焔ノ穂先


 一番合戦は頭の中に、ずきずきと痛みをき散らす腫瘍でも出来たみたいに、左手で顔を覆っていた。

 手の平の裏に、左目が来るよう置かれた先に伸びる五本の指は、それが自分の顔だというのを、本当に分かっているのかと問いたくなるぐらいに爪を突き立てて、今にもその皮を、掻き壊しそうになっていた。

 左手に陰る右目には、毒のように赤い怒りが、ぎらぎらと光る。


 気の触れた獣を、見ている気分だった。

 それは醜い、姿だった。


 憎悪に歪み、悲しみに苦しむ、人のようで人でない、でも人のような、怪物が、今にもぐずぐずに焼けただれ、消えてしまいそうになっていた。


「もし割り切れたら、どれだけ楽か……! 人でも百鬼でも、どっちでもいい。もしどちらかだけを選んで生きれたら、どれだけ楽なんだろう……? ――なあ赤嶺、お前には分るのか……!? お前になら、答えを出せるのか……!? どうすればよかったんだよ私は……! 分からないなりに、ずっと必死で……! そもそも、何で……! 何もしてないじゃないか……! ――何で私が、殺されなきゃならなかったんだよ!!?」


 その咆哮に圧倒されるように、あたしの身体が吹き飛ばされる。

 一番合戦の言葉に気を取られていたのも大いにあるが、受け身を取り損ね、無造作に浜へ叩き付けられた。

 鈍い衝撃が右半身から身を貫き、息が止まる。


 そのほんの一瞬で、五〇メートルは離れた一番合戦が、すぐに目前に迫ると焚虎を振り上げる。

 海を斬り取ったあの力に、恐怖が働いたのだろうか。あたしは自分でも驚く程の反射神経で浜を転がり、脳天目掛け落ちてくる切っ先を、一番合戦の右手へ潜るようになした。


 気味が悪い程ぴったりと、あたしが躱した瞬間に一番合戦は動きを止めると、焚虎を左に持ち替える。

 同時に右へ持ち替えた焔ノ穂先から放ったあたしの薙ぎを、左手に焚虎を渡した右手、素手そのままで掴んで受け止めた・・・・・・・・・・・・・・・

 一番合戦の右手は焔ノ穂先に触れて、あっと言う間に燃え盛る。


「――馬鹿!? 何考え」


 すぐに目の前の景色は飛んでって、またどこかに叩き付けられた。

 走る激痛に、目の前が真っ白になって、身を縮める。

 また浜だ。感触で分かる。

 肺から空気が押し出され、上手く息が出来ない。

 肩だ。左肩。

 着地の姿勢が最悪だった。

 左半身から打ち付けたものだから、爆発したように左肩が痛む。


「は……あっ……!?」


 また同じぐらいの距離まで、投げ飛ばされたのだろうか。

 最初に吹き飛ばされた時はもう速ぎて、何をされたのかも分からなかったけれど。

 ああ、どれだけ飛ばされたのかも、もう分からないわね。

 もう目の前には、一番合戦が立っていたから。


「…………」

「諦めろ」


 ……まだ何も言ってないじゃない。

 荒い呼吸と、滝のような汗の中、冷ややかな目を投げてくる一番合戦を睨み上げる。


 その呆れ果てた目は、あたしの左手を一瞥した。

 安全装置も無しに突然、ジェットコースターにぶち込まれたかと思うと振り回されたような目に遭ったくせに、しっかり剣を握り締めているその様を。

 そのしぶとさに言葉も出ないのか、もう溜め息もつかなかった。


「……お前はよくやったよ」


 一番合戦は、冷め切った声で言う。


「炎刀型で、赤猫に挑むなど。大したものだよ。本当に。そうして最後まで、剣を離さず戦って。お前は正真正銘の炎刀使いで、本物の常時帯刀者だ。お前の勝ちだよ赤嶺。お前の勝ちだ。そもそも私は百鬼なんだから、鬼討を名乗る事すら許されない。人間のお前の一人勝ちで、当然だよ。だからもう、帰れ」

「…………」


 あたしはつい、笑ってしまう。

 なんて絶望的な様なのかしら。

 剣を握ってる腕はまともに動かせないし、右手は左肩を押さえるのに必死で、身体はぶっ倒れたまんまだし。


 ……あんた、そんな事したら、あと残るわよ? 幾ら火傷に慣れてるからって、素手で炎刀えんとうを掴むなんて。


 真っ赤になってる、一番合戦の右手を見る。

 ここからじゃ詳しい状態は、分からなかった。


「……燃え盛る炎が虎の咆哮のようだから、焚虎だったっけ」


 辟易へきえきしたのだろう。他の案なんてもう浮かびはしないのに、この期に及んでまだれ言を吐いて時間を稼ぎ、何か手は無いだろうかと足掻くあたしに、一番合戦は、少し間を置いて応えた。


「ああ」

「何であたしの焔ノ穂先は……。植物から名を取られたか知ってる……?」

「いや」


 一番合戦は目を伏せる。


 もう一太刀打ち込むべきか、悩んでいるのだろう。しつこいあたしを黙らせる為に。


「多分、イメージは稲なのよ……。植物なら、何でもいいんだとは思うけどね……。当たり前みたいに大地から養分を吸って、ブクブク肥えていくその様が、相応しいって……」

「赤嶺」


 一番合戦は、目を伏せたまま柄を握り直す。指を動かす度に、滲んだ血が玉になって、焦らすように白い指の間を這って行く。


「いい加減にしろ。時間が無い。剣を収める気が無いのなら、力尽くで黙らせる」

「なら、刀の稲は……何を養分に実を付けるのかしら」


 一番合戦は乱暴にもまた右手で、あたしの手から焔ノ穂先の刀身を掴むと奪い取った。そのまま燃え盛る右手もいとわず、砕くように刀身を握り締める。


「……恨むなよ。家の歴史を失う事を」


 握り潰そうとしたのだろう。それまで燃え続けていた焔ノ穂先は、嘘みたいに鎮火した。


 壊されたから? いいや違う。


 一番合戦の反応は早かった。急に黙り込んだ焔ノ穂先に怪訝な顔をすると、すぐに異変に気付いて手を離す。

 大きく跳び退いて、距離まで取った。跳んだその先の方向が、背後に海を置く形になってしまう事にも気付かずに。


「……!?」


 驚いて見開いた目で、こちらを見る一番合戦が見えた。


 ……ええ、不気味で堪らないでしょうね?

 跳び退く瞬間、もう一度噴き出したその火が、とても神刀から発せられたものとは思えなくて。


 再び刀身を覆うように、小さく燃え始めた焔ノ穂先を、ゆっくり立ち上がったあたしは拾い上げる。


 『焔ノ穂先』ね。確かに合ってるっちゃ合ってるけれど、正式な名前では無いんだけれど。


「ハッ――。常時帯刀者なら知ってるんじゃないの……? それは古臭い、とうに廃れたと言っていい、今時知ってる奴なんか殆どいない、神刀にかける術の事を」


 奮い立たせるように、虚勢で笑う。

 痛みと、この先自分がやろうとしている事に、汗が顎を滑っていった。


 もう離すものかと、右手で柄を握り締める。


 行こう。



 『魂喰たまぐらい死炎しえん』。



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