第159話 第五区画 クロウ、イヨ 後編




 第五区画。クロウをコックピットに逃げさせたイヨは、白虎になったハンゾ・タクラと対峙していた。


「上手くゴロウの息子を逃がしたつもりか? もしコックピットに敵が潜んでいたらどうするつもりだ」

 そう言うハンゾに何も返さず、イヨは黙って刀を抜いて構える。


 それを見てハンゾは「フッ」と軽く笑った。

「動じないか。結果としては正解だが、小僧の護衛としては零点だ。……それに、おれの白銀鎧についても無知なようだな。刀など俺には……」


「本で読んだ事はあります。これに弱いとね」

 イヨは指で刀を軽く弾いた。刀は目に見えないほど小刻みに震えだし、小さく音を立て始めた。


「『微震びしん』か。ずいぶんあれこれ術を身に着けているな。確かにそれで突かれれば、俺の体にも突き刺さる」

 そう言ってハンゾは宙返りしながら、小柄な人型に戻った。


「殺しはしませんが……動けなくはなってもらいますよ!」

 イヨが走り始めると、ハンゾが腕を振った。その瞬間、まだ離れているはずのイヨは、見えない腕に殴られるように横に吹き飛んだ。


「換!」

 ハンゾが床に手を添えて唱えた。イヨが床に打ち付けられて転がると、バン! と独破雷が破裂した。イヨはまた宙に浮かされ、床に落下した後何度か繰り返し独破雷に飛ばされた。


 ゆっくり立ち上がったイヨは落とした刀の代わりに脇差を取り出し、また指で弾いた。そして床に手を添えて呪文を唱え、独破雷を解除した。


「独破雷の設置や対象書き換えなど、学べば誰にでもできるが……これはどうだ?」

 ハンゾがもう一度腕を振ると、またしてもイヨは見えない腕に殴られた。何とか脇差は放さずに立ち上がる。


「『十間掌』だ。本来は名前の通り、十間じゅっけんほど離れた場所を手で操作できる術だが、俺は一町いっちょう先まで手を伸ばせるぞ。まあ、離れれば離れるほど、力は伝わりづらくなるがな」(※十間……約5.5m 一町……約109m)


 徐々に距離を詰めてくるハンゾに、イヨは後ずさっていく。


「この術は才能が必要だ。世界で使えるのはギョウブと片目のキン、そして俺だけ。ちまちました術をばらまくお前のような子猫に、そんな才能はあるまい」


 イヨは脇差を握る両手のうち、左手を僅かに緩める。


「こんな未熟者が四賢人とはな。察するところ、ギョウブは死に、キンは先にそちらの方を継いだのか」


「ギョウブ様はご健在です。キン様は今でもアキツで最も優秀な大織眷属。ですが四賢人に選ばれたのは、私です!」


 左手の親指と薬指で輪っかを作り、息を吹きかけた。真っ黒い煙が噴き出し、あたりを覆い尽くす。


「『黒煙羅こくえんら』か……これはタマモの術だな。黒型だ」


「ここから一気に攻撃します。今武器を捨てれば、ここで終わりにしますよ?」

 漂ういくつもの飛び口から、イヨの声が響く。


「愚かだな。こんな陳腐な術で俺を追いつめたつもりか?」


 読誦鎖どくじゅさがハンゾの体に巻き付き、締め上げた。

「これも黒型。言ったはずだ。黒型の術は俺に通用しないと」



 ハンゾの言葉通り、読誦鎖は一瞬で焼き切れ、黒煙羅はあっという間にハンゾの体に吸い込まれた。すると、黒煙羅の消えた場所からハンゾの周りを取り囲む十人のイヨが姿を現した。


「ハハハハハハハ!!」

 大笑いして声を裏返すハンゾ。

「術を重ねて作った隙で影分身か。だがまさかたった十人が限界とは。器用貧乏とはお前の事だ」


 ハンゾは飛びかかって来るイヨを、十間掌で次々殴り潰していく。そこに、黒煙羅で上に逃れていた本物のイヨが飛び降りてきた。


「覚悟!!」





 ガクン、とモス・キャッスルが揺れた。分離が始まったらしい。クロウはコックピットのモニターの前で、緊張で手を震わせながら操作を完了させた。すぐに第五区画の降下が始まり、わずかに揺れる。


 これで自分たちの仕事は終わりだ。あとはハンゾ・タクラを倒してジョイス達の脱出艇が到着するのを待てばいい。

 イヨが心配になったクロウは、すぐに扉へと駆けだした。だが、クロウの到着を待たずに、扉は開いた。


 現れたのは、イヨ。だが背中を向けている上に、宙に浮いている。



「全く、初めから終わりまで俺の予想を何一つ越えられない、未熟な子猫だったな」



 クロウは腰が抜け、その場にへたりこんだ。イヨの体がすうっと横に逸れて、姿を見せたのは無傷のハンゾ・タクラだ。

 背中から生えた上半身だけの白虎が、イヨの喉元に食らいついてぶら下げている。イヨはぐったりと手を下げ、全く動かなかった。


「この子猫は、自分の先輩眷属のミミズクが誰に『身分け』を教わったのか知らなかったようだ。本で一生懸命お勉強した優等生、と言ったところか。四賢人として力不足にも程があるだろう」


 背中の白虎がずいっと抜け出し、床に降り立つと、イヨから口を離した。ゆっくりクロウに近づいてくる。


「何だ? まさかお前、恐怖で動けないのか? アキツ棟梁の跡取り息子ともあろう者が、みっともない姿だな」


 クロウは体をガクガク震わせながら、抵抗することもできずに白虎に頭を押さえつけられた。ハンゾはつまらなそうにため息をつく。


「もう少し力を振るえると思っていたのだがな……。つまらん。お前のような何の価値もないガキはさっさと死ね」


「ふざけるなぁーっ!」


 イヨだ。両腕でハンゾの腰にしがみつき、引き倒そうとしている。文字通り本当に、最後の力を振り絞って。


「くっ、まだ息があったのか!」

「許さないっ……!」

「邪魔だ!」

 ハンゾの十間掌がイヨの顔の左半分を激しく切りつけた。それでもイヨは放そうとしない。

「許さないっ……! 若様は……お優しくて、繊細で前向きで……一番棟梁にふさわしいお方なんです!」

 クロウを押さえていた白虎がイヨに飛びかかって体に喰らい付き、振り回しながら引き剥がそうと引っ張る。それでもイヨは放さない。

「ぐっ……! よくも……っ、よくも若様を、何の価値もないなんて……! 許さないっ! 絶っ……対に!」

 さらにハンゾに切り付けられ、血まみれの手がずるっと滑り始めた。それでも、イヨは放さなかった。


 自分の目の前で、今まさに殺されそうになっているイヨを見て、クロウの震えが止んだ。足で思い切り床を蹴り、ハンゾに向かって弾丸のように飛ぶ。


 角がわずかに生え出たクロウの頭がハンゾの腹に打ち当たり、部屋中の空気が圧縮されるような、ドン! という衝撃音が鳴り響いた。

「ゴブッ!」


 ハンゾの腹を撃ち抜いたクロウの頭突きの衝撃波は、後方のコックピットの壁を吹き飛ばし、さらに奥の部屋のガラスの壁も粉々に粉砕した。

 ハンゾが倒れると同時に、分かれていた白虎も苦しそうな吠え声を上げて倒れた。クロウはすぐに血まみれのイヨを抱き起こす。

「イヨ、しっかりして!」


「若様……やりまし……たね」

 ここまで言ってイヨは咳き込んだ。血が口から飛ぶ。クロウは涙を浮かべながら「ごめん、ごめん」と繰り返した。

「僕が……僕が勝手な事ばっかりしてたから」

「いえ……どの道……こうなったはずです。それは……間違いありません」

 また咳き込むイヨ。口からも喉からも体からも、血が止まらない。



 大きな揺れと衝撃音とともに、第五区画は大きく傾き始めた。クロウが頭突きで破った方から外を見ると、第二区画が大きく傾き、第五区画にぶつかって押し倒そうとしていた。

 第二区画、第五区画は傾き続け、どんどん角度がきつくなっていく。


「急いで……脱出を。私は……もう助かりません……置いて行ってください」

「嫌だ!」

「最期くらい……素直に言う事聞いてくださいよ」

 イヨも涙を浮かべている。クロウは「嫌だ!」と返して、イヨを背負った。さらに、ハンゾと白虎も背負い、走り出す。


「若様……お願いですから、置いて行ってください……もしあなたまで死んだら……」

「嫌だ!!」


 クロウが破った壁から外へ出た時、第五区画が一気に大きく傾いた。ハンゾと白虎はクロウの肩からずり落ち、外壁に打ち当たりながら海に落下していった。

「……これで軽くなった!」


 クロウは六十度近くまで傾いた第五区画の側面を一気に駆け上がり、角になっている場所を見つけて下駄を引っかけるように立つと、懐に入れていた照明弾を放った。


 最後に残った第五区画から出てくるクロウとイヨを待っていた脱出艇から、すぐに縄梯子が投げ落とされた。




「あぁっ! イヨさん!」

 運び込まれたイヨの姿を見たヤーニンが叫んだ。それを聞きつけたギョウブが走り寄る。

「イヨ! お主がここまでやられるとは一体何が……いや、それは後でよい!」

 ギョウブはイヨの体に両手をかざして気を送り始めた。

「治せるのですか?」と聞くヒビカにギョウブは「いや」と答えた。


「ワシは気しかやれん。一刻も早くアキツに行かねば」


「私は……もう助かりません」イヨがそう言うと、ジョイスが「コラッ!」と叱りつけた。


「本人がそんな事でどうするんだよ! さてはあんた、死にそうになった事一度もないでしょ。こういうのは気力が物を言うんだよ! 諦めんな!」


 それでもイヨは「だめです」と言いながら咳き込む。

「自分で分かるんです……血を流し過ぎました。……もう、手遅れです」

 クロウがイヨの手を取り、握りしめた。

「お願いだから諦めないで。お願いだから!」



 ギョウブが「ん?」と耳を動かした。

「窓を開けろ!」

「えっ?」とヤーニン。

「何でですか?」

「何でもよいから開けろ!」

「えっと、どの窓を」

「どれでもよい!」


 ヤーニンが一番近い窓を開けると、いきなりバタバタと羽音を立てて一羽のミミズクが飛び込んできた。タマモ唯一の、大織眷属だ。


「探しましたぞ!」


「ツキトさん! ……これを!」

 クロウは着物の上を脱いで、ツキトの足元に広げた。ツキトはすぐに嘴で身渡り印を刻む。


 黒く光る空間の裂け目からギュバッ、と音を立ててタマモが姿を現した。背中には、秋大寺のマンアン塔でマナの治療を受け持った小さな狸。医療に長けたギョウブの大織眷属、マメだ。

 マメはすぐにイヨに駆け寄った。


「こっ……こりゃあ……いかん」

 マメはイヨの首に手をかざし、念じ始めた。小さく黄色い光がまたたく。


「どうじゃマメ、塞げるか?」

 ギョウブがそう言うとマメは「はい」とうなずいた。

「ですが、問題は血でございます。何とかして血を……」

「私は、もう……だめです」


 タマモがイヨの頭をつかみ、耳に顔を近づけると、大声で怒鳴った。


「この底無しの大うつけの大たわけが!!」


 さらにパチンとイヨの量頬をはさむように叩いた。

「クロウ様はどうだったのじゃ」

 イヨは瞳を潤ませながらクロウを見て、言った。

「たくましく、ご立派でした。……本当に……。アキツは安泰です」


「それは必ずそなたの口からゴロウ様にお伝え申し上げろ。それまで死ぬのは許さん。そんなに死にたければ、伝えた後に一人で勝手に死ぬがよい!」

 イヨはタマモの言葉に涙を流しながら「はい」とつぶやいた。ゆっくり両手を首に近づけ、紐を探る。


「これじゃな?」

 タマモが紐を見つけ、イヨの懐からお手玉を引っ張り出した。マメがくんくんと鼻を動かす。

「それは……まさか」

 マメはお手玉を取ると、布を開いた。赤や茶色、緑や黄色の小さな粒がたくさん入っている。


「よしっ!」

 赤い粒を取り出し、タマモに手渡すマメ。お手玉も続けて渡し、自分の手はイヨの首元に戻した。

「タマモ様、中からそれと同じ赤い粒を取り出して、一粒ずつイヨに奥歯で噛ませてやってくだされ」

 タマモはイヨの口を無理やり開け、赤い粒を奥歯に挟むと、顎を押して噛み砕かせた。



「イヨ、お主こんな物をどこで手に入れたんじゃい。ワシでも数えるほどしか触った事のない薬ばかり……」

「助かるか?」とギョウブが聞くとマメは微妙に目を細めた。

「まだ分かりませぬ……本人の気力次第で……」


 ジョイスがイヨに顔を近づけた。

「聞いたかイヨ! あんたの気力次第で助かるんだよ! みんなあんたのそばにいるんだ。アキツに着くまで頑張りな!」



 ヒビカは一度イヨに近付いて「頑張れ」と声をかけながら頬に手を添えた後、窓から外を見た。第一区画は、未だに降下が始まっていない。



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