、学生気分が抜けてない典型例かと影浦は心の内で思った。

 顔を知っていて紹介までしたということは、百合の選択科目は美術なのだろう。



「お二人はここで何を?」

「いえ……その、ちょっと……話を……」



 百合からの問いにうろたえる月城。

 別に聞かれて困るようなことを話していたわけではないが、よほど先程のことを気にしているのだろう。

 ちらちらと彼女はこちらに目配せして来るが、面白いから口は出さないでいようと目をつぶった。

 何で助けてくれないんだ! と月城は目を丸くしたが、百合はまだ首を傾げている。



「お話……」

「そのっ、本当に大した話はしてないんです! ただの世間話? っていうか」

「……はっ! そういうことですね!」

「……ん?」



 必死に誤魔化そうとする月城から何を読み取ったのか、百合のおっとりとした目が突然輝き始めた。



のお話をしていたのですね? でしたら是非、私も混ぜて下さい!」

「え? 何々? 何の話~? 先生も聞きたいな~?」

「阿佐美先生。私達学生はもう下校しなくてはなりませんので……。それに、職員会議はどうなさったんですか?」

「えっ!? そ、それは~……」

「私が美術室で先生を見つけられてよかったですね。今から行けば、サボタージュしていたことはバレませんよ……」

「は、はい……」



 言いくるめられた阿佐美はトボトボと職員室へ向かい、影浦と月城は百合に背中を押されて校舎を飛び出した。

 そして彼女は子供のように目を輝かせ、こちらへ向き直る。



「それでは続きをお話ししましょう!」

「あ、あの~……百合先輩。確かにあたし達事件のこと話してましたけど……」

「あぁ……誰かとについて談ずる日が来るなんて……!」

(談ずるて)



 勝手に一人で盛り上がってしまい、落ち着かせるのは大変そうだ。

 しかし殺人鬼の話というだけでここまで舞い上がれるとは、筋金入りの変態だなと影浦はそそくさと逃げることにした。



「えっ、ちょっと……!」

「じゃあ、その先輩のことはよろしく」

「あたしが先輩と話せって!? そんな、あたしだって大して知ってるわけじゃっ」

「まぁ……頑張れ」

「そんなっ!」



 だが月城は抗議さえするものの、強くは引き留めなかった。

 やはり幼馴染の話を聞いてしまった引け目もあるのか、気にしているんだろう。

 こちらは「気にしなくていい」と言っているのに。

 だがその厚意に甘えて影浦は歩みを止めなかった。

 百合は美人だがあのテンションにはついていけない。どうせ話すなら綾子と話した方が盛り上がるだろうに……と月城に一応同情しておいた。



「?」



 学校の敷地から出たところで、ふと足を止める。

 後ろからは百合と月城の話し声が聞こえてくるが、それとは違う方向に視線をやった。

 正門からは警察もブルーシートも消え、赤い汚れが残されている。

 まだ昼前だから交通量も歩行者も少ない。

 じりじりと気温が上がるのどかなこの風景に、何かを感じて影浦は目を凝らした。



「……気のせいか?」



 歩道に沿って並び立つ木の影に誰かがいた気がした。

 だが、そこには誰もいなかった。


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