第84話 誘拐





 りん





 という音が、眠りそうになっていたマナを起こした。……いや、音は鳴っていないかもしれない。何かがこちらに向けて放たれた。そんな感じがしたのだ。

 気付かない間に垂れていた頭を上げると同時に、リズがマナの肩を取った。

「マナ」

 やっと聴こえるくらいの小さな声だ。リズはこちらを向いていない。視線の先は、泉の反対側、茂みの切れ目だ。マナもそちらに目を凝らす。


 一匹の鹿がいた。黄金の毛並みに飾り気のない角、引き締まった脚。顔はこちらに向き、まっすぐマナを見ていた。


「待ってろ。オイラが話してくる」

 いつの間にか起きていたコッパが、するりと地面に降り、泉の近くまで歩いて行った。泉越しに少しだけ話すと、すぐに戻ってきた。


「マナ、来いとさ。他のヤツはダメだって言ってる」

「私……と、コッパだけ?」

「不安か? 旅を始めた時はずっとそうだったろ」

「そう、だよね……」




 ジョウやリズ達に見守られながら、マナはコッパを肩に乗せて鹿の元まで歩いて行った。近付くと遠くで見るより大きく、グイッと頭を持ち上げないと鹿の顔を見られない。

「初めまして。私はマナ」


「ウレホンだ」


「えっ?」

「僕の名前はウレホン。角によって実りをもたらす者、というような意味らしい」


 鹿は口を動かしていない。声も出していない。心に直に伝わってくる。


「あなた……言葉が?」

「いや、分からない。君の持っているペンダントを通してやり取りしているだけだ」

 マナはポケットを探った。イッランのセナから貰ったペンダントを入れっぱなしにしていた。

「ねえコッパ、ウレホンの声、あなたにも聞こえる?」

 きょとんとするコッパ。

「声? いや……」


「セナは元気だったかい?」

 再びウレホンの声がマナに届く。どうやら完全に二人だけのやり取りのようだ。

「うん。私にこのペンダントと、ランプの灯をくれたの。イッランの人達を、今でも支えてくれてる」

「君はこのペンダントが何か、知っているかい?」

「知らない。動物と話せるようになるアーマーなの?」

「それはどちらかというと、僕の力だな。そのペンダントは、霊獣の持っているエネルギーを変換する装置だ。僕がそれを利用して、君に話しかけている」


「エネルギーを変換って……?」

「君の持っている、霊獣の力を蓄えるランプ。それは決まった力しか使えないだろう? 僕の灯なら、『植物を瞬時に育てる力』だ。でもそのペンダントを使えば、『』に還元できる」


「何をするために?」

「それは僕の聞きたいことさ。君の目的は何だ? 支配者になりたいのか? 巨万の富が欲しいのか? 栄光? 破壊? それとも……」


 マナはランプを前に抱いて言った。

「このランプをくれた、私の大切な人……もう死んでるの」


「そうか……。ラグハングルに行くんだね? そのペンダントは、本来あそこに行って使うものだ」

「そうなの?」

「ああ。あそこに、そのための古代の遺跡がある。僕の灯が欲しいのか?」


 自分から申し出てくれたウレホン。だがマナには、信念、プライドがある。


「私は、絆の証になる灯が欲しいだけ。……それ以外は、後回し。あなたと仲良しになりたいの」


 ウレホンが急に頭を下げ、角をマナのリュックに引っかけた。さらに、そのまま頭を持ち上げ、マナを振り回した。

「あぐっ、ぐっ、ぐえっ、げほっ!」


「うわわっ!」

 マナに必死にしがみついていたコッパが振り落とされた。ウレホンはチラリとコッパを見ると、マナを角に引っかけたまま、走り出した。

「お、おい! マナをどこに……!」


「マナさーーーん!」

 様子をうかがってやってきたジョウ達の疾走もむなしく、マナの悲鳴は森の奥へと消えて行ってしまった。



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