第十一撃 行き場のない朝


 

 「このばかたれがッッッッ!!!!!」

 

 狭い部屋に怒号が響き渡る。燃えたぎる朝焼けが、仁王立ちする大男と項垂れる少し小柄な青年の輪郭を切り取っていた。

 

 「で、でもほんとに、これはフスーの勘違いで……」

 

 しどろもどろになって無理に返すイハを、ダンは詰めた。

 

 「じゃあよ、誰に何の報告もせずろくに契約の内容の確認もせず、お前さんが可愛い女神様に浮かれて巫子スァーナの契約をしたのも、ありゃあこっちの勘違いってかァ?」

 「それは、女神様が何も言わずに急に――」

 

 言い訳めいた事実を述べたものの、浮かされていたのもまた事実で、イハは口をつぐんだ。ダンは額を掻きながら、重そうに口を動かした。

 

 「お前が思ってるよりもずっとずっと気を遣わなきゃいけねえ話なんだからよ、女神様絡みの件はな――」

 

 苛立ちの交じる吐息を、ダンは長く細く吐き出した。

 

 

 ――あーくそ。ことへの縛りが多すぎて何も言えねえ。理由もなしに押しつけるだけなんて、これじゃただの八つ当たりじゃねえか――

 

 

 近隣諸国との武力均衡や、現在サフティ島で主に信仰されている霊教アニマーとの宗教上の折り合い、トラクイザ全体の士気。

 

 ハイビスカスの存在を公にしてはならない理由は大海に漂う雑魚の数ほど存在していたが、ダンがそれをイハに伝えられない理由はたった一つだけだった。

 

 

 ――酒の席で女神様の存在を隠すのも精一杯のこの大馬鹿正直ばかたれに、国境くにざかいのいざこざやら霊教アニマーからの金の動きだとか、託すにはちぃと重すぎんだよなァ――

 

 

 軽く頭を振ると、ダンは重心をかけている足を交代した。

 

 「とにかくだ、イハ。巫子スァーナになったことも、巫子スァーナとしての力も、今のうちは――見せるんじゃねえ。女神様にも、何かあっても出来るだけ見守っていてほしい、って俺とヴィヌヴから言っとくつもりだしな」

 「了解っす」

 

 ふてくされた様子で、イハは返事を投げた。

 

 見せるもなにも、とイハは内心舌打ちした。正直、巫子スァーナとしての強大な力に、イハはそれほどそそられていなかった。

 

 

 ――十二年間。俺がどれだけ駆け足で対魔生物組織ここまで辿り着いたか――

 

 

 でもまだだ。

 

 父のように、父の代わりに、早く自分の拳でこの島を守れるようになりたかった。ガームとしてこの島を、父の居場所を守ることで、どことなく父が帰ってくると信じている節があるのだが、イハは自分ではそれに気付こうとはしなかった。

 

 柄にもなく黙って俯いたままのイハをダンは気遣う。

 

 「すまねえな。入ったばっかだってのに、あれ言うなこれやるなばっかりでよ」

 

 ダンは申し訳なさそうに笑うと、大きく伸びをした。

 

 「さァて七時から全体鍛錬だ。うちはちょっと頭蓋やらかした奴以外はもう全員動けるからな。お前は無理のない範囲でな。昨日はツェナーがやりすぎたからよ、端で見てるだけでもいい」

 

 こんな怪我くらいで取り残されてたまるかよ。イハはまだまだ痛む体で軽く数回跳ぶと、腕を何回も大げさに振り回してみせた。

 

 「いや、俺もう超元気なんで! フツーに練習参加します!」

 

 ジタバタと動き回るイハを片手で軽く取り押さえると、ダンは大きくため息をついた。

 

 「このばかたれが。身体の軸がぶれてるうちはドツいてでも稽古させねえからな。マナ治療に慣れるのも訓練の一つだぞ」

 

 イハは不服そうな顔をしたが、すぐにまた動き回り始めた。

 

 「ぶれてないっすよほら!」

 

 しかし、強がるイハの忙しない動きがまだふらついているのをダンは見逃さなかった。

 

 「ブレとるわこのばかたれが」

 「っつ」

 

 容赦なくげんこつが振り下ろされて、ようやくイハは落ち着いた。しかし今度はダンの通信子が緑の光を堪える。

 

 『こちら通信部アンデラガームに出撃を依頼します。直ちに転送陣へ移動してください』

 「ったく忙しねえ。イハ。お前は待機してろ」

 

 このあまり使われない狭い部屋には転送陣が設置されていない。ダンは勢いよく部屋の外へ飛び出し、廊下をドタドタと揺らした。

 

 指示に従うつもりなど毛頭ないイハは、出撃要請に湧くガーム棟でダン特有の大きな足音だけを追った。やがて転送陣に辿り着いたのか、足音が止む。

 

 イハは音の記憶を頼りに廊下を左に曲がった。廊下の隅で三つ指を額に当てるダンが見える。転送陣はあそこか。ダンが転送されてからすぐに転送陣に乗れば、フビジ浜の時のようにどさくさに紛れて出撃できるかもしれない。

 

 しかし、ダンは首を傾げると再び大きな音を立てて走り出した。気付かれたのだろうか。それでもイハは痛む体で加速する。

 

 ダンは少しの間走るとそこそこ大きな部屋に入った。そんなんじゃ俺は撒けねえぞ、と小さく軽口を叩きながらイハも続く。

 

 部屋に入ると、ダンが窓際の角で三つ指を額に付けていた。しかし足元の転送陣は全く反応しない。

 

 「くそっ、何でここも使えねえんだよ」

 

 また走り出したダンにイハはついに追いついた。

 

 「使えないってどういうことすか」

 「ばかたれ! 待機してろっつっただろうが!」

 

 叱ってはいるものの、イハに構っていられる余裕がダンにはあまり無かった。階段を上ってから少し走ると、紋様を焼き入れた小部屋に入る。

 

 部屋の隅にある転送陣の上に素早く乗って、ダンは三つ指を額に付けた。やはり転送陣は反応しなかった。胸に提げた通信子が内から光を堪える。

 

 『こちら通信部アンデラ。至急第一遺物倉庫へ向かってください。魔生物による転送網、予備転送網の全てのマナ核の破壊による島全体の転送不全を確認。古代燃料車による出撃に変更します。繰り返します。第一遺物倉庫へ向かってください――』

 

 額に脂汗を滲ませてダンは勢いよく走り始めた。イハも続く。

 

 「どういうことっすか!? 何が起きてるんすか!?」

 

 視線を前に据えたまま、ダンは苦々しく吐き捨てた。

 

 

 

 「島全体の転送装置の心臓みてぇなとこがやられたらしい。出撃どころか住民の避難も間に合わねえってことよ――」

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