モス・キャッスル

第145話 シンシアとパンクとジョイス




「パンク、ちょっといい?」

 パンサーのそばにいたパンクをそう言って呼んだのは、シンシアだった。

「えっ……な、何だよ?」

「こっちに」

 シンシアはパンクの手を取り、少し離れた塀の裏まで引っ張ってきた。辺りは夕焼けでオレンジ色に照らされている。


「ちょっと相談したいことが……」

「俺にぃ?!」

 驚きのあまり大声を上げるパンクに、シンシアが「しっ!」と人差し指を立てる。「悪い」とパンクが口を手で覆った。


「私、自分が不甲斐なくて」


「お前が不甲斐ない? 何でだよ」

 シンシアは塀に背中をあずけ、顔を少し伏せた。

「ラグハングルで、敵の前で油断して銃を下げたり、デメバード撃墜作戦でも無人機の操作してて、練習ではできてたことが本番できなかったり……」


「へぇ、そうだったのか。でもさぁ、お前の銃の腕前は誰より上だし、無人機の操作も、お前しかできなかったんだろ? 不甲斐なくなんかねぇじゃん」

 パンクの能天気な言葉にシンシアはわずかに眉をひそめた。


「もしモス・キャッスルで私が何かしくじって、ジョイスとヤーニンにもしもの事があったら……」

「あの怪力女は体も丈夫だし平気だろ。ヤーニンも、ジョイスがちゃんと守ってくれるって。お前が心配しなくたって」

「ああそう! ありがとうっ!」

 パンクの話の途中でシンシアは歩き出した。「もういいのかぁ?」と言うパンクに振り向きもせず、パンサーへと一直線に向かっていく。


『何かしくじったかな?』とパンクが頭を掻いていると「おい」と背中の方から声。振り返ると、建物の影からジョイスが現れた。

「えっ! お、お前いつから?!」

「最初から全部聞いてたよ、この馬鹿!」


 顔をしかめて近付いてくるジョイスに、パンクは「待て待て!」と手を振った。

「怪力女ってのは別にお前じゃ……いや、お前だけど、そういうわけじゃ……」

「そんな事はどうでもいい。ちょっと来な!」

 ジョイスはパンクの腕を引っつかんで、建物の方へ歩き出した。




                *




 ジョイスがパンクを連れてきたのは近くの建物の中にある台所だった。コンロに火をつけ、牛乳を鍋で温める。


「どっかに蜂蜜ないか探して」

 ジョイスにそう言われてパンクはあっちの棚を覗き、こっちの引き出しを開け、蜂蜜を探し出した。瓶をジョイスの手元に置くと、ジョイスは「ありがと」と一言。


「何作ってんだよ?」

「ハニーミルク。シンシアが何か不安な時は、いつもこれ作ってやってんの」

 ジョイスは蜂蜜の瓶を開け、たっぷり鍋に流し入れた。


「あ、おい! 勝手にそんなに使っていいのかぁ?」

「しーっ!」とパンクを黙らせ、ジョイスは鍋をかき混ぜる。


「シンシアはね、ほんの一年くらい前まで毎日みたいに泣いてたんだよ」

「えっ、嘘つけよォ!」

 いつもすました顔で冷静沈着なシンシアとは結びつかず、パンクは笑いながらジョイスの肩を叩いた。ジョイスは鍋を見つめたまま「本当だよ」と小さな声で言う。


「泣き虫だったよ。やれあんな怖い夢見ただの、やれ失敗したらどうしようだの。ちょっとしたことですぐ眠れなくなるから、あの子用にいつも蜂蜜と牛乳は切らさないようにしてた」


 ジョイスの様子でどうやら本当であるらしいことを理解し、パンクは「へぇ……」と驚きながらもくすりと笑った。

「あいつ、案外子供っぽいとこあんだなぁ」


 ジョイスも「ふふっ」と笑う。

「子供だよ。頭はいいし、銃も乗り物の操縦もできるけど、シンシアは一番子供。本人も心の底では分かってるんだけどね。ヤーニンも気を遣ったりしてるよ。あたしがこれ作ろうとすると、特に欲しくないのに『あー、私も飲みたーい』とか言って」

 ヤーニンの口調を真似し、それを見たパンクはまた笑う。


「意外な一面だな」

「まあね。あんたにだってあるでしょ?」

「うーん、まぁそうだなぁ……」

「何?」

「え、何って……」

「あんたの『意外な一面』だよ! あんたにだってあるだろ? 知られたくない意外な一面みたいなの。シンシアのを教えてやったんだから」


 パンクは頭を傾けて考えた後、少し頬を赤らめながら話し始めた。


「俺、兄貴が二人いてさぁ」

「そんなの別に意外でも何でも……」

「最後まで聞けって。子供の時兄貴の部屋でエロ本見つけたんだ。俺の人生初のエロ本との出会い。それを俺、小さい頃から取っておいててさぁ」


「うんうん」と鍋を見ながらも楽しそうに聞くジョイス。

「少年兵で軍隊に入った後も、寮に持ち込んでたんだけど、同じ部屋だったバンクに見つかっちまって」

「取り上げられた?」

「いや、俺が部屋に戻ったら、バンクが読んでた」

 ジョイスは笑いながらコンロの火を消した。



「あいつ顔真っ赤にして、何にも言わずに俺に投げてよこしたんだよ。で、俺は隠し場所変えたんだけど、どこに隠しても、俺が次見る時すこーしだけ移動してて……」

「それ、あんたじゃなくてバンクの意外な一面でしょ」

 鍋から水筒にゆっくり移し、きつくフタを閉めた。


「でさぁ、そのエロ本、どうなったか分かるか?」

「そんなの分からないよ。どうなったの?」

 ジョイスに聞かれると、パンクは自分の軍服の胸のあたりを指さした。


「はあ? 心の中に?」

「いや、この服の下に隠してあんだよ」

「今持ってんの?!」

 ジョイスは声を上げて大笑いした。


「お前、ちょっと読んでみるか?」

「読まないよ馬鹿! はい」

 ハニーミルクの入った水筒がパンクに差し出された。

「え、これシンシアのじゃねぇの?」

「そうだよ。あんたが渡せって言ってんの! 早く行きなって!」


 パンクは水筒を受け取って走り出した。それを「あ、ちょっと待って」とジョイスが止める。

「あんた、もしモス・キャッスルでバンクに会ったら、今度こそ負けんじゃないよ」


「え、ああ……任せとけ!」

 パンクはジョイスにグーサインを向け、また走りだした。



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