第22話 孤高の生物学者




「ここだ」

 ヒビカがメモに沿って連れて来てくれたのは、かなり高い階層のはずれにある、一軒の家だった。

「おいマナ、これ店じゃなくて誰かの家だぞ。大丈夫かよ」

 コッパの心配をよそに、マナはインターホンを押す。


「はい」

 中から出てきたのは、ちぢれた黒髪で色白、細身な男だった。古めかしい丸い眼鏡をかけ、手に本を持っている。マナの後ろにいる海軍大将のヒビカをみて、少し驚いた様子だ。


「こんにちは、突然すいません。貸し潜水艦のお店の人に紹介されて来たんですけど……」

「え? ……はあ……」

 何の事か分からない、といったぽかんとした顔。

「潜水艦をお持ちだと聞いたんですけど」

「ああ! 潜水艦を借りたいということか! そうかそうか。まあ、取りあえず入ってくれ」


 男はそう言うと、玄関に散乱している長靴や風変わりなブーツを足でガシガシと払いのけ、家の中へ案内した。

 廊下にも部屋にも、本や妙な水槽やガラスケースが積み重ねてある。低いテーブルとイスがある部屋で、男と向かい合わせに座った。


「さて、まずは理由を聞こうか」

「り、理由?」

「何のために使うかだよ。だって、私は貸し潜水艦屋じゃないんだからね。自分の潜水艦を何に使うのか、分からずに初対面の人には貸せないだろう?」

 家の中のジメジメした雰囲気とは対照的に、ハキハキと喋る人だ。言っている内容も、至極全う、ごもっとも。だが、霊獣の事を教えるのはどうしても気が引ける。その存在が広まって人が集まってくるようになったら、霊獣達の静かな暮らしを邪魔してしまう。


「えーと、深海に生き物を見に行きたいんです」

 すると、男はにこっと笑った。

「いいね。この辺りは生き物の種類が豊富だからね。何を見たいんだい? イワナリウツボ? ハリダコ? ヒラメラブカ? トキマチウニ?」

 どれも聞いた事がない生き物だ。

「いえ、リュウグウノツカイです」

「えっ?」

 男は急に眉をひそめた。

「誰に何を聞いて来たんだい?」

「え……? え、えーっと……知り合いに、生き物に詳しい人がいて」


 ガタン! と音を立てて男は立ち上がった。後ろの本棚に梯子をかけて、一番上の段にある一冊の本を取り出した。イスをまたいでマナにグイッと近付き、開いて見せる。


「これかい?」

 そこには、リュウグウノツカイの絵が描かれていた。そして短い文章で説明。それによると海流を……明らかにこれは霊獣だ。知っているなら、仕方ない。

「はい。これです」

「貸そう!!」

 男は急に大きな声を出した。マナはびっくりして肩をすくめた。透明になっているコッパも「あひゃぇっ!」と小さく驚いた。


「私はこのリュウグウノツカイをずっと探していたんだ。彼がどこにいるのか知っているのなら、喜んで潜水艦を貸そう。貸し賃はいらない。その代わり、私も同行させてくれ!」


 マナは一瞬戸惑ったあと、そっと聞いた。

「あ、ありがとうございます。えっと……あなたは、何をしている方なんですか?」


「ああ、申し遅れたね。私の名前はザハ。生物学者だよ。専門は水生生物の生態だ。このリュウグウノツカイはもう十五年も探し続けていてね。よろしく頼むよ」

 ザハはマナの手を取ると、ブンブン振って握手をした。




              *




「ラアァッ!」


 酒瓶が壁に打ち当たり割れる。もう何本目か分からない。

「ラァッ! オラアッ! ア゛ア゛アアアッ!」

 壁にひたすら瓶を投げつけるラバロを下っ端がたしなめる。

「ラバロさん、いつまでもこんな事してても仕方ないっすよ。相手は海軍大将だし、どうしようもありやせんって」

 ラバロは息を切らせながら手下を睨み付けると、拳を一発喰らわせた。

「うるっせぇんだよ! テメエは黙ってろ!!」


「どうした。何を騒いでいるんだ」


 聞き覚えのある声が響き、ドアの方を見る。

「顔もあざだらけだな。お前がこんな目に合うとは。いったい誰にやられた」

 ここの馴染み客の一人。海軍大将アサガリだ。ニヤニヤ笑っている。


「アサガリ。テメエ、何しに俺の部屋に来た。店なら適当に選んで入れ」


「なに、通りかかったら騒がしかったから覗いたまでだ。何だか面白そうなことになっているじゃないか。実は私も色々あって、今かなりムシャクシャしていてね。お前をこんな目に合わせた相手なら、そいつに私も一緒に八つ当たりしてやることもできるぞ?」

「無理だな。相手はテメエと同じ海軍大将だからよ」


「なに? ……ひょっとして、若い女の大将か」

「分かるのか?」

「当然だ。名前はヒビカ・メニスフィトだろう?」

「知らねえ」

 アサガリは顎をさすりながら「ふむ……」と少し考え込んだ。


「実はな、私もそいつには少し痛い目を見せてやりたいのだ」

 ラバロはパッと顔を上げた。怪訝な顔でアサガリを見つめる。

「驚きか? そうだろうな。そいつは、小娘の分際でこの私を侮辱したのさ。だが私は立場上、滅多なことはできない」

 黙って次の言葉を待つラバロ。アサガリは得意げに、顎をさすっていた手をポケットへつっこんだ。


「私が、お前に力を与えてやろう。その力でヒビカ大将を煮るなり焼くなりするがいい。お前が罪に問われたら、私が守ってやろう」

「……随分気前のいい話だな。見返りは何だ?」

「見返りは要らんさ。まあ、しいて言うなら、ヒビカを殺さず徹底的に痛めつける、という事ぐらいだな」

「よし……乗った」

 ラバロの返事を聞いて、アサガリは「着いてこい」と歩き出した。



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