第116話 ヒビカの修行 後編
「相変わらず早起きだな。お前は」
ヒビカは池の前で胡坐をかき、つぶやいていた。
「そんなに欲張らないで他の者達にも残しておいてやれ。……ん、お前は三日ぶりだな。上流で何を……まさかそれは彼女か? ふふ、よかったな」
ヒビカの周りには誰もいない。静かな森の朝、ヒビカの声の他は、鳥の鳴き声と風の音だけ。そんな中、池の端でぽちゃん、と小さな水音がした。ヒビカは「またお前か」と優しく笑う。
「何回落ちれば気が済むんだ。ここでの私の修行はもうすぐ終わる。今日は自分で這い上がれ」
ヒビカの手に、水の中をもがく感触が伝わってくる。
「そうだ。もう少し」
池の端で小さくなり、消えた。
「よくやったな。もう落ちるなよ。……コシチ様」
ヒビカの後ろに、コシチが立っていた。立ち上がり、向かい合う。
「問いの答えが出ました」
「答えよ。そなた達一同の中で最も霊術の才能がある者は誰だ」
「マナです」
「ふむ。理由も述べよ。漠然としたものでもよい」
「彼女は霊獣から灯を分けてもらえるだけの、何かに共感する力や、生き物や自然と一体となるような感性を持っています。そして、相手との間に上下関係を持ちません。……優しく池の水を触り続けていて分かりました。霊術は、力で何かを従わせるのではなく、自身もその一部として生き物や自然と触れ合えなければならないと」
コシチは黙ってヒビカを見つめた。ヒビカは自分の答えに自信があるものの、コシチの眼光に緊張が走る。
「……よくつかんだな」
ヒビカはほっと胸をなでおろした。
「霊術の本質とは、精霊と一体となることだ。精霊とは、人格のある妖精のようなものではない。この世界に満ちる生命と、それに繋がり、育み、支えるエネルギーそのもの。自身の『力』によって成せる事など、たかが知れておる。多くの霊獣から灯を与えられているマナが、間違いなく最も霊術の才能がある」
「はい。……しかし、開花しないだろうと思います」
「理由は?」
コシチに問われたヒビカは、マナを思い出しながら笑顔で言った。
「本人にその気がありませんから」
「なるほどな」
「全く、もったいない限りです」
そう言うと、コシチが槍の柄でヒビカの頭をゴン! と音がするほど強く叩いた。
「この愚か者が。そこがマナとそなたの決定的な違いだ」
ヒビカは『教えてください』と顔で訴えた。
「もったいないなどというのはそなたの都合だ。一つの命として誰かと相対した時、相手の発揮され得ない才能などに意味はない。他人の能力をそなたのものさしで測りその中に押し込めるのはいい加減にやめるのだ」
普段なら、はい、とすぐに返事をするヒビカだが、言葉に強い熱を込めるコシチに吸い込まれるように、神経を集中させてただ聞いていた。
「初めて会った時から気になっておった。そなたの目は、気高き、誇り高き信念を抱きながら、挫かれ、諦め、意思を失った目だ。そなたのその誇り高き信念は、ものさしで測った能力と打算で作った陳腐なものではないだろう?」
はい、と返事をする必要はない。無言でコシチにゆだねることが、ヒビカの答えだ。
「よいか、覚えておけ。霊術使いであるなら……いや、霊術使いでなかったとしても、そなたは」
コシチは槍をドンと地面に刺した。
「打算や能力で生きるな。信念と意思で生きろ。そなたの、気高き誇り高き信念を今一度立て直せ。そして強い意思で再び燃え上がらせろ。今のそなたならば、もうこれから先、崩れることも、火が消えることもない。恐れるな」
「はい」
ヒビカが声を絞り出して小さくそう言うと、コシチは目を細めて笑った。
「ところで……そなた、さっき池に落ちた者が誰か、知っているのか?」
「いえ……。ただ、毎日のように水を飲みにここに来ては落ちるのです。大きさや、手足でもがくことを考えると、トカゲか……」
コシチは再び目を細めた。
「ミロという名のカナヘビだ」
ヒビカの口の端からも、笑みがこぼれた。
「名前があったのですね」
「うむ。この森に住むものは、獣も鳥も虫も魚も、みな名前を持っておる。呼ぶのは吾輩だけだがな」
歩み始めたコシチに、ヒビカも続いていく。
「まさか、コシチ様が名付けておられるのですか?」
「そうだ」
「……森の生き物は、食べたり食べられたりするのでは」
「うむ」とコシチはうなずく。
「毎日な。身が引き裂かれる思いだ。だが、死んだ者の名残はこの世界に満ちている。霊術を極めた吾輩にとっての生き物の死は、そなた達とは違う」
「私も、いつかそのようになるのでしょうか?」
「ならんだろう。吾輩がそうなったのは、霊術の修行を初めて百六十年ほど経った頃だったからな。心配せずともよい」
コシチはそう言って「クハハハ」と笑った。
*
コシチとヒビカは、再びアキツ西端の海岸にやってきた。砂浜に降りると、そこには海を眺めるギョウブとパンクの姿があった。
「ヒビカさぁん!」と嬉しそうに手を振るパンク。
「修行、上手くいってますか?」
「まあな。お前の方はどうだ」
「俺は何か、上手くいってんのかどうなのかも、よく分かんないんっすよねぇ」
パンクはそう言いつつも、どこかすがすがしい顔をしている。
コシチは砂浜を進みながら横目でギョウブを見た。
「ギョウブ、ここは吾輩の守護圏だぞ」
ギョウブは「フン」と笑う。
「見物しに来ただけじゃ。別に不都合あるまい」
コシチはヒビカを連れて波打ち際までやってくると、「分かるか?」と槍で海の彼方を指した。そこには、ヒビカもよく知っている船影があった。
「あれは……連合国海軍の大型揚陸艦『ティロ・ロブスター』です。それも、二隻も?!」
「うむ。そこから海の上を歩いてくる人間も、よく見よ」
ヒビカはポケットから望遠鏡を取り出した。波の上をこちらに歩いてくる人間が一人。こちらもよく知っている。
「ギル=メハード! 一体何をしに……」
ギョウブが後ろからヒビカに呼びかけた。
「パンクから聞いたぞ。お主を負かした水の霊術使いとは、あいつだとな」
「闘いたいか?」
そう言ったのはコシチ。ヒビカは一瞬迷った後、歩き出した。ところが、そのヒビカの頭をコシチは槍の柄で叩いた。
「そなたは
「なんじゃ、ヒビカには闘わせんのか?」
期待外れだな、という雰囲気のギョウブ。
「磨いている最中の
コシチはそう言うと海に飛び込み、弓矢のような速さでギル=メハードの元へと泳いで行った。ヒビカは望遠鏡を覗き、様子を見る。
波の上でコシチとギル=メハードは向かい合った。
「そなた、名を名乗れ。ここに何をしに来た」
「貴様、アキツの武人か? 棟梁のゴロウと話をさせろ」
ギル=メハードはそう言いながら剣を抜いた。コシチはそれに対し、槍を構えるでもなく残りの頭を出すでもなく、ただ波の上に立っているだけだ。
「話したいことがあるならまず吾輩に申してみよ」
「……フン、悪いが俺はゴロウ以外と話を交わす気はない。貴様と交わすとすれば、剣のみだ」
コシチがヒゲをピクンと動かした。それと全く同時に、ギル=メハードの遙か後方で、ドオン! と大きな爆発音が鳴り響いた。
巨大な水柱が一隻のティロ・ロブスターを貫き、真っ二つにへし折ったのだ。ティロ・ロブスターは炎を上げ、搭載されたエラスモやガンボールを海に投げ出しながら沈んでいく。
「吾輩はその剣が届く前に、そなたを海の藻屑とすることができる。ゴロウと話はさせん。去れ」
「……くっ……!」
ギル=メハードは剣を収め、戻っていった。
*
砂浜に戻ってきたコシチにヒビカが走りよった。
「コシチ様、今のは……」
ところが、ヒビカが喋る途中でコシチは槍をヒビカに向け、鋭い声で言った。
「よいか。吾輩の弟子となったからには、二度とあの傲慢な男に負けることは許さん。次は実戦の修行じゃ。これから一か月半で、そなたを人間で最強の霊術使いにしてやる。来い!」
コシチに従って砂浜を歩いて行こうとするヒビカを、ギョウブが「おい」と引き止めた。
「お主、コシチに随分と気に入られたな。あやつはワシより面倒見がよいが、厳しいぞ。心して取り組めよ」
「はい」
ヒビカはギョウブに頭を下げ、コシチの元へと走って行った。
「確かに、なかなか見どころのありそうな娘じゃ……。さてパンク! ワシらも修行の続きといくぞ!」
ギョウブの足元から湧き出た雲に、パンクが飛び乗った。
「よろしくお願いしまぁす!」
雲は二人を乗せ空へと飛びあがり、秋大寺へと向かって行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます