第五撃 逃げない勇気


 

 「ッ」

 

 しかし、鋭く抉ったように見えた拳は、イハの腹に届く前に長さを使い切っていた。

 

 「私は地面を素早く蹴って腹を捩り攻撃を回避するようあんたに指示した憶えはないけど?」

 

 ツェナーはイハを軽く睨んで、体勢を立て直してから構えを解いた。

 

 「もっと基礎的な部分から教えないといけなかったってことね。吸収の前に紋様の展開を教えてあげる。あんた、紋様今どこに出てる?」

 「両手の甲です」

 

 「初期位置――はあ、私も随分と舐められたものね」

 

 微動だにしていない紋様に視線を落としながらツェナーは吐き出す。

 

 「初期位置?」

 「はあ?! あんた初期位置も知らないで勝手に出撃してたわけ!? よく生きて帰ってこれたわね!?」

 

 雑にイハの手の甲を掴むとツェナーは自分の手の甲の紋様と並べた。

 

 「最初に紋様を焼き付けた位置。これを初期位置と呼んで、いわば紋様の待機位置になるの。そして、危機を感じると――」

 

 瞬間、ツェナーの紋様が素早く腕じゅうに展開される。

 

 「こうやって必要な部位に紋様が移動する。これが展開よ。コツは、逃げないことね」

 「逃げない――?」

 

 ツェナーは身を引いて、再びイハとの間合いを取った。

 

 「相手の攻撃に対してある程度生存本能を働かせないと、紋様は反応しないの。でも、攻撃から逃げてしまえば吸収以前の問題だし、何より逃げた安心感で展開も出来ないこともあるの――つまり、さっきのあんたは駄目なことばっかやってたってわけ」

 

 ツェナーが再び半身の構えを取る。力んでいないが全く無駄も隙もない型は、ツェナーが実力者であることをイハに改めて知らしめた。

 

 「イハ。逃げてちゃだめ。マナ強化のないガームなんて、魔生物にとっては裸の赤ん坊同然なんだから」

 

 ツェナーは短く息を吸って、空気を引き裂いて加速する。瞬きも出来ないような素早さであったが、迫り来る拳がイハにはしっかりと見えていた。

 

 

 ――くそ、頭では分かってんだけど――

 

 

 ひらり、と身を翻してつま先で砂を抉ったイハ。その目の良さに舌を巻きながらも、ツェナーは重心を低くとる。

 

 「あんたもしかして、そんなに当たるのが怖いわけ?」

 

 交わしづらいはずの腰への追撃も、イハは身軽に振り抜いていく。

 

 「違うッ! 怖くなんかない!」

 「じゃあ逃げ回らないでもらいに来てみなさいッ」

 

 軽く沈んだ肢体から顔まで鋭く伸びた高蹴りを、イハはすんでのところで交わす。細かな砂と風が頬を掠めるのを感じる。

 

 「クソッ、どうして――」

 

 食いしばった奥歯で砂をすり潰すイハを、脚を下ろしたツェナーが窺う。

 

 イハは、他のガームに比べるとやや小柄だ。ツェナーの方が身の丈は少し長い。しかし、女の中では大きい方とはいえ、男よりは劣る体格で闘ってきたツェナーにも思うところはあった。

 

 

 ――たしかに、体格差を埋めて単純にドツキアイするには、一番理にかなった戦い方なんだけど――

 

 

 「あんた――きっと、自分より強い相手の攻撃は、全て交わしきることで免許皆伝そこまで勝ち上がって来たのね――残念だけど、 ここでは全て受けきらないと始まんないのよ」

 「……」

 

 イハは唇を食んで俯いた。小さい頃からやってきた戦い方を引き剥がすなんて、簡単なことではないとツェナーも分かっていた。

 

 「あんたがそれでも交わしてしまうのも――私には分かるわ」

 

 もう何度繰り出されたであろうか。降り注ぐ流星群のような連打を、イハはほとんど脊髄反射で交わしている。

 

 

 ――私も昔そうだった。ダンさんの拳をみんな避けてたんだもの――

 

 

 そんな同情にも似た懐かしさを滲ませないようにするのが、ツェナーなりの気遣いだった。心を鬼にしてツェナーは怒鳴った。

 

 「でもね、それじゃあんたはガームでは闘えない! あんた一生道場の中にいたいわけ?」

 「違う!」

 

 辺りを薙ぐような回し蹴りも、イハには届かない。

 

 「なら、受け止めなさい!」

 

 言い終えると同時に放たれた突きをイハは交わす。

 短い――これは囮だ。

 

 浮いた砂が流れる空気をかたちどる。本命は左脚の低く重い蹴りだ。常人には分からないほど僅かな溜めの長さをイハは読み取る。ツェナーは自分に本命の蹴りを見せているのだ。

 

 

 ――俺は一生ここで逃げてるような奴か? そんな奴が、この島を、父さんの代わりに守れるのか? そんな訳ねぇだろ。あの日、父さんは逃げなかったんだから――

 

 

 逸らしていた目を真正面のツェナーに向ける。

 

 

 ――俺だって、逃げねえよ――

 

 

 イハは歯を食いしばり、乾いた砂を足の指で握りしめて仁王立ちした。

 

 風圧を左脛に感じて瞼を開くと、紙一枚の距離でツェナーの脚が止められていた。左脛にはびっちりと紋様が詰められている。

 

 「展開はできたわね。やっと吸収の練習に入れる」

 

 掌をぱんぱんとはたきあわせながら、イハの構築した紋様に目をやる。

 

 

 ――ダンさんが言ってた通りね。一回や二回であそこまでの密展開をやってのけるなんて。目もいいみたいだし、これはしごきがいがありそう――

 

 

 ツェナーはごく小さく舌なめずりをして素早く退くと、再び構えを取った。

 

 「さっきは展開の練習だったから寸止めしたけど、これからは容赦しないわよ――マナ吸収だけで私を倒してみて。出来るまで何度でもやるわよ――」

 「えっツェナーさんちょっとまっガァッ」

 

 いつの間にか拳が鳩尾に突き刺さっていた。イハは浮かされる。

 

 

 ――何だこれッ、全然見えな――

 

 

 「何ぼーっとしてんの?こっちよ」

 「ッ!?」

 

 バネのようにしならせた身体から繰り出されたものが、もはや突きだったのか蹴りだったのかも分からないままイハは沈んだ。

 

 「まずは一本。無展開の状態だったのに初撃で倒せなかったのがすっごく悔しいわねー」

 

 ツェナーは構えを解いて腰履きと腰骨の隙間から葉たばこを取り出すと、紋様を集めた人差し指で撫でて煙を噴かせた。

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