大学の授業にはほとんど足を運ばずストリップなどという時代錯誤の遊興に耽るのだから、彼も酔狂な性質ではあるが、目の前の舞台で殺人があっては流石に度肝を抜かれてしまった。扇情的な緋色のスポットライトを、爛熟の果実の実のような玲瓏の肢体いっぱいに浴びていた愛螺が、突如として舞台上に躍り出た男の刃物に、豊麗な乳房を突き刺されたのである。男が刃物を引き抜くと勢いよく噴き上がった鮮血は、スポットライトに毒々しく煌めいた。

 痺れるような刹那の静寂があって、それから客席に叫喚が吹き荒れた。人形のように無抵抗に倒れてゆく愛螺に、またもや刃物を振り上げた凶漢の腕を、舞台袖から駆け出て来た従業員たちが怒号とともに取り押さえた。

 客たちが押し合いながら劇場を出ようとする混乱の中で、彼は席についたまま、呆然と舞台上を眺めていた。愛螺は従業員たちの呼びかける声に応えることなく血の溢れる胸を開け広げに横たわり、男は断末魔の如き哀しい叫びを上げていた。

 暫くして到着した警察に、彼は劇場を出るよう促された。

 外へ出ると夕刻の空は赤く燃えていた。頭上を仰いだ彼は、そこにスポットライトに染まる愛螺の肉体を見た。愛螺の肉体の舞う姿は、他のダンサーたちとはまるで違った。彼にとって愛螺の踊りにはいくつもの美点があるが、そのうちの一つは彼女が客の目を見ないことであった。他のダンサーたちは誘惑の眼差しで客たちの目をのぞきこむように見つめる。しかし愛螺はどこも見ていないような恍惚の眼で舞い狂う。スポットライトに染まる肉体の朱は肌の上気でより濃密になっていく。女体とは、男も我も忘れてこそ最も美しいと、愛螺は知り尽くしているように彼には思えた。その意味で愛螺は娼婦よりも天女であった。淫らに乱れるのは肉の輝きを放つ美の華を咲かせるためであったし、ただ肉欲を誘うのみならず絶対に崇拝を強いる力があった。

 彼にとって愛螺は一人の女であるよりもかけがえのない信仰であった。女を知らず、この先も誰一人として受け入れてはくれぬだろうという醜さを自覚する彼にとって、愛螺は救いであった。自らのみを愛してくれる女の存在など想像もできず、誰をも愛さぬ魂の処女が穢れたこの世にいるとは信じられない彼に、誰の欲望の眼差しも豊かな肉体に飲みこむ彼女はおおよそ神であった。

 その愛螺が死んだ。彼は劇場から家までの通いなれた道を歩きながら、胸に包丁を突き刺された時の彼女の姿態を、その瞬間にも醒めることのなかった恍惚の肉体、否、むしろ今までの如何なる瞬間よりも神聖な光を放った血を噴く肉体を想った。

 道を歩く群衆のただ中で叫びたい衝動が彼の胸を掻き毟った。愛螺を殺した男への、絶望的なほどの嫉妬が渦巻いた。彼は自らの感覚の愚鈍を呪った。愛螺を拝跪してきたにも関わらず、乳房から噴き出す血と彼女の悦びの顔つきを目にして初めて、殺されることを待ち望んでいたのだと悟った。自らの肉体に狂った男の刃をさえ飲みこんで、艶めかしい色彩のスポットライトに肌と血とを輝かしく曝しながら、死に姿すら客の澱んだ眼に舐められて倒れたかったのだ。それが愛螺ののぼりつめようとした最後の恍惚であった。自分はそれに気付けなかったと、彼は何もかもを壊したい怒りに燃えた。彼は何度も胸中で呟いた。俺の手で愛螺を殺すべきだった愛螺の返り血を浴びるのは俺であるはずだった……。

 頭の腐乱してくるような思考を抱えて歩いていた彼は、歩きなれた道に見知らぬ店があるのにふと気付いた。古びた刃物店であった。しかしよく見るとどこか見覚えがある。いつもこの道にあるのに視界に入らないから初めて見たように新鮮に感じるのだった。俺はどうして刃物店なぞに目が留まったのか、そう思った瞬間、彼の中に一つの欲望が生まれた。どんな女でもいいから刺し殺し、その肉の感触と血の色と匂いとに、死の刹那の愛螺を夢想しよう。

 彼はすぐに一本の包丁を買った。


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