第75話 牧舎での夜




 マナの頼みをヒビカはあっさりと断った。

「悪いが、今私はここを離れられない。兄弟の中で金を稼げるのは私だけなんだ」

「ヒビカさん、ご兄弟何人いるんですか?」

「五人だ。兄一人に弟二人、妹二人」

 ヒビカより年上の兄がお金を稼げない、というのは、間違いなく何か事情があるはずだ。マナはそれ以上突っ込んで聞かなかった。


「ま、しょうがないって。心配すんなよマナ。あたしらが守ってやるからさ」

 ジョイスがそう言ってマナの肩に手を置いた。隣でシンシアとヤーニンもうなずく。

「いざとなったら命を捨てても盾になる」

「もちろん、マナさんだけじゃなくて、他のみんなも守るよ」

「ありがとう」とマナ。


 ヒビカがマナの手を取った。

「本当にすまないなマナ。私もお前の力にはなってやりたい。何か他にできることがあればしてやるが……」

 ヒビカはマナの手をがっしりと握り、視線も真っ直ぐ向けている。彼女の持っているこの力強いまなざしをオッカで初めて向けられた時は、心を見透かされている、威圧されているように感じて怖かった。

 だが今改めて見ると、こちらを真正面から受け止めてくれるような包容力も同時に感じられる。この人に力になってもらえたらどれだけ安心だろう。兄弟が羨ましい。


 リズが後ろから「ヒビカさん」と呼びかけた。


「あたし達、パンサー置いてきちゃって泊まるところがないんです。一晩だけどこか眠れる場所ありませんか?」


「もう夜だからな……。私の家に泊めてやりたいのはやまやまだが、幼い弟や妹がいる。この牧舎でよければ、寝かせてやる。私も今日はここで寝るつもりだ」

 そう言ってヒビカは置いていた熊手を手に取った。

「下に落ちている藁を牧舎の奥にかき集めろ。それに体をうずめて全員くっつけば、寒さをしのげる」




 全員でかき集めたものの結局藁が足りず、リズとヒビカの二人は牛と一緒にくっついて寝ることになった。

 リズとヒビカが二人だけになるのは、ミュノシャ以来二度目だ。リズは隣で牛に体をすりよせるヒビカに首を向けた。


「ヒビカさん、ミュノシャで何があったのか、聞いたらダメですか?」


 ヒビカは閉じていた目を開け、答えた。

「濡れ衣を着せられて軍隊をクビになった。帰ってきてからは、この牧場の手伝いをして、なんとか兄弟を養っている」

「濡れ衣ですか……きっと……悔しかったですよね?」

「まあな。だが、お陰でこの穏やかな村で、兄弟と一緒に暮らせるようになった。満足しているよ」

「本当ですか?」

「やめろ」

 ヒビカは寝返りを打ち、リズに背を向けた。




 コッパがガサッと音を立てて体を起こしたのは、マナが眠りに落ちようとしている時だった。マナが目を軽くこすって瞬きすると、コッパは首を上に伸ばしてじっとしている。これは遠くの音を聴いている時のポーズだ。

「何か聴こえるの?」


「ああ……鹿の鳴き声だ。でも普通の鹿じゃない。もっとエネルギーに満ち溢れた……これは、霊獣かもしれないぞ」


「え?」と驚くマナ。ここロルガシュタットは、地図に印がついていない。

「ここに霊獣がいるの? でも地図には……」

「地図はハウが作ったものだろ? 完全じゃない」

「そっか。じゃあ、明日から霊獣探しだね。それならヒビカさんとももう少し一緒にいられるし、嬉しいな」


 マナから少し離れた所から「マジっすか」とパンクの声が聞こえた。珍しく音量を抑えている。

「ここにも霊獣がいるんっすか。俺、セナとはあんまし話せなかったし、楽しみっすねぇ」


「うん、そうだね」

「あのぉ、マナさん、ジョイス寝てます?」

 マナはそっと右を向いた。隣のジョイスは口をぽかんと開けて、寝息を立てている。

「寝てるよ」


 パンクは「ふぅ」と安心したように息を吐くと、話し出した。

「俺、ジョイスに心底嫌われてんっすよねぇ。『軽い』とか『偽善者』とか『陰険』とか」

 マナは静かに笑った。

「そうみたいだね。私は、パンク好きだよ? たぶん、他のみんなもね」


「えっ、照れますねぇ。これから一緒に旅すんなら、ジョイスにももうちっと認めて欲しいなって思うんすけど……マナさん、レポガニスで俺がバンクにボコられたの覚えてます?」

「うん。覚えてるよ」

 あの光景はマナにもショックだった。顔や体格がそっくりの二人だが、圧倒的な実力差。パンクは手も足も出ず、あっという間に倒されてしまった。


「俺、何やってもダメな雑魚なんっすよ。陸軍で少尉になれたのも、バンクとコンビ組んでたからなんっすよねぇ。あいつは超優秀なんで」

 マナは相槌をうちながらパンクの話を聞いた。

「ジョイスにも言われたんっすよ。俺は口先だけのガキだって。超こたえました。何も言えねぇな、ホントその通りだなって。俺、存在意義ゼロの男だなぁって」


「ジョウはお前のこと好きだと思うぞ」

 そう言ったのはコッパだった。パンクは「へへっ」と恥ずかしそうに笑う。

「俺も、初めてできたまともな友達って感じだよ。何か、マナさん達と一緒に旅してて……あのマンモス、ノウマでしたっけ? あとセナとか見ると、不思議と生きててよかったなぁって思えるんっすよ」

「霊獣って、そういう存在なんだよ」


「前向きになれるって言うか、俺にできる事も世界には何かあんのかもなって。それが見つかるまで、マナさん達と一緒にいていいっすか? こんなお願い、今更かもしれないっすけど」

「うん、もちろん。できる事、見つかるといいね」


「見つかったら、ジョイスにも認めてもらえますかねぇ?」

「きっとね」

 ジョイスの体がもぞっと反転したため、二人とも話を止めた。マナがそっとジョイスの方を見ると、奥に寝るヤーニンがムニャムニャ言いながらジョイスを引っ張り、抱き着いている。


 体が動いたのはそのためだろうとマナは一安心して眠りについた。だが、実はマナに後ろ頭を向けているジョイスの目は、ぱっちりと開いていた。



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