第一章:凰都の義勇士編
第一話:凰都の朝は早い
時刻は午前8時半。学生やビジネスマンが行き交う街の大通りに怒号が響き渡る。
何事かと周囲の人々がざわつく中、人混みを掻き分けるように、一人の若者が全速力で駆けていく。
黒のフード付レザージャケットに身を包み、額に汗を浮かべて走る。その若者の隣を亜麻色の毛の犬が並走している。大きさは大型犬より一回り大きい。
首輪も着けておらず、若者の飼い犬というわけではないのだろう。しかも野良犬のような土にまみれた身なりでもない。
しかし人々は彼の正体をすぐに知る事になる。
犬が若者の方に鋭い犬歯を見せつけ、中性的な声で人語を発したのだから。
「おい、桃里! ちんたら走ってないで、もっと足を動かせよ!」
それを聞いた若者……
「う、うるさいな! これが今の全力だっての!」
「駄目だなぁ。鍛え方が足りないんじゃないか?」
「『
喋る犬、リーノ・サイラスは呆れつつ、
「ったくもー、だから観光客に道案内してる暇なんかないって言ったんだ」
「昔から人に頼まれ事されやすい体質なんだから仕方ないだろ?」
「どんな体質だよ! ていうかホイホイ受けるな! このままじゃ集合時間ギリギリなんだからな!」
リーノの言葉に呼応するように、桃里の胸ポケットから、けたたましい音量のメロディーが流れ始めた。
「やべっ、噂をすれば!!」
電話の相手は桃里の携帯に登録している中で、何よりも優先して出ないといけない相手であり、某パニック映画で敵に追われる時に流れるBGMを個別の着信音に登録しているのは本人には絶対に言えない秘密だった。
慌てて通話ボタンを押し、耳に当てる。走る速度を落とさないように意識しながら、桃里の顔には緊張感で溢れていた。
「鏑矢です! お疲れ様です、隊長!」
『お疲れ様~、鏑矢ぁ。朝から元気なようで感心するよ』
「あ、えと、すみません! 実はですね!?」
『あー、言わなくていいよ。その焦った声と激しい息づかいで、お前がなぜ未だに集合場所に来ていないのか理解できたから…………これで何度目の遅刻かな?』
「ほんっとにすみません! 全速力で向かってますので! 十分、いや五分で着きますから!!」
隣のリーノが「いや五分は無理だろ……」などと呟いているような気がしたが、電話の向こうにいる上官は楽しそうに唸る。
「ほーう、言ったね。五分だよ? 本当にできるかな~?」
こちらの状況も桃里の考えも全て見抜かれているようだが、言ってしまった手前、もう引っ込められない。
「も、もちろん! 男に二言はないですから!!」
『そうか、じゃあ検討を祈っているよ。あ、隣を並走しているであろうサイラスにも伝えておいてくれ、もし鏑矢の到着が五分を割ったら君も減給だ、とな』
「り、了解しました…………」
電話を切った後、リーノを見ると、軽蔑の籠った眼差しが桃里に刺さる。
「なんでそこで見栄張っちゃうかなあ。五分で着けるはずないだろ」
「ははは、すまんすまん。謝るついでに言っちゃうと、このまま遅れたら二人仲良く減給だってよ!」
「はあっ!? 何それ、どういうこと!?」
「はははは! 隊長が言ってた。やったな、これで仲良く共犯者だぜ」
「ふざけるな! こっちはお人好しとコンビ組んだ時から不幸続きなんだよ!!」
リーノの叫びは虚しく響く。
言い争いをしながらも二人は空いている道を選びながら進んでいく。
そして大きな交差点にさしかかった。集合場所は今いる通りを二、三本進んだ先にある。
「おい待て、このペースなら本当にギリギリ間に合うんじゃないか?」
「どうよ、言った通りだろう? これで減給は免れ………………げっ!?」
「っ!?」
安堵した桃里だったが、横から急に飛び出してきた何かに対して反応が遅れた。
横っ腹に強烈なタックルを食らう形になり、ぶつかってきた相手と絡み合うように吹っ飛んでいく。二メートルほど転がったところで、通りの店の壁に自身の背中を打ち付ける形でようやく止まる。
「ぐっ、痛ってえ……」
「桃里!? 大丈夫か!!」
「……平気だよ。それよりもこの子の意識確認が先だ」
全身に鈍い痛みが走る中で、桃里は自分の腕の中でぐったりする人物を見た。
小柄で、全身を包むボロボロのコートからは白く細い手足が出ていた。フードを少しずらすと、幼さの残る女性の顔が露わになる。透き通るような白肌、鮮やかな赤髪が頬にかかっている。
「(十代? 随分若いけど、この格好はなんだ?)」
転がりながら咄嗟に庇うように抱きかかえていた為、目立った怪我は見られなかった。
それでも彼女の服には桃里とぶつかる前から出来たような傷やほつれが無数にあった。
「……一体どこから来たのか」
服装や持ち物で何かわかるかもしれない、と少女のコートに手をかけた瞬間、
少女が目を開き、その双眼をこちらに向けた。
琥珀色の大きな瞳に見つめられ、その奥に吸い込まれそうな感覚に陥り、思わず桃里の動きが止まる。
「…………あ、起きた」
次の言葉として浮かばずにいる間に少女が今の状況を理解したのか、無垢だった少女の目に警戒の感情が見えた。
うずくまった体勢で桃里の腹に蹴りを入れ、跳び跳ねるように距離を取る。
「お、おい君! 怪我は大丈夫なのか!?」
「……」
桃里の心配を余所に、少女はコートの中に手を入れ、自分の持ち物などを確認していた。もちろん、周囲への警戒は保ったままだ。
そして懐から黒い刃の短刀を抜くと、まっすぐに切っ先を桃里に向ける。
先ほどまで交差点には通行人で溢れていたが、今では少女と桃里の周りにはぽっかりとスペースが出来ている。皆がこの状況に困惑していたが、桃里は冷静に両手を頭の高さまで上げ、敵対の意思がないことを少女に示す。
「安心しろ。何も取っちゃいない。俺たちは君に危害を加えるつもりはない」
自分に向けられている極度の警戒心から、この少女が普段、普通の境遇にいないことはすぐにわかった。
ここは商業街。多くの商社ビルが立ち並ぶ区域で、住む人々も高級なスーツを着ている事が多い。みすぼらしい格好をした少女がこの区域で暮らしているとは思えない。どこか遠くの区域から流れて来たのか、あるいは…………。
「なあ、良かったら事情を話してくれないか。君の力になれるかもしれない」
なんとか彼女の警戒心を解きたい。すると桃里の気持ちが通じたのか、少女は眉をひそめ、何か言葉を発しようと口を開いた。
「いたぞ! 侵入者だ!」
遠くから聞こえる男の声に、その場にいた全員が反応する。
桃里が声のする方向を見ると、全身を黒の武装で覆った男達が数人、こちらに向かって走って来ている。
「侵入者……まさか」
瞬間、彼らの狙いに気づいたトウリは少女の方を向く。
「くそっ!」
「お、おい……」
言うや否や、少女は姿勢を低くしたまま走り出し、野次馬となっていた人々の中に飛び込む。
「待て!」
武装した男達は少女を追って、人混みを掻き分けていった。その内の一人が、呆然とする桃里に近づいてくる。
「おい、そこのお前。今逃げた者と何か話していたようだが、何を話していた?」
男の顔を見上げたが、スモーク仕様のバイザーで覆われているため、表情はわからない。全身に様々な武装が施され、手には無骨な形状の小銃が握られている。
単なる捕縛の為ではなく、鎮圧…………暴れる犯人を殺す事が目的の装備だと一目でわかった。
しばらく黙っていると、男はしゃがんだままの桃里に顔をずいっと近づける。
「質問に答えろ。それともお前も奴の仲間か?」
「別に、何も話しちゃいないですよ」
「本当か? 隠し事があるなら素直に言った方がお前の為だぞ?」
高圧的な態度で接しながら、手に持った小銃をちらつかせる。
「……何もありません」
それでも桃里が動じなかったのを見て、男は舌打ちした後、桃里から銃口を離れた。
「まあ、いい。いいか、俺達は『
そう言い残すと、男は仲間たちの後を追っていった。
とある事情でこの街には警察が存在しない。
警備兵はその空いた穴を埋めるように市民が結成した自警組織だ。自警組織といえど十分な装備を持ち、特別な資格を持たずともなれる為、犯罪が起きた際に迅速に対応できるという利点を持つ。
しばらくして、野次馬の間を縫って来たリーノが桃里の傍までやって来る。
「今の奴らって『警備兵』だよね。随分嫌な雰囲気だったけど」
「ああ、あの警備兵はそっち系の出身って事だよ」
警備兵の問題点に、どんな者でもなれるという事にある。市民が自主的に組織できるといってもその装備などを用意できる資金を持っているものはそう多くない為、暴力団や犯罪組織が罪を逃れる為に形を変えて存在している例もある。
その横暴な振る舞いで不要な疑いや処罰を受けてしまった市民が後を絶たない。
「問題はあいつらが追っていた女の子だけど、何があったんだろうな」
「まあ、あれだけの数の警備兵に追われるってことは少なからず何かの犯罪に手を染めちゃってるのかもね。君にとっては不本意かもしれないけど、変に首を突っ込まない方がいいよ」
「いやに冷たいな、お前は」
「桃里のお人好しが暴走したら何するかわからないから言ってるんだよ。それに、せっかく集合時間に間に合いそうなんだ。無駄にしたくないだろ?」
「んー、そうだけどさ」
納得がいかない桃里だが、警備兵が対応している以上自分が出る必要がないのも事実だった。
「……わかった。行こう」
そう言って再び走り出そうとした、その時だった。
ズドン! ズドンッ!
空気を震わす程の振動が辺りに響いた。雑居ビル群の中にある狭い路地裏から聞こえたようだ。
「銃声……、警備兵が入っていった所からじゃないか?」
「こんな街中で銃撃戦って、マジかよ」
行き交う人々が困惑する中で、桃里は迷わず銃声のした方へ踵を返す。すぐにリーノが駆けて戻ってくる。
「桃里! まさか行くの?」
「当たり前だろ。放っておけるか」
「そんな、警備兵だっているし、それに僕らには別の仕事が…………」
「リーノ、これは俺たちの『仕事』だろ?」
「……そうだけど」
「集合場所には先に行って、隊長にうまく言っておいてくれ」
そう言うや否や、桃里は路地の入り口に立ち、奥を除き込む。
銃声は二回。それからずっと静まり返っている事が、逆に恐ろしく感じさせられる。
すると入口で待機していた警備兵の一人が桃里に声をかけた。
「お、おい。あんた、何してる。危ないぞ」
「周りの人達をここから避難させてください。特別な指示があるまで、誰も近寄らないようにお願いします」
「な、なんであんたがそんなこと……」
桃里は胸ポケットから紺色の手帳を取り出し、警備兵に見えるように突き出す。
「それは! ……わかった、指示に従おう」
「感謝します」
桃里は小さく笑みを浮かべ、暗い路地に足を踏み入れた。
路地は薄暗く、表通りから一本入っただけとは思えないほどの陰湿さがあった。
奥に進めば進む程、得体の知れない黒い霧が行く手を遮る。霧は掻き分けても益々濃くなるばかりで、得体の知れない重圧が全身にのし掛かってくる。
「この障気、思ったよりヤバイな…………」
地面もわからず、朝日も入らない。そこにいるだけで意識が飛びそうな濃度の障気が場を支配している。中の状況は僅かな物音で把握するしかなかった。
「っ! 誰だ!」
突然、桃里は何かが動く気配を感じた。
叫び声に反応した影は周囲の物を壊すように大きな音を立てながら蠢く。逃走しようとしているのだろうか、桃里が即座に判断する。
「逃がすか!」
気配の正体はわからないが、このまま逃がして街に被害を出すわけにはいかないと、桃里は霧の中を突っ走る。
霧も障気も今までと比べ物にならない程濃いが、物音から影の位置はわかった。
目の前にいる影が霧を発生させている原因だと、桃里には何故かそんな確信があった。
桃里が手を伸ばし、影に指先が触れようとした瞬間、
影は弄ぶように桃里の手をすり抜け、その気配を完全に消してしまった。
「………………あれ?」
慌てて周りを見渡してみても、影はどこにもいない。それだけではなく、先程までずっと路地を支配していた霧や障気も、いつのまにか晴れていた。
「おい、誰もいないのか!」
桃里は改めて通路を見回す。発砲したであろう警備兵達の姿もそこにはない。
石造りの壁は高く、よじ登るには骨が折れそうだ。自分達が来た通路と反対側は行き止まりになっていて、走って逃げるには桃里の真横を通過しなくてはならないことになる。
本当に今までここにおぞましい障気が充満していたのかさえ疑わしい程、何も痕跡が見つからない。
「(影は上から逃げたとして、警備兵は追っていったのか…………ん?)」
桃里がふと視線を移した先に大きなゴミ箱があり、その陰から人の足のようなものがちらりと見えた。
「(敵か、まさかな)」
影を捜していたこともあって慎重に近づく。しかしそこにいたのは、壁にもたれ掛かってぐったりとした一人の少女だった。
「この子、さっきの」
小柄で細い体。肩まで届く長さの茶髪は顔に乱雑にかかり、顔は泥や煤にまみれている。黒を基調として赤い意匠が施された服は、余程の状況が無ければ付かないような傷や汚れが目立った。コートは着ていないようだが、顔はしっかりと覚えていた。
息はあるようだが、先程の障気の中にいたのなら少なからず人体に悪影響があるはずだ。早く意識があるか確認し、ここから連れ出さなければならない。
桃里がここにいる事はリーノが隊長達に知らせてくれている。早くこっちに来てもらおう。
桃里が携帯を取り出そうとした時だった。
「…………ぅ、ん?」
少女の瞼がゆっくりと開き、澄んだ緑色の瞳が桃里を見つめる。
「…………」
「目が覚めたか、良かった。どこか怪我は無いか?」
桃里は安堵し、目が覚めた彼女の意識を確認しようと額に手を伸ばす。
「触るな、下郎め!」
少女の凛とした声が響いたと思うと、トウリの視界は大きく揺れ、そのまま暗転する。
「なん…………で」
覚えているのはすらりと伸びた少女の足と、胸を刺す鈍痛、そして路地の隙間から見える雲ひとつない蒼い空だった。
兜のカイジン~義勇士連合凰都特殊班~ みやびわたる @wataru1415
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