第48話 ジャオ




 すっかり萎れ、はらはらと花びらを落とすルクスルーチェ。マナはその前で、ランプにぽたぽたと涙をこぼしていた。

「誰が……どうして、こんな酷いことを……」




「お教えしましょう」




 背後から声が聞こえ、マナもヒビカ達も驚いて振り返った。そこに立っていたのは、小柄な一人の人間。


「あなたがマナさんですか。ホホホ、随分感傷的なお方のようですね」

 その声は男にしては高く、女にしては低い。頭は完全に剥げており、顔には皺ひとつない。服には、豪勢な蛇と薔薇の刺繍が施されていた。


「ジャオ……!」

 シンシアがつぶやき、ヒビカが瞬時に剣を抜いた。ジャオは切れ長の目を瞳だけチラリと動かすと、小さなおちょぼ口を開いた。


「海の死神、海軍大将ヒビカ・メニスフィトさんですね。ご心配なく。攻撃するつもりはありませんよ。お話をしに来ただけです」


「……お前一人で来たのか?」

「ええ。兵士たちは家族を逃がすので手一杯ですからね」

「家族?」

「この街に住む者はみな私の愛する家族です。血のつながりや、肌の色、人種、民族、あらゆる壁を越えたね。一人でも多く救わねばなりません」


 ヤーニンがジャオを睨み付けた。

「私達を殺して街中引き回すつもりだったくせに」

「ホホホ」と声を裏返して笑うジャオ。


「家族にそんな酷いことはしませんよ。あなた達は家族ではないでしょう? 私が雇った赤の他人です。まあ、今となってはあなた達を殺すことになど興味はありません。……さて、マナさん」

 ジャオの細い目はマナに向いた。顔はうっすらと笑みを浮かべている。



「礼儀として、まずはあなたの疑問にお答えしましょう。私達はその薔薇を使ってレポガニスを守っていたのですよ。ここに来る間に、何かしらの獣に出会ったでしょう? 彼らを薔薇の幻術で操って、来る敵を攻撃させていたのです。この街の守護獣というわけですよ。まあ報告によると、連合国陸軍に全て殺されてしまったようですが」

 マナは思わず手で口を覆った。目からは新たに涙がこぼれる。


「さて、それでは私からの本題です。単純明解な話ですよ。連合国陸軍の上層部がそのランプを狙っている事はもうお気づきでしょう? 彼らには絶対にランプを渡さないでください。世界の終わりが来てしまう」


「ふざけるな」とヒビカ。

「連合国陸軍が世界を終わらせるとでも言うつもりか?」

「ホホホ。そのあたりはまあ、何とも言い難いですね。私もまだ向こうの考えを完全に把握しているわけではありませんから。スパイに裏切られて情報が入って来なくなってしまったのですよ」


 マナではなくヒビカが質問をしていく。

「自然に考えれば、陸軍がここに来たのはお前を捕らえるためのはずだ」

「表向きは。本当の目的はマナさんのランプです。この谷に来たのはまずかったですね。陸軍が部隊を送り込む口実が作れる上に、他の街との交流や人の行き来がほぼない孤立した街ですから、隠し事もし放題です」


「陸軍からはタブカ達が護衛に遣わされている。ランプを奪うチャンスは今までいくらでもあったはずだ」

「彼らは霊獣の居場所を知りません。当初はマナさんがランプに灯を集めるまで待つつもりだったのですよ。しかし、霊獣の居場所を知っている私が本気でランプを狙い始め、焦ってランプを奪おうとしているのです。無理やりに」


 ジャオはもう一度マナを見た。

「マナさん。私は一から体制を立て直さなければなりません。ランプは一旦諦めます。繰り返しますが、決して陸軍にランプを渡してはいけませんよ」

 ジャオが「それでは」と片手を上げると、外からすさまじい勢いで影スズメの群れが飛び込んできた。スズメ達は、ヒビカが斬りかかる間もなくジャオを包み、空の彼方へ飛んで行った。



「陸軍抜きでマナと話をするために、タブカ達三人をメイに足止めさせていたのだな。海軍人の私を排除しなかったも、意図的だろう。……これは、簡単に捕らえられる相手ではないな」

 そう言ってヒビカは一度剣をしまった。


「おいマナ、これからどうする?」

 コッパにそう言われ、マナは少し考えてから答えた。

「できるだけ早く谷を出よう。タブカ達には、少し話を聞かないと」


 シンシアが顎を振って左の薬箪笥を示した。

「そこにある隠し扉から出れば、砦から少し離れた場所に出られる」


 ヒビカとヤーニンが薬箪笥を倒しているところに、パンクとバンクがやってきた。

「マナさん、大丈夫っすかぁ?!」

「すいません、メイにはまたしても逃げられました」


「二人とも、無事でよかった! タブカとザハさん達は?」

「ザハさんとカンザさんはもうすぐ上ってきます。タブカさんは、司令官を探しに行きました」

 バンクはそう言って、マナの背中を押した。ヤーニンが扉を開いて「入って」と手を振っている。


 ジョイスを背負っているシンシアを見て、パンクは両手を出して言った。

「代わってやる」

「大丈夫」

「いいって。代わるよ」

「やめて」

 シンシアが肩を振って拒否し、パンクはすごすごと引き下がった。




 暗い通路を通りながら、マナはバンクに話しかけた。

「ねえバンク、さっきタブカは司令官を探しに行くって言ってたけど、自分で走り回って探してるの?」

「そうなんです。この作戦には、人間の軍人が見当たらなくて……ガンボールもエラスモも、遠隔操作で動かしているようです」


「『目撃者なしの作戦』か。実にきな臭いな」

 ヒビカがつぶやいた。


「……ヒビカ大将。どういうことですか? きな臭いとは」

 敵意むき出しのバンク。だがヒビカはバンクの言葉も視線も無視した。


 ザハがマナの肩を叩いて言った。

「マナ君、さっきの部屋にあった薔薇は、まさか霊獣の常紅薔薇かい?」

「そうです。名前は、ルクスルーチェ」

「枯れているように見えたんだが、まさか」

「死にました」

「初めから死んでいたのかい?」

「いえ、私達が会ったすぐ後に……」

「そうか」と言って少し間を置いた後、ザハは「素晴らしい」と言った。


「彼、いや、彼女かな? ルクスルーチェはその生の最期に、君のような愛と命の喜びを与えてくれる人間に出会えたのだからね。それは素晴らしいことだ。君は辛かっただろうが、ルクスルーチェの心は、死の間際に少し温かくなったに違いない」


「その通りだ、マナ」とコッパも言った。そしてザハに一言。

「ありがとな」




 通路を抜けて、街の一角に出た。街から大砲の音は消え、代わりにガンボールの転がる音やエラスモのキャタピラ音が響いていた。

「そこに見えてる階段をずっと登って行けば、谷の上に出られるよ」

 ヤーニンが指さした階段をマナとパンク、バンクが登り始めた時、街陰からエラスモが顔をのぞかせた。


「マナさん、さっさと登りましょ」

 そう言ってパンクがマナを引っ張った。後ろにはバンクも続き、階段を登っていく。ヒビカ達も階段に向かおうとした時


 エラスモが砲身をこちらに向け、大砲を放った。



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