修行 ジョイス、シンシア、ヤーニン編

第121話 タマモの御殿にて




 一週間ほど遡り、イヨの就冠式の数日後。

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 タマモの御殿は広い荒れ地のど真ん中に建っていた。この周辺はどういうわけか、空は毎日、一面霞のようなもやがかかり、曇り日ほどではないにしろ、辺りはいつもどんよりと薄暗かった。


「タマモ様……あたしらの修行は……」

 恐る恐るジョイスが聞く。巻物を読んでいたタマモはため息をついて顔を上げた。


「早くそれを持ってまいれ」

 ジョイスは運んでいる途中の木製のコップに入った飲み物を慌ててタマモの机の端に置いた。それを取ろうとタマモは手を伸ばすが


「……届かぬ」


 切れ長の目でギロリとにらまれ、ジョイスはすぐにコップをタマモの手に差し出した。タマモは一口飲んでコップを置き、視線をまた巻物に戻す。

粉熟ふずく(※)と『自尊と勘違い』の二巻はどうした」(※お菓子)

「シンシアとヤーニンが運んでます」


 ジョイス達三人は、この御殿にやってきてからの数日間、こんな調子でタマモの身の回りの世話ばかりさせられていた。

 この御殿には眷属の妖達が何人もいるにも関わらず、タマモはなぜか「黒髪!」「金髪!」「赤毛!」と、ジョイス達ばかり呼びつけるのだった。


「お姉ちゃーん」

 と小さな声。部屋の扉からヤーニンが手でジョイスを呼んでいる。一体何かと急いでヤーニンの元へ行くと、扉の陰に十や二十ではきかない大量の巻物が山積みにされていた。


「なっ……この馬鹿! 自尊と何とかの二巻だけ持ってくればいいんだよ!」

「だってどれか分かんないんだもん! タマモ様が今読んでる一巻に一番近いのどれ?」

 ジョイスは巻物を手に取って見比べる。

「これか……いや、これの方が……ちょっと待てよこっちが……」


 ヤーニンと二人でゴソゴソとそんな作業をしていると、巻物のうち一つがふわりと浮きあがった。

 二人が呆然と見守る中、巻物はふわふわ宙を舞い、タマモの手にすっと収まった。

 タマモは眼光鋭くジョイスとヤーニンを見ている。

「やばっ、全部バレてるよ! ヤーニン、これ片づけときな!」


 ジョイスは急いでタマモに駆け寄った。

「あはは、すいません。ヤーニンが……」

粉熟ふずくはまだか」とタマモはまた目をギロリと光らせた。

「見てきます!」



 台所ではシンシアが粉熟ふずくを丸めていた。皿の上にはすでに十個ほど出来上がっている。

「シンシア! 出来てるなら早く持ってきなって!」


 シンシアは皿の横の鉢(ボウル)の中を見せた。

「あと三分の一くらいで全部終わる」

「そんなにたくさん作らなくていいっての! 出来た分だけ持ってくよ!」

 ジョイスは皿を持って大急ぎでタマモの元へと向かった。


「お待たせしました!」とジョイスが皿をタマモの机に置く。タマモは粉熟ふずくを取ろうと手を伸ばしたが、途中で頬をピクッと引き上げ、手を止めた。人差し指で数を数えていく。


「十三? この不吉な数字を……」

 またしてもタマモに睨まれ、ジョイスは慌てて一つ皿から取り、口に入れようかポケットに入れようか迷った末、そばにあった火鉢に放り込んだ。

 粉熟ふずくを一つ取って口に運んだタマモは、噛みながら目をつむり、眉間にしわを寄せた。

「……落花生の砕きが甘い。胡麻も多すぎる。あの金髪娘に伝えておけ」

「は、はい」


 お茶を飲んで読書に戻るタマモ。そのまましばらく黙って巻物を呼んでいるうちに、シンシアとヤーニンも戻ってきて、ジョイスの隣に立った。

 ジョイスの修行に関する質問はどこかに行ってしまったのだろうか。恐る恐るもう一度聞く。

「あの……修行は……」


 タマモはうんざりしたようなため息をついて巻物を巻くと、斜めになっていた体を起こした。


「そこの手鐘てがねを持ってまいれ」

 タマモが指さしたのは、部屋の隅にある戸棚の上に乗った、手のひらサイズの鐘だった。ジョイスはすぐにそれを取ってタマモに手渡す。


「ツキト」

 そう言ってタマモは鐘を振った。だが、音が全く鳴らない。

「コエン」

 また鐘を振る。やはり音は鳴らない。

「テンコ」

 もう一度。タマモは鐘を置いた。


 音が鳴らない鐘が気になり、ジョイスは立ったまま鐘を見ていた。それをタマモがにやりと笑う。


「これが気になるか? 名前を呼ばれたものにしか鐘の音が聴こえんようになっておる」

 ジョイス達が「へぇ~」と感心していると、呼ばれた三人の眷属たちがドタドタバタバタと入ってきた。



「ツキトにございます。お呼びで」とキビキビした声で言いながら床に着地したのは、灰色の体に黄色い目をした大きなミミズクの妖。


「コエン来ましたぁ!」と威勢のいい声で言ったのは、小さな腰巻だけつけてほとんど裸の、十四、五歳程度に見える黄色い髪をおっ立てた少年。


「テンコでーす」本を片手にそう言ったのは、やはり十四、五程の、釣り目が特徴的な少女だった。イヨが着ているものと同じ、動きやすそうな着物を着ている。



 ジョイス達三人に一人ずつ眷属をつけて修行させるのだろう……というジョイスの想像に反し、タマモはテンコに向けてこう言った。


「金髪と赤毛を連れて、修羅谷しゅらだに経由で秋大寺に行け。あの総住職の古狸ふるだぬきから『銀眼茶釜ぎんがんちゃがま』を借りてくるのじゃ」

「えっ?」と思わずジョイス。

「あたしは……?」


「金髪と赤毛だけじゃ。二度言わすな」


「えー、私お姉ちゃんと一緒がいいです」

 ヤーニンが考えなしに言い、ジョイスが「馬鹿っ!」とささやくのと同時に、タマモがくわっと口を裂いて怒鳴った。


「わらわに口答えをするかあっ!」


「すいませんっ」と姿勢を正して黙るヤーニン。

「フン。黒髪とコエンはここに残れ。そして、ツキト」

「はっ」

「そなたは金髪と赤毛、黒髪の両方を見張って記録するのじゃ」

「かしこまりました」

 ツキトの体からもう一つの頭が生え、そのまま、にゅうっと二人に分身した。


 テンコが「タマモ様ー」とぴょんぴょん飛び跳ねる。

「あたし、『八猫伝はちびょうでん』読んでる途中なんです。持って行ってもいいですか? いいですか?」

「勝手にせい」とタマモが言うが早いか、テンコは「やったー」と走って部屋から出て行った。シンシアとヤーニンもそれを追いかけ、ツキトも後ろから飛んでいく。

 部屋にはツキトのもう片方と、コエン、ジョイスが残った。


「さて、これで厄介払いできたな」

 タマモがそう言った。


「や、厄介払いって……」

 ジョイスの質問など、基本的にタマモはおかまいなし。「修行とはこうじゃ」とぶった切った。


「そこにおるわらわの眷属、コエンと百回勝負せよ。そして、一度でよいからコエンを負かして見せるのじゃ」


「えっ?」

 ジョイスは傍らのコエンをチラリと見た。十五歳程度に見えるその少年は、ジョイスより背が低く、裸の上半身や足はひょろりとしており、とても強そうには見えない。


「たった一度でいいんですか?」

「一度でよい。ただし、たった一度も負かせなければ、どうなるか……」

 タマモは手元に置かれていた折り鶴をふわりと投げた。折り鶴は宙をすうっと飛び、ジョイスの手の平に降りてきた。

「開いてみよ」


 折り鶴を開くと、そこには『ジョイス・テン』と書かれている。

「今さっき、そなたが書いたものじゃ」

「え……? いや、あたしは……」

 書いた覚えが全くない。しかし、目の前にある紙の文字は、明らかにジョイス自身の筆跡だった。


「わらわがそなたの記憶を消去した。だから覚えておらんのじゃ」


 ジョイスはゆっくり顔を上げ、タマモを見た。不自然に優し気な笑顔をこちらに向けている。




「もし、そなたがコエンをたった一度も負かすことができなければ、あの金髪と赤毛の記憶から、そなたの存在を根こそぎ消し、この星のどこかに別々に捨てる」



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