第58話 湖の母、ノウマ




 テーブルマウンテンの上は、まるでやすりをかけたように間っ平らな上に、大理石のようにつるつるだった。空をこれだけ青く美しく反射できるのは、そのためだろう。


「すごいね。まるで空の上に立ってるみたい」

 マナはあたりを見渡した。テーブルマウンテンの地平線が続き、自分達の他には何も見えない。ザハもマナの隣で辺りを見ていた。


「いないな。確かマンモスは湖とここを往復しているんだったね」

「はい。海底で水草や藻を食べて、ここに戻ってくるそうです」

「しかし、どうやってだい? この山の反り返った側面など、マンモスは登れないだろう?」

「そうですよね……うーん」



「ひゃっほーう!」

 考える二人の横をジョイスがスライディングしながら通り過ぎた。地面はつるつるしているため、よく滑る。

「うわっ、すげぇな。俺も!」

 パンクも同じように滑り始めた。パンクの次にパンサーから降りたリズは、呆れたように「あーあ」と笑いながらこぼした。

「びしょ濡れになるだろうに。よく平気だね」


 三人がジョイスとパンクを見ていると、二人はボシャン、と音を立てて、突然消えた。

「えっ、何?!」

「きっと深くなってるんだ。行こう。足元あしもと気を付けな」

 リズが先頭を切って、追いついたジョウも含めて四人で、ジョイスとパンクの消えた場所へと向かう。

 ところが、マナ達がたどり着く前に、二人が消えたあたりの水面は泡が立ち、モコモコと揺れ始めた。


 大きな水音を立てて現れたのは、ジャゴにも負けないくらいの巨体を持った、ピンク色の毛並みが美しいマンモスだ。頭の上にはジョイスとパンクが乗っている。

 マンモスは、ジョイスとパンクを鼻でつかんで地面におろした。



「あーびっくりした。こんな深い穴があるとは思わなかったよ。……っていうか、でっかいマンモスだなー!」

 ジョイスが前髪をたくし上げながら、マンモスを見上げた。パンクも「すげえ」とこぼしながら見上げる。

「マンモスなんて初めて見んなぁ。これが霊獣か……」


 ザハは二人の隣で早くも涙を流していた。

「素晴らしい……なんという美しさだ。この他のどの動物とも似つかない毛並み……素晴らしい!!」



 コッパがマナの頭の上から「キュキュ」と話しかけた。

「ジョイス、パンク、無事かどうか心配してるぞ」


「え? ああ、助けてくれてサンキュー」

「ども」

 ジョイスはマンモスに手でグーサインを見せ、パンクは軽く会釈した。


「こいつ、ノウマって名前だって」

 コッパがそう言うと、マナは一歩マンモスに近づいた。


「初めまして。私の名前はマナ。あなたに会いたくてここまで来たの。二人を助けてくれてありがとう」

「どういたしましてってさ」


「ノウマ、あなたのピンク色の毛並み、とっても素敵。触ってもいい?」

 コッパが通訳するとノウマは自分から近付いてきた。マナの他にもジョウ、リズ、ザハがそっと毛並みに触る。


「思ったより硬いな」

「動物の毛は、普通こんなものだろ」

「内側には、もっと柔らかい毛が生えているはずだ」

 ジョウとリズ、ザハが触る手元に、コッパがぴょんと飛び移り、ノウマの顔の近くまで登っていった。

「マナ、自分専用の道を使って湖に連れてってくれるってよ」

「えっ、本当に? ありがとう!」

「道ってこの穴?」とジョウ。

「だったら、パンサーにオッカで使った潜水服があるから、それに着替えよう」




                *




 パンサーの傍らに、ジョイスとパンクが座っていた。マナ達四人がノウマに連れられて潜っている間、二人は留守番だ。潜水服は四つしかない。


「なぁジョイス」

「ん?」

「し……シンシアなんだけどさぁ」

「シンシアがどうした?」

「あ、あいつ……あまのじゃくとか、そういうとこあったりすんの?」

「はあ?」とジョイスは眉をひそめながら聞き返した。


「だ、だからさぁ、言ってる事とか態度とか、そのまま受け取るしか、ねぇのかなぁって」

「そうだね。『嫌』って言ったら嫌って事だし、『嫌い』って言ったら嫌いって事だよ」

「そっかぁ……」

「なんだよ、まさかあんたシンシアに気があんの?」

「い、いや……」

 パンクの顔がジワッと赤くなった。


「やめとけって。あたしらは犯罪者だ。そんなヤツとくっついても、ロクな事にならないから」

「な、なんだよその言い草。シンシアはお前の仲間だろ?」

 パンクが語気を強めると、ジョイスは冷めた目でパンクを見つめた。


「じゃあ何? レポガニスでボコボコにされた腰抜けのあんたが、まさか自分が犯罪者になる覚悟でもあるって言うわけ?」

「はぁ?! ああ、なってやるよ!」

 思わずそう返したパンクの頬を、ジョイスが拳で殴りつけた。パンクは衝撃でごろりと体ごと転がる。


「バカヤロ。シンシアに手出すな」




                *




 マナ達がしがみつくノウマは、ゆっくりとテーブルマウンテンの穴を下降していた。

「どんどん暗くなるね。水も冷たくなってきたなあ」

 マナはノウマの顔の脇にしがみついて、下を覗き込んでいた。真っ暗で何も見えない。

「もう少しで底につくってよ」

 ヘルメットの中で、コッパがマナの顔を押しのけながら言った。


「不思議な地形だな。そもそも湖の水面より遥かに高いテーブルマウンデンの上まで、穴に水が満たされているというのも。コッパ、聞いてみてくれないか」

 ザハに言われたことをコッパが通訳。

「分からないとさ。ノウマが生まれた時からこうなってるみたいだぞ」

「生まれながらにここに住んでいる霊獣ですら知らないのか。ならば世界のどこにも、知っている生き物はいないのだろうな。素晴らしい」




 穴の底からノウマは地面を歩き、湖の中まで出てきた。ここはもう水面からの光で明るい。大小さまざまな魚が泳ぎまわり、底には水草や藻。離れた所には、漁師のものとみられる網も見える。

 ジョウも手の上に手の平を添え、遠くの景色に目を凝らしていた。

「すげー。ずっとむこうまで見渡せる」

「ここは水の透明度も世界一だからな。多分、湖の上からでも、あたし達が見えるはずだ」

 リズがそう言うとザハが「なんと」と驚いた。

「それじゃあ、霊獣の存在を知っている人間が大勢いるということかい?」


「『湖の底にいるピンクの巨大魚』って話は、あたしも昔聞いた事あるよ。見ると幸せになれる、みたいなね。まさかマンモスがピンク色とは思ってなかったから、結びつかなかったけど」

「人々がそれと知らず見ていたのか。素晴らしい!」

「おい」とコッパが全員に呼びかけた。

「人から見えない所で上にあがろうってよ」




 ノウマは漁船から見えないテーブルマウンテンの裏まで泳いでいった。前脚で水を軽くかきながら後ろ足で湖の底を蹴って進むノウマは、マナ達が想像していたより速く、かなりしっかりしがみついていないと振り落とされそうだった。


 水面に上がり、ノウマが鼻から水を空中に噴き上げた。マナのヘルメットに水しぶきがポツポツと当たる。四人ともヘルメットを外した。ザハがすぐにコッパを呼んだ。

「コッパ、ノウマは雨を降らせるという話を聞いたが、まさかこの事かい?」

「いいや。本当に天気を操って雨を降らせる事ができるみたいだぞ。それに、水かさが上がり過ぎてる時に、空気を乾燥させたり、気温を上げたりして、蒸発を促したりしてるらしい。そうやって湖の中が荒れないよう気を付けてるんだと」

「なるほど。それが仕事なのか」


「魚が卵を産むときには、産卵場所に綺麗な水を流したり、人間が落としたゴミが湖を漂わないように、砂浜に打ち上げさせたりもしてるらしいぞ」

 マナが「すごい」と手を叩く前に、ザハが「素晴らしい!」と声を張り上げた。


「ノウマ! 君は湖の守り神、湖の母だ! 人間の一人として、ごみを捨てている者がいることはお詫びさせてくれ」


 コッパが伝えると、ノウマは鼻をザハの方へと伸ばしてきた。ザハも手を出し、握手する。マナは水で濡れたピンクの毛並みに、頬を寄せた。


「ここに住んでるみんなを守ってくれてるんだね。あなたと会えたこと、一生忘れない。湖のみんなとあなたの幸せを、これから先も願ってるからね」


 ノウマはまた鼻を伸ばし、マナの頭を優しく撫でてくれた。



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