第170話 三年後 - 2 盃の湖ミュノシャの海軍基地にて




 盃の湖ミュノシャの海軍基地。連合国の歴史上初めての女性元帥が、執務室でとある男の到着を待っていた。


「元帥閣下、連れてまいりました」

 部屋をノックする兵士に「入れ」と指示すると、扉が外れるかと思うような勢いで、その男は入ってきた。


「ヒビカ! 頼む、恩赦を!」


 ヒビカが掛けている机まで一気に駆け込んできたアサガリ。手には手錠をはめている。

 ジェミルとモス・キャッスルの一件で、連合国海軍人でありながらテロリストに加担したアサガリは、すでに裁判を終えて死刑が確定していた。

 だが、ジェミルとタブカが依然として逃亡中のため、後々の二人の裁判の証人として、刑の執行は免れていた。

 そもそもモス・キャッスルの一件の規模と重さを考えると、他の理由で死ぬ前に刑が執行されるかどうかはかなり怪しいが。


「君は覚えているだろう?! 二年前、まさにミュノシャのこの基地で、私が君に恩赦を与えたのを!」

 必死にそんな事を言うアサガリを、ヒビカは鼻で笑った。

「二年前ではなく三年前だ。それにあれはそもそも濡れ衣。だから私は復職できた」


「だっ、だが、私が恩赦を与えていなければ、君はすぐに処刑されていた! それは確かだろう?! 頼む、私にも恩赦を!」

「お前を呼んだのは私だ。まずは……」

「私が恩赦を頼む手紙を何度も出したから呼んだんだろう?! 頼む、恩赦を!!」

「まずは私の話を聞け!」


 アサガリは汗をだらだらと垂らしながら、ヒビカの言葉を待った。ヒビカはたっぷり間をあけた後、一枚の書類を取り出し、サインをした。


「アスマ・アサガリ、お前に第二級恩赦を与える」

 アサガリは「おお……」と泣き出した。

「あ、ありがとうっ! この恩は必ず……」


「せいぜい殺されないよう頑張って逃げる事だな」


 アサガリが涙のたまった眼で不思議そうにヒビカを見た。

「こ……殺されないように……だと?」


「フフフ」と笑ってヒビカは背もたれに体を預けて話し出した。

「今、ジェミルとタブカを追っているのが連合国だけではないのは知っているか? ジャオとメイだ。あいつらは、お前もレポガニスの街を攻撃した作戦に関わっていると考えているはずだぞ? お前が釈放されたと知れば、飛んでくるだろう」


 モス・キャッスルの一件から一年で完全に勢力を持ち直したジャオの組織は、ジェミルとタブカ、それにハンゾ・タクラを追っていた。理由は簡単。レポガニスの街を破壊した復讐だ。

 連合国だけでなく世界中の裏社会を牛耳っているジャオに狙われては、ジェミルとタブカはもう人間の社会でまともな生活はできていないだろう。


「わ、私はレポガニスの作戦には無関係だ! 本当だ、信じてくれ!」


「ジャオにそう言え。まあ、私なら信じてもらえない方に賭ける。さてさてどんな殺され方をするだろうな。連合国の処刑などとは比べ物にならない残虐な方法だろう。串刺し、火あぶり、皮剥ぎ……いずれの方法でも街の住人に晒し者にされる。遺骨も残らないだろう」

 ヒビカはニコニコ笑いながらアサガリを見ていた。


「ま、待ってくれ!!」

 アサガリはヒビカの腕をつかんで強く引っ張った。

「ご、護衛をつけてくれ! 第一級の恩赦で、護衛を……」

「カザマ政権の『百年軍改革』で、お前の元帥時代とは色々と変わってな。軍人である私が与えられるのは二級までだ。それに、一度恩赦を与えると変更できない。もう、サインをしてしまった。お前は現時点ですでに自由だ」


 ヒビカがそう言うと、アサガリはインク瓶を取り、ヒビカの顔にインクをふっかけた。

「どうだ……軍人侮辱罪だ」

「……それもカザマ政権の改革によってなくなった」

 ハンカチでインクを拭くヒビカ。アサガリは続いて、机のスタンドを取って床に叩きつけた。

「これで、器物損壊だ」

「私がな」


 アサガリは立ち上がったヒビカにすがりつきながら、情けない声を上げて泣き出した。

「頼む、捕まえてくれ! 私を捕まえてくれ!」


 ヒビカはマントを引っ張って泣き喚くアサガリを無視して扉を開けると、二人の兵士のうち一人に命じた。

「この男を基地からつまみ出せ」


「頼むーっ! ヒビカ、何でもする、頼む! 捕まえてくれーっ!!」

 アサガリが兵士に連れられて廊下の角を曲がると、ヒビカは残ったもう一人の兵士にこう耳打ちした。


「門まで行ったらあの情けない男を、公務執行妨害だとでも言って捕まえてやれ。命令書を渡す時に私の腕を引っ張ったからな」

「はっ……はい」

 兵士にも部屋で喚くアサガリの声が聞こえていたらしく、笑いをこらえながらそう言い、アサガリのあとを追っていった。


 執務室に入ったヒビカは、恩赦の命令書を握って熱の霊術で跡形もなく燃やし、なかったことにした。これは全て、たちの悪いなのだ。

 含み笑いをしながら、ヒビカは仕事に戻った。



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