第七撃 御座の上
「――ェナーさんたら――理難題ばっかり――」
細く掠れた高い声が鼓膜を震わすのに気づいて、暗闇を裂いて瞼を持ち上げる。
「んん――」
「あっ! 聞こえますか!」
視界が透き通り、目の前の編み髪の同い年くらいの少女に焦点が合う。少し潤んだ黒い垂れ目は心配そうにイハを見下ろしていた。
「あれっ、俺――」
「あーっ、横になっててください。まだ治療が終わってませんから。」
上体を起こそうとしたが、少女のか細い腕にそっと抑え付けられる。籐の御座に寝かされているようだ。布に覆われていて怪我の様子は分からないが、ずきずきと全身にひしめいていた痛みはずいぶんと軽くなっている。
少女は小さく咳払いをすると、イハに向き直り、三本指を立てる。そして、ゆっくり、はっきりした口調でイハに話しかけた。
「さて。今から、簡単な質問を三つしますね。あなたのお名前は?」
「イハ……リューソ」
「一から五まで言えますか?」
「え? 一、二、三、四、五」
「あなたは先ほどまで何をしていましたか?」
「あーっと、ツェナーさんと、吸収の基礎訓練をしてた」
「意識障害はありませんね。」
少女はうむうむと口をすぼめて頷くと、手元の紙切れに素早く書き入れる。
「あー……君は……?」
「あっ、自己紹介するの忘れてましたね。わたし、
丁寧に言葉を述べ終えると、ムーラはぺこりと頭を下げた。切りそろえられた前髪がはらりと落ちる。
「ムーラか。よろしく……っつ、」
イハは、突然腕に走った痛みに顔を歪めた。途端、ムーラの表情が曇る。
「……はあ、やっぱりまだ痛みますよね……十九時まであと十分しかないのに、食事が出来るまで回復させろだなんて……」
へなへなと俯くムーラに、イハは笑いかける。
「ヘーキヘーキ、俺道場いたときこんぐらいの怪我なら普通に食ってたし」
「えええ!? そんな状態で
ムーラは先の尖った木製の治療具をまだ浅黒い痣に押し付けた。先端がぼんやりと光を堪えて、内出血痕がみちみちと小さくなる。
「っつ」
「ごめんなさい。時間があれば、もっと痛くないように出来るんですけど――」
殴られたり蹴られたりするような痛みとは違う、内側から疼くような痛みに顔をしかめる。練習場の天井に吊られたマナ灯がちらちらと目を灼く。眩しさに目を背けて、治療を行うムーラに目を向ける。
「ムーラは、トラクイザに来て長いの?」
「十五の時に務め始めたので……えーっと、もう三年目、ですかね。」
「へー、十五からか。すごいなあ。俺なんか十八になってやっと入隊なのに――」
「あっ同い年! ……ですよね。同い年の人をトラクイザで見たことなくって。」
そう言うとムーラは少し嬉しそうに肩を上げた。しかし、イハは冷や汗を流して視線を泳がせている。
「あっ、あーっ、そっか。十五から三年目だから、えっと」
指で数えようとするも、鈍い痛みが貫いて呻く。慌ててムーラがイハを押える。
「ですから、同い年ですってば! 足し算座学でやりましたよね!?」
「あー、ごめんごめん、俺計算弱くて……いっつ」
頭をかこうとした腕が痛んで、イハはようやく大人しくなった。そういえば、とムーラが切り出す。
「わたし一昨日に、フビジ浜で気絶した直後のイハさんを診たのですが、骨折どころか痣一つついてなくて、とってもびっくりしたんです。」
「あーっ俺こう見えてすっげえ丈夫だから、ははは」
笑って誤魔化そうとするイハに、治療記録を捲ってムーラは無邪気に畳み掛ける。
「しかも、身体じゅうからとんでもない高マナ反応が出てて、
「あっいや――」
目をさまよわせたイハは、脂汗をたらたらと流す。とりあえず会話を繋がなければと、ちぐはぐに言葉をひり出す。
「な、なんか、えっと、その、あの…………なんだっけ――、ほら、」
しどろもどろになっているイハの反応を見て、ムーラはそっと手のひらを合わせて目をきらきらと輝かせた。
「やっぱりイハさんの体内でとんでもなく複雑で難しいマナ反応が起こっていたんですね!!
「えっ、あっいや、」
「もう、ヴィヌヴ先生ったら、また詳しくない人にうんちく垂らしてー。先生、あんなんだからダンさんに嫌がられるんですよ。」
口を尖らせるムーラを見て、イハはハイビスカスのことをなんとか濁せたことにそっと胸をなでおろす。
「ははは、いや俺ほんと頭良くないから、全然先生が何言ってるか分かんなくて――」
ドオン!!!!!
「きゃっ?!」
突然場を震わせた破壊音にムーラが縮こまる。痛む身体に鞭打って音のなった方向に上体だけを起こして構えると、練習場の扉は乱暴に叩き開けられていた。
「さて!!! 十九時ね!!!!!!」
よく通る声を張り上げ、ツェナーがずかずかと砂を踏み進んできた。ムーラがこわばった顔で声を震わせる。
「ツェナーさんごめんなさい! ぜ、全然治しきれてなくって――」
「危惧の構えをこんなにしっかり取れるまで回復させるなんて上等よ! もう、ムーラちゃんてばさすが
「わっ、ツェナーさんてばやめてくださいっ、ひゃ、あ、離してくださいっ、」
ツェナーはこれでもかというほどに強くムーラを抱き上げると、細い髪をくしゃくしゃと撫でている。
「は……?」
構えを取ったまま呆気に取られていたイハに目を留めると、ツェナーは幼い子供にするように髪を丁寧に整えてからムーラを離した。
「イハ、あんたすっかり元気ね! もう立てるわね」
「え?ちょっ、」
ツェナーはイハの首根っこを右手で摘みあげた。
「ダメですっ! あと三時間は安静にさせてあげないと――」
「えっ? 平気よ! ほらイハ歩けるわね!」
ムーラの制止も虚しく、ツェナーはイハの尻を軽く蹴り上げる。
「――――っっ!!」
痛みに耐えきれずに思わずイハは飛び上がる。
「こんなに元気に動けるのよ? 歩けないなんて言わせないわよ」
「ツェナーさん、お願いです、ほんとにイハさんはまだ歩ける状態じゃなくって……」
ムーラの必死の訴えに、ツェナーはようやく手を止めた。
「ムーラちゃんがそんなに言うなら仕方ないわね」
「わっ!?」
膝裏と脇の下に腕を入れると、ツェナーはイハを抱え上げた。女に難なく抱え上げられた屈辱と恥ずかしさで、イハは絶句した。そんなこともお構い無しに、ツェナーはムーラに優しく声をかけた。
「来て。無理を聞いてくれたお礼よ」
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