第四撃 ハォビの花


 「ごめんなさい、覚えてないの〜……」

 「大丈夫ですよ。仕方のないことですから」

 

 申し訳なさそうな女神の上目遣いに、ヴィヌヴは満面の笑みで返す。フスーが無表情のまま机の上の記録子を調整している。

 

 

 ――しかし、参ったな――

 

 

 内心、ヴィヌヴは頭を抱えていた。

 

 これまでの記憶。

 伝承についての知識。

 

 ハイビスカスは、太陽の女神として信仰されてきたハォビ神としてはあまりにも無知すぎた。ヴィヌヴはとうに温くなったココナツ水に唇をつける。

  

 「わたし、自分が女神なのかもよく分からない……でもね、この島を守らないといけないのは覚えているの。この『太陽の瞳』で――」

 

 ハイビスカスは絹のように細かくて長い睫毛を伏せた。か弱げな表情は、魔生物を一瞥で焼いた女神というよりは、一人のいたいけな少女のものであった。

 

 

 ――目的だけが存在して、記憶も知識もないなんて。何があって喪われたのか――

 

 ――魔生物の巨大化と何かしらの関連がもちろんあるのだろう。おそらくヴィヌヴ先生もそれに勘づいている――

 

 

 しかし、フスーは表情にそれを伝えずに記録子のマナ調整を続けている。ヴィヌヴはハイビスカスに柄にもない笑顔を向けながら口を開いた。

 

 「ハイビスカスさん――良かったら、ここ、トラクイザにしばらく居ることにしませんか?」

 

 「とらくいざ?」

 

 ハイビスカスはゆっくりと瞬きをすると、顔を右に傾けた。柔い豊かな胸が合わせて揺れたのに、イハは思わず目を奪われる。

 

 「ええ。この島の対魔生物自衛組織です。その身なりだと街ではどうしても目立ちますから」

 

 「あーたしかに! そんだけ可愛かったらナンパされまく「黙ってくれねぇかぁクソガキ」

 

 先程までとはうって変わって低く鋭い声でヴィヌヴが言葉をイハに刺した。全く気に留めずに、イハは人差し指を突き立てて声を荒らげた。

 

 「クソガキってじゃあ向こうのガキはどうなんだよ!?」

 

 途端、今までほとんど表情を顕にしなかったフスーの眉間に深く皺が刻まれた。

 

 「イハ、僕は少なくとも貴方にだけはガキ扱いされたくない!」

 

 フスーの予想以上の鋭い剣幕に、猫の尻尾を踏んでしまった鼠にならって一瞬怯んだが、それでもイハはまだ口を開く。

 

 「だって実際お前ガキじゃ「も〜!!!! いい加減落ち着いてよう!!!!」

 

 女神の困った顔が三人を見つめる。イハはばつの悪そうな顔をして目線を逸らした。一呼吸置くと、ハイビスカスは答えはじめた。

 

 「とりあえず、わたしは、ここにしばらく居候させてもらおうかなあ。この島のどこにも行くあてがないし――そもそも、どこから来たのかもわからないんだもの。」

 

 机の流れる木目を金の瞳が辿る。ヴィヌヴは顔を明るくして、ぱん、と手のひらを合わせた。

 

 「そうと決まれば話は早い! さぁて早速『太陽の瞳』の周辺マナ測――あーーっ、忘れてたッ!」

 

 ヴィヌヴは古代式時計の針を見ると慌てて立ち上がった。

 

 「わりぃ。女神様に必死で対面式の時間すっかり忘れてたわ。イハ、お前はこの件何も知らねぇ設定な。とにかく、虫が急に勝手に燃えてビックリしたぁ〜!っつっときゃ大丈夫だ」

 「いや、ちょっとなんすか急に」

 

 状況を全く呑めていないイハに早口で立ち回りを詰め込みながら、ヴィヌヴは部屋の隅にある転送陣の手配を行う。

 

 「お前どうせ部屋の位置とかなんも分かってねぇだろ。特別だぞ。座標設定はしてやるからこれ踏んでとっとと失せろ」

 「はァ!?」

 

 ヴィヌヴに促されるまま、イハは転送陣に足を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 転送された先は、ヴィヌヴ達と話していた部屋よりは窓が大きくとられ、広くて明るい部屋だった。しかし床に敷かれた御座の上にはごろごろと怪我人がところ狭しに転がっている。

 

 イハはよく見知った大柄の男にすぐさま駆け寄った。

 

 「ダンさん! 無事だったんすね! ……よかったッ……」

 「イハ!! お前肋でもやったかと思ってたけど、ピンピンしてるじゃねェか!!」

 「俺意外と丈夫なんすよ!!」

 

 全身を包帯でぐるぐると覆われたダンは、イハが近づくと、思い出したかのように怒鳴った。

 

 「あーーッ、そうそう、このばかたれがッ! 室内で転送陣なんか使うバカがおるかッ! この部屋の人数を考えろッ!」

 

 「あっそれは違うんすよ、ヴィヌヴ先生が――」

 「ヴィヌヴだァーー!? あの紙魚野郎ッ、職権濫用しやがって……今度顔みたら絶対ェぶっ飛ばすッ」


 軽く地団駄を踏むダンを、男にも負けないほど長身の若い女が宥める。

 

 「とにかく、新入り君も来てくれたことだし、対面式やりません? ……っつっても、みーんな伸びちゃってるけどね。ったく、こんな壊滅の仕方は初めてよ」

 

 女は部屋を見渡して、ため息混じりに言葉を吐いた。

 

 「――さて、新入り君、適当に名前と好きな料理でも言っといてくれる?」

 

 細長いしなやかな両腕が、引き締まった体の前で組まれる。イハは息を軽く吸うと、少し大きめの声で名乗り始めた。

 

 「イハ・リューソです! 好きな食べ物はカジナのヤシ焼きです ! 今日からお世話になります!」

 

 勢いよく頭を下げると、部屋の四方八方から威勢よく歓迎する野次がイハに浴びせられた。拍手をする者もいる。

 

 「よぉし。ご苦労さん。ま、俺のことは知ってるだろうけどよォ、一応、拳長ガーマとして形式だけでも名乗らせてくれや」

 

 イハの肩を固定されていない方の腕でドンドンと手荒く叩いて、ダンは話し始めた。

 

 「ダン・デーガだ。好きな料理は「ダンさんの好きな料理は聞いてないんですが」

 「い、いいじゃねぇかよッ! おいコラッ! お前らッッ! 笑うとこじゃねェぞ!」

 

 女の制止に、部屋中がどっと笑いに包まれる。ダンは照れ怒りながら、部屋中を歩き回っていた。女は軽く咳払いをして、言葉を流し出す。

 

 「はいはい静かにして。私は副拳長ガーノのツェナー・マウネイ。よろしく」

 

 ツェナーと名乗った三十手前ほどの女は、顎にかかる長さの艶のある髪を耳にかけた。

 

 「さて、イハだっけ? ――あんた元気が有り余ってそうね。まあ奇遇。私も気は失ったけど、怪我は軽かったの。早速吸収の基礎訓練してあげる。付いてきて」

 「はい!」

 

 イハは勢いよく返事すると、ツェナーの後を追った。横たわるガームたちはその背中を横目で追いながら、苦笑いとともに言葉を零す。

 

 

 「吸収の基礎訓練が一番キツいんだよなァ……それも」

 「あのツェナーさんにシゴかれるんだ――生きて帰って来れるかなぁ、あの新入り」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だだっ広い円形をした砂地の闘技場。道場で使っていた砂よりは硬そうだ。イハは足の指で握ったり落としたりして砂の感覚を掴む。

 

 「さあ新入り君。腹に集中して――行くわよ」

 

 次の瞬間、イハの腹にツェナーの強烈な一撃が刺さった。

 

 

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