兜のカイジン~義勇士連合凰都特殊班~

みやびわたる

序章:宣誓



熱い。

 真っ暗闇の中で感じる激しい熱に、少年は重い瞼を開ける。一番に視界に入ったのは轟々と燃える紅蓮の炎だった。

 うつ伏せに倒れた彼の頬にひび割れたタイルのざらついた質感が伝わってくる。

 彼は今かなり大きな空間にいるらしい。 梁や柱が黒く煤け、壁や天井が焼け落ちている。

 ただ茫然と炎を見つめていた少年が自分の体の異変に気づいたのは、首を反対側に向けようとした時だった。

「(あれ、体が動かねえ)」

 足の感覚がほとんどない。ピクリとも動かず、ドクンドクンと血管が大きく脈打つ振動が伝わってくるだけだ。

 無理矢理力を入れようとすると、全身に鈍く重い痛みが走る。

「っ……!」

 声が漏れそうになったが、まともに声も出せない。

 息を吸い込もうにも喉を動かす度に焼けるように痛み、浅く呼吸をするのがやっとだ。

 おもむろに感覚が残っている右手を喉に当ててみてはじめて、少年は喉の痛みの原因を理解する。

 喉が潰れていた。

 本来あるはずの喉仏などの凹凸はそこに無く、外からかけられた強い圧力で大きく抉られている。

 何故こうなってしまったかと意識を失う前の記憶を思い起こそうとするが、そんな彼の思考を妨げるように、視界がぼやけていく。熱気によるものなのか、痛みのせいなのか、まるで判断がつかない。

 気が付くと自分の周りには赤黒い水たまりが広がっていた。

血が出過ぎている。このままでは長く持たない。

 目の前がぐらつく中で、少し離れた場所に複雑な機械や大きな円筒形の水槽がいくつも見えた。どれもガラスが粉々に割れ、辺りに飛び散っている。

 ふと、水槽の近くで一人の少女が横たわっているのを見つけた。綺麗な長髪と白い手足が無造作に床に投げ出され、少女から生気を感じさせない。

 少年はその姿に見覚えがあった。その事が彼の意識を徐々に覚醒させていく。

 何よりも彼女が着ている真っ白な服に鮮やかな朱の色彩が滲み、床に小さく広がっているのが見えてしまった。

 全てを思い出した。

 激痛を堪え、唯一動く右腕と上半身に目一杯力を入れ、無我夢中で少女の元へ向かう。

 たった数メートルが途方もない距離に思えた。

 顔を地面に擦りながら動く姿をもしこの場で見ている人が居たならば、かなり滑稽に思えたに違いない。

 そうだとしても彼はその"歩み"を止めようとはしない。

 何としても彼女を救わなければならない。その思いだけが彼を突き動かしていた。

 近づくごとに彼女の傷が鮮明になってくる。腹は横に大きく裂け、中から小さく痙攣するピンク色の物が顔を覗かせている。顔は蒼白で血の気も失せ、半開きの目には光が無い。

 ようやく少女の元へたどり着いた少年は彼女の様子を見て、必死に少女の肩を揺すり、音にも鳴らない声で必死に呼び掛ける。流れる涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃになりながら。

 その時、ズシンと重たい衝撃が地を揺らす。

 地響きは一定のリズムで背後から少しずつ近づいてくる。やがてそれは巨大な影として、床に倒れる少年の背後で止まった。

 視界の端で巨体を捉えた少年は思い出す。奴が自分の足と喉を潰し、目の前の少女の胴を切り裂いた事を。

 少年は化け物と呼ばれていた。故に彼が周囲から受けた心の傷は深かった。

 奇異の目で見られてきた中で、彼女だけは認めてくれた。そんな彼女を守ろうと、持てる全ての力をかけて挑んだ。

 しかし実力差を甘く見て返り討ちに逢い、この様だ。

 太い影が少年の真上にかかる。二人が生きていることを確認した異形がとどめを刺そうと、腕を振り上げたのが視界の端でわかる。

「(なんで、なんでこんな事に……)」

 ある日、何の前触れもなく戦争が始まった。

 敵味方関係なく、各地で多くの命が奪われた。

 誰かによってもたらされた無慈悲な死。やり場のない悲しみが怒りに変わって別の誰かに向けられる、そんな事の繰り返し。

 少年たちに起きた出来事は世界で起きる悲劇のひとつでしかないのかもしれない。

 それでも彼にとって、大切な人が死かけている事は変わりない。

 争いの終わらない世界を恨んでも、

 傷の手当ても、声をかける事すら出来ない無力な自分を嘆いても、

 何もかもが彼女を救うには手遅れだった。

 少年が彼女の手を握っていると、僅かだが脈を打つのを感じる。偶然かもしれないが、少女もまた指をピクリと動かして握り返してきた。

 まだ生きている!

 そう確信した少年は、より一層の力を込めて彼女の体を揺すった。瀕死の重傷を負っている人に対しては悪化させてしまうだけだとわかっていても、そうする以外に彼女に自分の意思を伝える方法がなかったのだ。

「(チクショウ、このままじゃ……)」

 怒りと悔しさと焦りが脳内で入り雑じる中、右手を少女の頬に当てる。

すでに麻痺しかけた手では、かすかな息遣いを感じ取ることも出来ない。

 すると少女がうっすらと目を開け、虚ろな視線は少年に向けられる。

「…………」

「(ごめん、ごめん。俺が化け物だったせいで……)」

 声にならない決死の訴えを手や顔の表情だけでなんとか少女に伝えようとする。しかし彼の口から出てきたのはゴボゴボと溢れ出す熱い鮮血だけだった。

 少女は少年をじっと見つめて、少年の願いを理解したように頷く。

「……がい……り」

「……?」

 か細く今にも消え入りそうな声だった。 だが、彼女が必死に紡ぐ言葉を少年は一字一句聞き漏らさない。

「わた………………て」

 少女の提案に少年は目を大きく見開き、首を横に振る。

 無理だ、とても受け入れることはできない。少年は混乱していた。

 彼女の笑顔を奪う存在を呪った。

 自分になんとか出来るなら、どうにかしてあげたかった。

 そんな彼の足掻きは無惨にも踏みにじられようとしている。

 目の前にいる一人の少女を救うことすら叶わなかった。

 少女だって、自分が助からないことはわかっているはすだ。絶望して仕方がない状況なのだ。

「…………おね、がい」

 それでも瀕死の彼女は笑っていた。

 その笑顔を見た瞬間に、少年の心を支配していた闇が静かに引いていくのを感じた。

 そして彼女の意図を知った。

 生き永らえることの叶わない事への諦めとも違う。少年の心を解きほぐすためだけに向けられた笑みだ。

 それが理解出来たからこそ、自分も心を決めなければならない。

 少女の手を強く握る。彼女の望みに応えるためだけに、出来る限りの笑みを浮かべて。


 約束する。 今度こそ、


 これは宣誓だ。

 決して他の誰にも届くことのない、少年の最後の足掻きだ。


 彼女の笑顔を奪う存在から。

自分や少女を苦しめた世界から。

 何も成し得なかった自分の無力さから。


 俺がみんな、まとめて救い出してみせる。

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