第31話 逃走




 マナはダウトルートの内部を無我夢中で走っていた。恐ろしくて振り返ることもできない。

「マナ! マナ!」

 コッパが耳元で叫んでもなかなか気付かなかった。

「マナ! 聞こえないのか?! 止まれ!」

 マナはやっと立ち止まった。そして、違和感を覚える。

「あれ……?」

 自分の切らせている息以外、何も聞こえない。


「カンザとザハの二人からはぐれちまった。あの妙なウサギもいない」

 コッパがマナの肩から飛び降り、地面に耳を押し付ける。


「まだ戦闘は続いてるみたいだな。走って逃げてるやつもいる」

「ねえコッパ、さっき、嗅ぎ覚えのない人間の臭いがするって言ってたよね。その臭いはどうなったの?」

 コッパは頭を上げてスンスンと息を吸った。

「まずいな……どうも、さっきより近付いてるかもしれない」


 マナは胸に手を当てて気持ちを落ち着かせ、どうするか考えた。ここは山のように大きい大迷宮寺院ダウトルート。必死で走ってきたため、もう道を覚えていない。

「……音をたどって、戻ろう」

「えっ、戦闘してる所に戻るのか?!」

「闘ってる場所に突っ込むわけじゃないよ。でも、外に出る手がかりがあるうちに、何とかしないと」


 マナとコッパは音を頼りに歩き始めた。だが、壁や木の根、崩落による行き止まりがたくさんあり、真っすぐは進めない。

「ええと、こっちの方」

 コッパが指さすのはがれきの山だ。

「じゃあ、左から迂回しよう」

 左の道の先は、らせん階段。登ると、あさっての方向に道が伸びていた。

「ダメか……うーん」


 この道の両脇には鉄格子の小部屋がたくさん。牢屋か何かだろう。大昔の遺跡とはいえ、居心地が悪い。

「さっきの所まで戻ろう」

「待て!」

 コッパが慌ててマナの肩に登ってきた。

「そっちはもう無理だ」

「え、どうして?」

「あいつだ。黒いウサギ……集まってくる」

「分かった。じゃあ、この道を先に進もう」


 マナは小走りで道を進んだ。分かれ道でコッパを降ろし、音を聴かせて道を選ぶ。

「うーん、こっち」


「こっち……いや、こっち」


「えーと、んーー! こっち!」

 コッパの焦りが募っていくのが手に取るように分かる。


「えーとえーと、あー、あーーーー分かんねえ! 分かんねえよ!!」

「落ち着いて。ゆっくりでいいから……」

 コッパはマナに飛びついて登ってきた。


「無理だ、もう無理! あのウサギが来る! 声が近づいてくるんだ! 薄気味の悪い、生き物じゃないみたいな声が! 耳を付けると聞こえるんだ! 大きくなってるんだよ!!」


 喚きながら耳のあたりを掻きむしるコッパを、マナは胸に抱きしめた。

「分かった。無理させてごめん。大丈夫だよ、私が守るから」


「ランプを使うのか?」


 コッパはそう言いながら、マナの腕の中で透明になった。だが、心臓の鼓動はマナの胸に伝わってくる。

「……いざとなったらね」


 マナはまたひたすら走った。ゼエゼエと息をしながら、勘で道を選んで走っていると、少し広い部屋に出た。壁の中央に、いやに新しいクッションがある。



「上出来」



 人間の声が部屋に響き、マナはガタガタ震えているコッパを首元から服の中に入れた。ランプを両手でぐっと抱く。


「シンシアとヤーニンが、ここまで上手くやってくれるとはね。あの二人をいじめるのも楽しかったんだけど、それもお終いか。まあ、仕事が果たせるならそれが一番ではあるし」

 振り返ると後ろに、すらっとした背の高い女の姿があった。緑色の長い髪を三つ編みで一つに束ね、呪術に使うような杖を持っている。瞳は血のように真っ赤だ。


「これを見なさい」


 女が手の平をふわっと立てると、どこからともなくザワザワと大きな黒いウサギたちが出てきた。コッパがマナの胸元で縮こまりながら震える。


「あなたを生かしておく必要はないの。ランプは、あなたをなぶって殺してから頂く。泣き喚いてごらん」

 ザザッとウサギがかけてきた。マナはまた走り出す。


「あはははははははははは! そうそう! 死に物狂いであがいて逃げなさいな!!」


 部屋に反響する女の声に、背筋が凍った。あの大きなウサギが通れなそうな狭い通路に飛び込み、体をあちこちにぶつけながら進む。だが、追ってくるウサギの気配は途切れない。


「狭い場所に逃げても無駄。影ウサギはいくらでも小さく大きくなれるんだからね」

 女の声が不気味に響く。マナはこけつまろびつ、がれきの山を登っていく。



 平らな広い屋根の上に出てきたマナとコッパ。屋根の端に行くと、断崖絶壁だった。高さは五十メートル……いや、百メートルだろうか。もう、道がない。


「あーあ。もうこんなところに出ちゃって。もう少し怖がりながら逃げてほしかったのに。まあ、しょうがない」


 マナは屋根の縁にゆっくり、踵をかけた。


「連れて来なさい」

 ザッとウサギがとびかかって来る音が聞こえた瞬間、マナは、白い灯が大きくなっていくランプを隠しながら




 断崖絶壁を真っ逆さまに飛び降りた。



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