第二撃 邂逅
大きな影が水しぶきを落としながら空を覆っていく。
「おいおい、これも見たこたァねえぞ」
ついさっきまで軽々と葬り去ってきたフナムシが、太陽を隠してダン達を見下ろしていた。腹を見せてちょうど立った状態の虫は、テェンダの崖と同じような高さがあった。
それまで、サフティ島に迫る魔生物は、大きくても人の背丈の倍ほどの大きさのものしかなかった。喉仏を伸ばして全部隊が空を仰ぐ。
「図体でかくなったのがなんだ!! 構わず行けッ!!」
思い出したかのように、再び突撃が始まった。
しかし、装甲を軽々と貫いていたはずの剣や槍がいとも簡単に折られていく。虫は電撃や火炎にもびくともせず、純粋に巨大化したのではないことを示した。
虫は腹から光弾を打ち出し、展開していた全部隊を蹴散らした。
「マナをそのままぶつけてきやがった――
怯んだ他部隊をよそに、
「――ッ!!!!!!」
吸収といっても、限度がある。
法外に大きくなった身体を無力化するほどのマナ容量は、
内臓が潰れるほどの衝撃を、マナの放出により相殺するが間に合わない。いくら紋様を巡らせたところで、傷を最小限にする程度の力にしかならなかった。
「クソッ、あいつ結界の方にッ、」
壁部隊が組んだ結界は、範囲重視で堅さはほとんど無いに等しい。そもそも結界はマナによる爆風や砂埃から家や畑を守るためのものであって、結界に魔生物が至るまでに他部隊が始末する割り振りだった。
結界のすぐ向こう側には、高床式の家が並んで建っている。無論、魔生物が出現すれば住民は避難するのだが――
結界の方から、微かに年端もいかない子どもが泣きじゃくるような声がする。まさか、はぐれたのだろうか。
「あの虫野郎ォ死んでも止めるッ」
ダンは紋様で無理やり体を動かした。
マナだけは有り余っていた。
行かせるかよ。
「お前の相手はこっちだ虫野郎!!!」
太い鉄塊のような脚に蹴りを入れる。マナで強化したはずの一撃も虚しく、虫は嘲笑うかのようにダンを蹴り飛ばした。大男が嘘みたいに空間を真横に飛ぶ。
岩場に打ち付けられたダンは、紋様を展開する余裕もなく、壁を割いていく黒い塊を力なく見上げていた。
「くそッ――」
それでも立ち上がろうとするダンの瞳に人影が映った。
「おい虫ッ!! 俺と遊ぼうぜ!!」
「イハ!?」
――あの野郎。遊ぶなんて余裕なんかねぇ癖によ――
それは希望というより絶望だった。
死にかけの鼠が猫の爪を齧るような闘いだった。
軋ませた肋骨を紋様で固定する技術もマナで加速する技術もイハにはない。
そびえたつ虫に気合だけで向かっていく。もちろん、光弾を交わし、脚を交わすのもやっとだ。足が絡んだところに光弾を打ち込まれて砂に伏せる。砂を掴み、せり上がってくる血を口からむせ出す。
虫はイハへの興味を失って、ついに結界を越え始めた。地響きのような音がして、漁師小屋が踏み壊される。小舟が軽く宙を浮く。
「おい! ちゃんと俺の相手しろよ!」
軽口を叩きながら口角を拭う。手の甲に浮かぶ汗に鮮血が滲んだ。限界は既に越えている。イハはつんのめりながら立ち上がると、半ば四つ足で走った。
魔生物は浜辺のヤシをかわして、家がある方に進む。メリメリと粉を吹いてソテツの木が折れる。女の子の鉄を裂いたような悲鳴が、虫の注意を引いてしまった。
「やべッ、」
ずんずんと女の子に接近していく魔生物。
アリと子どもの追いかけっこのように、すぐに距離は詰まっていく。脚が振り上げられ、女の子めがけて降ろされる。
「逃げろッ!!!!!」
飛び込んだイハはがむしゃらに女の子を押し出した。しかし、今度は自分の身体の上に脚の影が落ちていた。
――俺は死ぬのか?――
生存本能が、紋様を焼けた背に集めた。
「うあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
背骨が割れる。
内臓がメリメリと潰されているのが分かった。
粘度の高い、黒い血が奥から上がってくる。
紋様をいくら展開したところで吸収できるような圧力ではない。押し潰されていく背中はそれでも懸命に抗い、震えていた。
――父さんは生きてるんだ!
誰が何と言おうがこの目で見たんだろ!?
父さんが帰ってくるまでは這いつくばってでも、この島を俺が――
刹那、眩しい熱がイハを包んだ。
光のようななにかは傷口を軽く灼いてイハは悶えた。
踏みつけていたはずの脚が中央付近で途切れる。
均衡を失った魔生物は倒れて砂煙を巻き上げた。
圧力から解放されたイハの背中は一瞬浮き上がったが、力を失って沈みこんだ。
「あら〜、わたし一人なの? こんなところにいたらあのおにーさんみたいに怪我しちゃうよ〜。走れる? 」
遠くで声が聞こえる。先ほどの女の子とは違う、柔らかい少女の声だ。どんどん濁っていく意識の中で、サンゴ色の波打つ髪の少女が、太陽のような瞳でこちらを顔を近づけて覗き込んでいるのを見た。
「わたし、あなたと会うの、初めてじゃない気がするの。これが運命ってものなのかしら。」
そよ風のように呟くと、少女はつややかな唇をイハの首筋に落とした。微かな、ハォビの甘い匂いがする。
――まるで、昔よく聞かされた、あの――
思考は途絶え、柔らかい花弁に包まれるような恍惚のなかで、イハは意識を手放した。
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