第3話

 漆黒に染まった世界はまるで見ることを拒絶しているかのよう。

 砦を含め、光源などというものは何一つとして存在しなかった。

 天気の問題ではない、空に浮かぶ雲があろうと無かろうと、輝くものは何一つとして見えなくなっているのだ。

 悪質な大気汚染、それが原因だとメリアは言っていた。


 けれども彼にもこの世界にも、汚れを払う力は何処にも無い。願うならば一度見てみたいものだが、まずは生き延びることが先決であり、それ以外に回す力など個人にはあるはずもないのである。


「これまたひどいな」


 砦の唯一地上にはみ出ている部分、煙突のような場所から手探りでひょっこりと上半身を出すと、リーフは無に等しき大地と空を眺める。

 まるで抱きしめ合っているのか、夜に地平線はない。いや、自分の周囲全体が一つに溶け込んでいるかのようにすら感じられる。

 このようなところではすでに目は見えていないのと同じだ。閉じても同じ光景以下視ることが出来ないのだから。


「見張りなんてもの、所詮意味ないよな」


 独り言をぼそりと呟く。

 その声だけは風に乗り、吹く方向へと過ぎ去っていく。

 代わりに訪れるのは死臭というしょうもないものだが、慣れてしまったのか、壊れてしまったのか嫌な臭いではない。


「はあ……」


 目を閉じてため息をつく。

 しかし見張りすることを辞めたわけでも、眠たくなって目を閉じたわけでもない。

 視覚が通じなければ聴覚で敵が来たかどうかを聞き分けるしかないのだ。ならば視覚の情報は非常に邪魔な存在となる、それだけのことだ。

 あいにく、今日も聞こえるのは真下からののたうち回る程度の音であり、敵の気配というのは感じられない。

 そもそも周囲一帯は倒しきったはずなので、敵が近くにいるわけでもないのだ。


 物を首筋に立てかけながら、リーフは少し楽な体勢になり、体を休める。けれども意識と気力は保ったままで、決して眠りはしない。

 ガサリと下から音がする。

 その様子からリーフが今いる場所に向かってきているようだ。


(またあいつか)


 物音が周囲からしないと言えど、故意に立てられる音は迷惑だ。

 その音は少しずつ大きくなり、やがて真下まで来たところで閉じた。

 ひょこりと、リーフの真横に顔が現れる。

 暗くて誰かは分からないが、さすがにここまで近いと輪郭程度ははっきりと分かる。


「よっと、元気してる?」

「元気なのはお前だけだ」


 相手するのが馬鹿馬鹿しいとでも言うように、淡々と告げる。

 お前とは違って俺達は外で動き回っているのだと。


「冷たいなあ……暗いね、ここ」

「毎回聞いてるぞ、それ」


 相手にしたくないオーラを出してみるも、暗闇ではやはり分からないのか、彼女は一切おどけた態度を見せない。


「仕方ないじゃん、感想なんだし。口から出ちゃうものは止められないでしょ?」

「止めろ。うるさい。汚い」

「ちょっ、汚いはないでしょ! 確かに言い方は悪かったけど」

「お前は少し黙るということを知らないのか?」


 ため息越しに言葉を吐くと、仄かに温かい息が自分の手首にかかる。


「知らないもん」

「知れ」

「やだ」

「殴るぞ」

「暴力反対」

「うざ」

「ひっど。私こんなにも心配してあげてるのに」


 ああ言えば、こう言い返してくる。

 リーフにとってはもっとも苦手とする人間の部類だが、切り離せないのは彼女が信頼の置ける人間であるから故だろう。


「はあ、一応俺は見張りの最中なんだが」

「でも一度も見張り最中に来たことないでしょ?」

「それでも万事に備えるべきだ。その油断の隙がいつ死を迎えるのかも分かったことじゃない」

「そりゃそうだけどさ……」

「それにお前と話をするくらいなら寝た方がずいぶんと有効的に時間を使える」

「うわー、最低」


 自分はただ、本心を言っているだけに過ぎないのだが、どうにもこいつには冗談交じりのお話にしか聞こえていないようだ。

 顔も見えないのであれば表現でも伝わらないので余計に質が悪い。

 早く朝よ来いとしか祈る以外対処法はないのであろう。


「じゃあさ、少しためになる話をしてあげようか」

「内容による」

「つれないなあ。まあでも聞きなよ」

「……」


 無言を承諾と見たか、勝手に話し始める。


「私達が戦っている敵、沸くように大量にやってきているけど、どんな症状かもちろん知っているよね?」


 知らないとは言えない。

 世界最悪の出来事が起きてから、その症状はずっと聞き続けてきたからだ。


「不死になり、そして自我を失う」

「じゃあ、不死の相手なのに殺せるのは?」

「お前なめてるのか?」

「良いから答えなよ」


 遊び心か、真面目か、いまいち分かりづらい声で攻め立ててくる。

 リーフはその表情を伺えないせいか舌打ちをかますも、淡々と答えた。


「あれは不死にするだけの魔術だからだ。当然魔術が壊れれば不死なんてものはなかったことになる。おまけに傷をカバーするような再生能力があるわけじゃない、戦闘で死ねばそれまでの長生きの魔術だからだ」

「正解」



 少し前の話をしよう。

 それはおよそ数年前に遡る。

 そこにはたくさんの人がおり、様々な文化を日々発達させながら過ごしていた。

 科学の技術も発展し、その進歩はすさまじいものだった。


 そんな中、科学の行き着いた先で見つかったのが『魔術』なのである。

 魔術は科学的な理論のみで説明可能な事象変化であり、起こすのに物理的理論や一般的概論は存在しない。


 分かりやすい例で挙げるなら、科学は『手に持った特定固体金属A・Bを擦り合わせると、摩擦が起きて火花が出る』、対して魔術は『可能性金属を擦ると火花が出る』といった感じだ。

 言わば、空想の理論上の話を実現させる究極の科学なのである。


 そしてその魔術の研究の末、発表されたのが人の永遠の憧れとも言われた不老不死のうち、不死に関する事柄であった。

 だが、初期の不死の魔術はまだ未完成であり、人に使えば脳が使役できる容量を遙かに超えてしまい、自我が壊れてしまうという特性を持っていた。

 もちろん研究室止まりで終われば何も問題は無かった。

 けれどもあろうことに、未完成の不死の魔術が近くにあったウイルスに遺伝子的に付着してしまい、拡散し始めてしまったのだ。


 そこからはもはや地獄の始まりと言っていい。

 ウイルスは近くにいた研究員から乗っ取っていき、次々と魔を伸ばしては住民を巻き込み、町、市、国へと浸食し始めた。

 対して各国は急遽合同研究グループを作り、対抗魔術や対応処置などの研究が開始されたのだが、もはや浸食を止められるほどの力は無かった。

 まるごと犯される国は日を重ねるごとに増え、世界を軽く蹂躙していく。


 そして不死の魔術にかからない薬が開発されたときには、すでにほぼ全ての国が全滅していたのである。

 たった一年。それだけで築き上げられた人の文化は消え去っていたのである。



 メリアは肩を寄せてきながら、話を続ける。


「じゃあ、なんで自我の壊れたガラクタの人間達がこっちに向かっているんだろうね」

「ちっ」


 いい加減答えるのが面倒になってきたので、手っ取り早いやり方で返す。


「ああ、今舌打ちしたでしょ!」

「した」

「もう、話はこれからなんだから」


 確かに奇妙な話である。ウイルスに乗っ取られた、悪く言ってしまえば劣化版のゾンビみたいな人々が、どうして自分たちのところに向かってきているのか。

 自我があるなら別だが、無意識に寄ってくるとしたらおぞましいどころではない。


「……正解はね、生物としての本能だからだよ」

「…………」

「自我がなくなっても人から本能が無くなることはない。それは食欲や性欲、睡眠欲に限らず、生きるために必要な要求の全て。つまりはここに奴らの求める何かがあって、その要求を満たすためにつられてきているんだよ」

「夜に襲ってこないのもそのせいか?」

「そうだよ」


 軽いテンポで質問を切り返す。

 どうやって気がついたのかは知らないが、もしそうであるならこれはとても有益な情報だ。寝ているかどうか確かめてみるのも一興になるかもしれない。


「じゃあ、その求めるものって何だ?」

「それが分かればとっくにみんなに話しているんだけどね。けど、はっきりしないうちは惑わせるだけだからまだ言ってないの。二人だけの秘密だね!」


 公開すれば二人だけの秘密になんてならないだろうに。

 と、口にすることはしないが、さすが自分が信頼しているだけのことはあると心の中で褒めるのだった。


「どう、私すごいでしょ?」

「調子に乗るな。けど、少し見直した」

「やった。じゃあ、ここから生き延びて脱出できたら一緒になってくれる?」


 それは告白だったのだろうか。自身でも気がついていない当たり、軽率な発言であると思うが、少しだけ引っかかった。

 けれど、一貫してリーフの志が変わるわけがない。


「すまん、俺はお前とは……」


 生きていけるかは分からない。と言おうとして途中から言葉が紡げなかった。

 ここに来て舌が回らなくなるとは失態だが、彼女なら分かってくれているだろう。

 表情が伺えないので何とも言えないが。


「そ、そっか、突然変なこと言ってごめんね。私、もう寝るから」

「ああ、明日も頼む」

「う、うん。お休み」

「ああ」


 ひょこりと、暗い影の中からうごめく影が一つ消えた。

 たったった、と素早く降りていく音だけが余韻に残る。

 リーフは一人、風にさらされながら任務の続きを行うのだった。

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