第八撃 宴


 板張りの廊下を規則正しく揺らしていた軋みが、大きな木戸の前で止まった。イハは乱暴に床に下ろされて微かに呻く。

 

 「主役が抱えられてちゃダサいでしょ?少しだけ歩きなさい」

 「へ、主役?」

 

 自分の顔を指した右腕が疼いて苦しむ。ムーラが慌ててイハを支える。

 

 「ま、すぐに分かるわ」

 

 ツェナーは気にもせずに、扉の取手穴を軽く掴んで引き開けた。戸の隙間から声と明かりが大きく漏れる。

 

 

 「待たせたわね!」

 

 

 だだっ広い広間にまだ包帯の取れないガームたちが、ところ狭しと並んだ湯気を吐き出す宝石のような料理を囲んでいた。

 

 「主役のお出ましだ!」

 「遅せぇよイハ!」

 

 酒と魚醤ザザーの匂いが交じった空気は笑い声で震えている。ツェナーは敷かれた麻布の座敷に、まだ足のおぼつかないイハを引きずりこんだ。

 

 「あんたはここ。私とダンさんの間ね。ムーラちゃんは一応そこに座ってて。イハに何かあったら困るから」

 「は、はいっ!」

 

 ムーラはちょこちょこと斜向かいに移動すると麻布の上で膝を折り畳んだ。ダンは場にいる全員が落ち着くのを少し待ってから、その場で腰を上げると立ったまま話しはじめた。

 

 「えー、今からイハの歓迎会を始めようと思う。皆、先日のフビジ浜での戦いは非常に苦しい中よくやってくれた。痣だらけで到底宴会どころじゃねェとは思うが――明日にも出撃して死ぬ奴だっているかもしれねェ。今のうちにイハを迎えておこうや。さあ皆、期待の新星に盛大な拍手をくれてやれ!」

 

 言い終わらないうちに割れんばかりの拍手が起こる。奥の座席から威勢のいい野次が散り散りに飛ぶ。ダンは笑って野次を諫めながら、咳払いをして、話を続けた。

 

 「本来なら、全ての部門の長を呼ぶんだが、生憎こないだのフナムシのせいでガーム以外も壊滅しててるみてぇでな。非戦闘部門もてんてこ舞いだとよ。分析シェンシャからはヴィヌヴの代理で無理言ってフスー、医癒エメーからはムーラに来てもらった。二人にも感謝の拍手を!」

 

 拍手を受けて、ムーラは少し嬉しそうに頬を染めた。しかし、イハの向かいに座っているフスーは面倒くさそうに目を伏せている。ダンは薄い焼き物の盃を持ち上げると、部屋を見渡した。

 

 「……よし! 全員盃を挙げろ! 乾杯ツェーツェ!」

 「乾杯ツェーツェ!!」

 

 包帯に覆われた腕で高く盃を掲げると、ガーム達は勢いよくトウキビ酒を流し込んだ。イハもそれに倣って口をつける。

 

 砂糖を焦がした時のようなほのかな苦みが舌に触れた。花の蜜のような華やかな甘みの後にひりひりとした辛さが喉を越していく。

 

 「……こんな酒、初めてっす」

 「黍酒ラゥーの最上品だ。こういう時くれェだからな。ちゃんと飲んどけよ」

 

 盃を置いたイハに、ダンはとくとくと音を立ててトウキビ酒を注いだ。底に描かれた渦の紋様が揺れ動く。再び口をつけて、ご馳走に目を向ける。

 

 机が見えないほどに敷き詰められた色とりどりの料理がイハの食欲をそそった。くり抜かれたヤシの実から魚醤とココナツの香りが漏れ出ている。

 

 「ヤシ焼きだ!」

 「あんたのご希望どおり、カジナのヤシ焼きよ」

 

 湯気に箸を突き刺して引き抜くと、ヤシ油と魚醤でとろとろと照った白身魚の切り身が現れる。口に運ぶと香ばしい匂いが気管じゅうに満ちた。ココナツの優しい甘みの中によく寝かされた魚醤の旨みが交じり合う。ほくほくとしたカジナの身はイハの舌の上ですぐにほろほろ崩れた。

 

 「これだけは私が用意したの。対面式の時にあんたが好きって言ってたから――ま、カジナの数が間に合って良かったわ」

 

 得意気なツェナーに感想を残す余裕もなく、イハはひたすらにがっついた。朝からほとんど何も食べていないということもあったが、ツェナーの用意したカジナのヤシ焼きは非常に旨かった。

 

 向かいの席で子供のように料理に食らいつくイハを冷めた目で見つめながら、フスーはサクサクと芋餅ハウを頬張る。

 

 「あら、フスー、口に合わない?」

 「……いえ」

 

 ツェナーが腕を伸ばしてフスーの盃に浜柑汁ナッツァを注いだ。フスーはつまらなさそうに箸を置いた。料理に夢中になっていたイハが顔を上げて、フスーに言葉を投げつける。

 

 「こんなに旨い料理、なんでそんな不味そうに食うんだよ。作ってくれた人のこと考えろよ。そんなんじゃ大きくなれねーぞ」

 

 途端、フスーはイハを一瞥してため息を吐いた。

 

 「うるさい。また僕を子供扱いする気か? イハ、君みたいな身体が立派なだけの幼稚な人間のための歓迎会で、マナ測定作業が十二も止まっているんだが」

 「はァ!? 年上には敬語使えよ! 礼儀も分かんねぇのかよこのクソガキ」

 

 道場上がりのイハにとって、年の上下関係のある仲での慣れ口は許されないことであった。しかし、フスーはイハを強烈に睨みつける。

 

 「生憎だが自分より精神年齢の低い人間に使うような敬語の語彙が無くてね。それよりも君はさっきから分析シェンシャの副長にクソガキだの宣っているが――君こそ礼儀がなっていないんじゃないか? 向かいにこうやって座っているのも恥ずかしいね」

 

 言い捨てられた言葉の端をイハは聞き拾って純粋に驚いた。

 

 「分析シェンシャの副長!? こんなガキが!?」

 「いい加減に「あ痛てっ!」

 

 

 フスーの言葉を遮って、ダンのゲンコツがイハに落とされる。ツェナーは呆れをため息とともに吐き出した。

 

 「いい加減にせんかッ! 祝いの席だろうが! それもお前の! お前を祝うためにみんなやらなきゃいけねぇこと全部やめて集まってんだろが! 浮かれすぎねェでちょっとは地面に足付けろ!」

 「――すいません」

 

 短く謝ると、イハは箸を置いて盃に口をつけた。しかし黍酒ラゥーをほとんど飲まずにまた器を戻す。少し張りつめた空気を和らげようと、ムーラが口を開く。

 

 「フスーくん、本当に凄い学者さんなんですよ! 九才でマナ分布の基本法則を拡張して「やめてください」

 

 フスーは俯いたまま、言葉をこぼした。

 

 「で、でも、本当のことじゃないですか!?」

 

 ムーラが不服そうに口を尖らせると、フスーは淡々と述べた。

 

 「年齢と業績を切り離して欲しいんです。僕のことを天才少年扱いせずに、一人前の学者として扱っていただきたいんです」

 

 浜柑汁ナッツァを飲み干すと、フスーは口を拭いて立ち上がった。

 

 「申し訳ありません。そろそろ実験に戻らないと――明日朝までに数値を提出しないと、壁部隊ナァタの方々が困るので」

 「フスー!」

 

 イハは立ち上がると、フスーを真っ直ぐに見た。

 

 「本当にごめん」

 

 勢いよく頭を下げると、イハはそのまましばらく固まった。フスーは微かに目を細めると、イハに背中を向けた。

 

 「君が謝罪した事実は受け入れる。しかし、僕は――君みたいに都合の良い勢いだけの人間は嫌いなんだ」

 

 フスーはそう言い放つと、そのまま早足で宴会場を後にした。

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