第158話 第二区画 ヒビカ 後編
第二区画。モス・キャッスルに走った揺れで、ギル=メハードは何が起こったか気付いていた。
「分離したのか?」
アサガリがヒビカを見下ろしながら言う。
「貴様等がやったのか?」
ヒビカが戸惑う二人を「フン」とせせら笑うと、アサガリの蹴りが顔面に飛んできた。
「いちいち癇に障る女だ。正直に言え」
ヒビカはにやりと笑って見せると、わざとゆっくり、じらしながら説明した。
「私達は、協力者からモス・キャッスルの情報を手に入れていたんだ。どうすればこの城を海に沈められるか、考えに考えて完璧な作戦を立てた。もう、放っておいてもこの区画は海に沈む。他の区画も、全てな」
ギル=メハードは剣をしまい、苛立ちを見せながら言った。
「脱出艇で第一区画へ向かわなければ。命令の上書きができるのはジェミル閣下だけだ。アサガリ、さっさとこの生意気な女を殺してしまえ」
ヒビカはすでに死を覚悟していた。霊術も使えず、剣を捨てられた上に右腕まで折られてしまっては、もう闘いようがない。
だが、アサガリはヒビカの服をぐいっと引っ張った。
狙いに気付いたヒビカは慌てて手を払いのけ、アサガリよりもわずかに早くポケットからメモを取り出し、熱の霊術で燃やそうと紙を握りしめる。
ところが、またしてもヒビカが抗えない強い力で拳をこじ開けられ、メモを奪われてしまった。
アサガリがそれを広げて読む。
「ハハハハ、やはり持っていたか」
「何だそれは」
ギル=メハードにアサガリが焦げかけのメモを広げて見せた。
「ここのコックピットで命令操作を入力するための暗証番号だ。これがあれば私達でも命令の上書きができるだろう?」
「フッ」とヒビカを見下ろし、あざ笑うギル=メハード。
「操作を終えたにもかかわらず処分せずに持っていたとはな。そこまで間抜けとは思わなかったぞ」
間抜けだったわけではない。分離がなされなければ、第一区画からジェミルに命令を上書きされる恐れがあった。
少なくとも分離が始まるまでは持っていなければならなかったのだ。暗証番号は十桁以上の文字、記号、数字がランダムに並んだもので、とても暗記などできない。
「アサガリ、お前は命令の上書きをして降下を止め、この間抜けな女を殺してから来い。俺は先に脱出艇で待っている」
そう言ってギル=メハードは部屋を出て行った。アサガリは言われた通りモニターへ歩いて行く。
ヒビカは左腕を使って何とか体を起こし、壁にもたれて座った。
「お前は何とも健気で、献身的な男だなアサガリ」
ヒビカの言葉でアサガリは歩みを止め、振り返った。ヒビカはさらに言葉を続けていく。
「ギル=メハードに言いつけられた通り、素直に自分で操作をするとは。ナンバーツーが聞いて呆れる」
アサガリはヒビカにゆっくり歩み寄ってくる。
「適当におだてられ、いい気になっている馬鹿なお前を、ジェミル達はせせら笑いながら手の平の上で転がし……」
アサガリの足がヒビカの顔面を蹴とばした。これでいい。
「グフッ……本当の事を言われた時が、一番腹が立つと言うからな。お前は心の中で気付きながらも、恐ろしくてジェミル達に逆らえな……」
またしても蹴りがヒビカの顔面に入った。
こうしてアサガリを挑発して時間稼ぎをすれば、脱出艇に乗ったジョイス達が乗り込んでくるかもしれない。
そうなればアサガリも、命令の上書きなどする余裕はなくなるはずだ。そんな僅かな可能性にかけていた。
「どこまでも生意気で身の程知らずな女め。こうやって蹴り飛ばされるだけの無力な自分を棚に上げてよくそんな口が……」
ヒビカは「ははは」とアサガリを馬鹿にするように笑って見せた。
「お前はそんな私にしか力を振るえないゴミクズだ。ナンバーツーになるためなどというのは嘘だろう? お前は、連合国軍人としてジェミルと闘うのが恐ろしくなり、尻尾を巻いて逃げる事すらできずに、媚びを売って懐に入り込んで震えながらひたすら奴隷のように働かされている、情けない弱虫の、世界一惨めなゴミクズだ! 目にする誰もがお前を心の中で嘲笑って……」
アサガリはヒビカの胸倉をつかんで持ち上げ、何度もしつこく腹を殴りつけた。息ができなくなり、倒れ込んだヒビカの言葉は途切れてしまった。アサガリはさらに、ヒビカの顔面を繰り返し蹴り飛ばしている。
もう意識がそう持ちそうにない。ここで人生は終わるだろう。
もしこの区画を今沈められなくても、他の区画が沈めば、ひとまず兵器として使えるようになるにはまた時間が必要になるはずだ。
その間にマナ達がきっと何とかしてくれる。
結局ギル=メハードにもアサガリにも勝てなかったが、最後まで闘って信念を貫いた。自分の人生に悔いはない。
ヒビカは、マナやジョウ達、ジョイス達、そしてコシチ、何よりロルガシュタットにいる愛する兄弟達に、心からの感謝の祈りを静かに捧げながら、体から力を抜いた。
その時だった。
ヒビカの手に、何かが触れた。空気しかないはずだが、確かに他の何かに触れている。この感触は、アキツで修行している時に触っていた、池に近い。
だが、もっと途方もなく大きく、けた外れに深く、計り知れない程重く、果てしなく多くの命が動いている。これは
海だ!
ドオオン! と目眩がするほど巨大な衝撃音が響き、第二区画が激しく揺れた。アサガリはバランスを崩し、倒れ込む。
「な……何だ?!」
体中に響く痛みに耐えながら上半身を起こし、何とか壁にもたれかかるヒビカ。アサガリに向けるその顔はまるで勝ち誇ったように笑っていた。
いや、間違いなく勝ち誇っているのだ。
「貴様か? 一体何をした!!」
怒鳴るアサガリの後ろから、海水が流れ込んでくる音が聴こえてくる。
「海を呼んだんだ。第二区画を貫いてやった。誰かさんがモタモタしてくれたおかげで、私が感じ取れる範囲に海が近付いたのさ。もうお前やギル=メハードなどが何をしようと、この区画は海に沈む」
「海を呼んだ……?」
意味が分からず立ち尽くしているアサガリの足元に、どんどん海水が流れ込んでくる。ヒビカはそれをぐっと持ち上げて、水の球を作った。
「お前は邪魔だ。寝ていろ」
ゴン! と水の球に殴られたアサガリは気絶してその場に倒れた。続いてギル=メハードが駆け込んでくる。
「おいアサガリ! 何をやって……」
ギル=メハードはヒビカに気付き「チッ」と舌打ちした。
「貴様、まだ生きていたのか」
ギル=メハードは足首ほどの高さまで流れ込んできている海水を眺めて言った。
「さてはこの区画にあらかじめ海水を持ち込んで仕掛けていたのだな? 目を離した隙に霊術を使ったか。だが、俺が来たからにはもう貴様の思うようにはならんぞ」
ギル=メハードは自分の隣に海水を渦巻かせ、直径一メートルを超える巨大な水のドリルを作り出した。高速で回転し始め、水しぶきが風に舞う。
「ラグハングルで俺が言った事は覚えているな? 女の貴様では、俺の霊術は超えられん。このドリルで貴様の体をバラバラにしてやる」
ヒビカは何のためらいもなく言った。
「やってみろ」
「死ね!」
次の瞬間、ドリルが猛スピードでヒビカを直撃した。ところが、海水のドリルはまるでヒビカを優しく撫でるように体の周りに波を作り、形を失った。
「な……何?!」
ヒビカはまた勝ち誇った笑みをギル=メハードに見せつけた。
「海は私を傷つけない。決してな」
ギル=メハードがいくつもの水の球を作り出し、ヒビカに投げつける。だが、やはり全てヒビカの体に当たると波となって流れ落ちてしまう。
「『力で精霊を従わせる』というのは、ヒヨっこがする勘違いだ。世界で最も偉大な霊術使いの蛇が、私に教えてくれた」
ヒビカがそう言うと、ドオン、ドオン、ドオン! と巨大な爆発音が続けて三回鳴り響いた。ヒビカの呼んだ水柱がまた第二区画を貫いたのだ。
第二区画はゆっくり傾き始めた。
「もうお前は一生、霊術で私に勝つことはできない。今、海はお前になど従わないだろう?」
ギル=メハードの周りをヒビカが作り出した数十個の水の球がゆっくり取り囲んでいく。
ギル=メハードがそれを動かそうと手をかざして必死に力を込めているが、今のヒビカからすればお笑いだ。自分の力など使わずとも、海がヒビカの思いをくんでくれる。
水の球は少し膨れて回転し始めた。
「空気を混ぜ込んだ。死ぬほど痛いだろうが、殺しはしないから安心しろ。海の死神と呼ばれた私の霊術を、思う存分味わえっ!!」
ヒビカは水の球をギル=メハードに四方八方から押し付けた。空気と混ざって激しく回転する水がギル=メハードを削りながら潰す。
「ぐあああっ! があああああああ! ああああああ!」
助けを求めるようなギル=メハードの叫び声。しばらく続いていたが、次第に小さくなり、消えた。
ヒビカは水の球を消し、気絶したギル=メハードとアサガリ、そして自分を、海水の波を使ってコックピットの天井まで何とか運び、ポケットにしまっていた照明弾を打ち上げた。
待っていたように脱出艇が近付いてきた。ジョイスが縄梯子を投げおろして叫ぶ。
「ヒビカさーん、捕まってくださーい!」
「すまない、右腕を折られたんだ。ギル=メハードだけ、先にお前が運んでくれ」
ジョイスが縄梯子を降りてくると、ギル=メハードを背負って登って行った。それを見届けてから、ヒビカはアサガリを縄梯子の足場に引っかけるように押し込むと、左腕で自分も縄梯子に捕まった。
その時、第二区画の一部が爆発し、大きく倒れ始めた。縄梯子が揺れ、アサガリの体が抜けてしまった。ヒビカは慌てて右手でアサガリの軍服をつかむ。
「ぐっ……ぐぅ……っっ!!」
ただでさえ折れた右腕に激痛が走る中、目を覚ましたアサガリが騒ぎ始めた。
「うわあああっ! た、助けてくれぇっ!」
「あ、暴れるなっ! このっ馬鹿者!!」
「ヒビカ、離すな、離さないでくれ!!」
右腕がひきちぎれるかと思うほどの痛みに必死に耐える中、ヒビカにこんな考えがよぎった。
こんな痛みに耐えてまで救うような価値が、はたしてこの男にあるのか?
一瞬の葛藤ののち、ヒビカは声を張り上げた。
「ジョイスっ! さっさと引き上げろおっ!!」
ヒビカは何とかアサガリとともに脱出艇に乗り込んだ。右腕を折っていると聞いていたジョイスとヤーニンがすぐに駆け寄る。
「ヒビカさん、右腕大丈夫?」
「応急処置しま……」
ところが、ヒビカは二人を押しのけて、ヒイヒイ言って怯えているアサガリを左手で殴り飛ばした。アサガリは後ろに倒れ込んでまた悲鳴を上げる。
「今のは、ラバロの分だ。そして次が……」
ヒビカはギル=メハードの剣を手に取り、アサガリに飛びかかった。
「私の分だ!!」
ジョイスがヒビカの前に立ちはだかって肩を持ち、怪力で床に押さえつけた。ヤーニンがすぐに剣を奪う。
「やめろっ! 放せっ! 放せーーっ!」
狂ったように喚くヒビカを、ジョイスはさらに力を込めて押さえた。
「ダメだって! あんたが剣使ったら殺しちゃうでしょ!」
「黙れ! こんな男、死のうがどうなろうが知った事か! この手で思い知らせてやる!」
「絶対にダメだ! あんたはあたしらの恩人なんだ。こんなヤツで手を汚させるわけにはいかない! ここでこの男を殺して『めでたしめでたし』なんて……あんたの信念は、そんなものじゃないだろ?!」
ヒビカはがくっと暴れるのを止めたかと思うと、声を絞るように泣き出した。
それを見たアサガリは恐怖に引きつりながらも、あろうことか笑い始めたのだ。
「は、ハハハハ……まさか、貴様がラバロとできていたとはな。とんでもないアバズレがいたものだ」
ざわっ、とジョイスが髪の毛を逆立てたかと思うと、振り向きながらアサガリを殴り飛ばした。アサガリは衝撃で飛び跳ねながら床や壁に激突し、気絶した。
「クズ男が。この一発で終わったなんて思うなよ」
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