第三撃 女神、それは太陽のように


 

 

 唇を離した少女がイハの身体に手を伸ばすと、ふっと透けて身体の奥に腕が消えていく。

 

 「んん、身体はボロボロだけどマナはいっぱい残ってるのね。」

 

 気持ちよさそうに目を細めると、少女は一気にイハの中に融けて行った。朝の日差しにも似た柔らかい光がイハの身体を包む。全身を巡る輝きが傷を癒す。

 

 イハは重なっていた瞼を開いた。黒曜石のようだった瞳が、太陽のような金色に変わっている。そしてゆっくりと立ち上がる。

 

 「あちゃー。わたしが入ったらおねんねしちゃったわね〜、ぼく。まあ、いいんだけど。」

 

 少女と同じ口ぶりで声を出すと、腕を回し、軽く何回か跳んでみたりする。

 

 「んー。わたしの身体よりやっぱり動きやすいなあ。ちょうどよかった。マナも無くなりかけてたし――」

 

 イハが目を細めると、メキッ、メキメキメキメキッ、と不連続な軋む音が響いて、影が伸びる。

 

 「あら〜?そっちはもう起きちゃったの〜?しょうがないなあ。」

 

 脚を焼き切られたはずの虫が再生を進めていた。柄にも言われぬ異臭が煙とともに立ちのぼっている。

 

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 呻き声と共にゆっくりと虫が立ち上がろうとする。

 

 「おはようの代わりでなんだけどね、」

 

 イハは虫を睨んだ。

 瞬間、夜明けの一筋のような眩しさが虫に刺さった。

 

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア…………」

 

 

 「――おやすみ。」

 

 

 一年分の太陽を今この一瞬に集約したような熱が虫を灼いた。

 

 融ける。

 

 落ちる。

 

 やがて内部から燃え上がると虫は塵になって消え去った。もうもうとまだ残っている煤の中、イハはがっくりと膝をつく。

 

 「やっぱり、わたしが闘うとマナがすぐ無くなっちゃうなあ……。」

 

 そう呟くとそのままうつ伏せに倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「――みたいな感じだったらしいんだけどさぁ、何か思い出せそうかぁ?」

 「いや、全ッ然なんも思い出せないっす」

 「だってよ。フスー」

 

 気だるげに言葉を投げ棄てると、痩せぎすの四十ほどの男は大きくため息を吐いた。フスー、と呼ばれた十二、十三ぐらいの少年は、手元にある羅針盤のようなものに埋め込まれてあった青い鉱石をなぞる。

 

 すると壁にかけられた白い布に投影されている景色が早戻しされて、再び桃色の髪の少女を映し出した。

 

 「……この女性なのですが、」

 「やっぱこの子すげー可愛「フスー、続けていいぞ」

 「ヴィヌヴ先生ちょっとくらいいいじゃないっすかぁ」

 

 ヴィヌヴに従って、フスーは少女を拡大した。

 

 「珊瑚色の髪。金色の瞳。それに耳に刺した真っ赤なハォビの花。これを見てください」 

 

 フスーが手元にあった古い巻物を大事そうに広げると、少女と全く同じ装いの女神の肖像が現れた。

 

 「サフティ伝承の太陽の女神、ハォビ神と全く同じなんです」

「あーッ! 気を失う前にちょっと思い出しかけてたの、これか!」

 

 イハは椅子から腰を浮かせて覗き込んだ。


「古代サフティの火山信仰ダーラムの中心となった女神だな。まあ霊教アニマーが大陸から輸入されてからはもうじーさんばーさんくらいしか信じてないけどよ」

「へえー」


イハが初めて聞いたように相槌をうつ。ヴィヌヴはわざとらしく大きなため息をついて、イハに目をやった。


「ハォビ様の伝承については座学で俺がみっちりやったんだけどさぁ、こいつ散々寝散らかしてくれてたからなぁ……」

 

 フスーも大きなため息をついて額に手を当てる。イハは気にも留めずに続ける。

 

 「じゃあ、俺は女神様に助けられたってことなんすか……?」

 「まあ、そうとしか説明がつかないんだわ。今回の件」

 

 ヴィヌヴはゆっくりと椅子から立ち上がるとどっしりと壁にもたれた。目つきからいつの間にか気だるさが抜けて怜悧に光っている。

 

 「マナ値が高すぎてマナ分布測定出来なかったんだぜ? もちろん今までの文献にも見当たらねえ。それにあの火力と治癒力。ウチの魔弾デーテ医癒エメーの腕利きでもありゃ無理な芸当だ」

 

 うっとりと天井を眺めたあと、ヴィヌヴはイハに目線を戻した。

 

 「そこでなんだけどさぁ」

 

 ゆっくりと机に両腕を載せると、背中を乗り出してヴィヌヴはイハに不敵な笑みを近づける。

 

 「……ハォビ様をここにお呼びできない?」

 「へ?」

 

 小声で零された依頼に、フスーが付け加える。

 

 「あなたの身体からまだ高マナ反応が出てるんです。つまり、今もあなたの中に宿っている可能性があるんです」

  「は、ハォビ様が……」

 

 イハは思わず大声を上げそうになったが、途中でヴィヌヴに制止されて口を噤んだ。

 

 「すまないんだけどさぁ、あんまりおっきな声で言わねぇでもらえるかぁ? ……この件一旦内緒にしとこうと思うんだわ」

 

 ヴィヌヴは自分の口に手を当てる仕草をして口角を上げ、秘匿をイハに求めた。

 

 「お前が助けた女の子もなぁ、貯蓄マナ掻き集めて記憶消させてもらったんだわ」

 「で、でも……」

 「ま、でも名前も出せないのは困るわな。そこでなんだけどさぁ」

 

 そう言いながらヴィヌヴが取り出したのは、前文明のものと伝えられる植物図鑑だった。とんでもない紙の集積を掻き分けて、真っ赤なハォビが咲く頁を灯に晒す。

 

 「『ハイビスカス』――古代文明の言葉でハォビの花を指すんだがな、これから彼女のことをそう呼ばせていただこうと思うんだわ」

 「ハ、イ……?」

 

 慣れない発音を一度で掴めなかったイハは、言い切る前に言葉尻を失った。

 

 「言いにくいっすよハイなんとかとか」

 

 口を尖らせるイハの主張に、フスーが古代文明語彙辞典を引き摺り出す。

 

 「先生、他の仮名も検討しますか?」

 「ええー。これで良くねぇかぁ?」

 

 面倒くさそうにヴィヌヴが頬杖をつく。

 

 「んーよくわかんないけど、わたしはハイビスカスって名前の方が可愛くていいかな〜」

 「だよなぁ。俺もそう思――」

 

 

 

 


 「――ってハォビ様…?!」

 「だから。ハイビスカスだよ〜。」

 

 浜風のようにたゆたう柔い珊瑚の髪の女神は、軽く頬を膨らませてから、首を傾けた。

 

 「それでね。わたしを呼びたかった理由って――なにかな。」

 

 

 

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